DTH2 カサブランカ

第16話 「放たれた死神」

 7月12日 ミハエル・A・コリンズ 自宅2階にて銃撃により死亡
 7月13日 エリザベス・H・ハーヴェル セントラル公園にて銃撃により死亡
 7月14日 マイク・D・アンダーソン 外出先にて銃撃により死亡
 7月16日 ソフィア・K・バージニア 自宅居間にて銃撃により死亡
 7月18日 デビット・A・アムズウェル 自宅玄関にて銃撃により死亡
 7月20日 マイケル・R・ギミック 外出先にて銃撃により死亡
 7月22日 ボブ・I・ロクシ 自宅にて銃撃により死亡
 7月25日 ニコラス・M・グレッガー 外出先にて銃撃により死亡

 延々と名を連ねた死亡リスト。
 それは、組織幹部の名簿と一致した。13人いる幹部の既に半数以上が何者かの手によって屠られていることになる。
「馬鹿な!」
 机を叩いた幹部の一人、リチャードは顔を上げた。陰湿さを思わせるぎょろついた瞳、元から薄い髪が名残惜しそうに額にへばりついていた。
「何者かが我々に手を出しているわ」
 リチャードの前に立ったフランソワが大きくため息をついた。豊かなバストが揺れる。瑞々しい肌に密着した黒のスーツは、整った顔立ちの彼女に似合っていた。流れるような金髪をかきあげると、それだけで辺りに香水の匂いが立ち込める。
「メンバー構成に関する秘密の漏洩は無いはずだ。どこから情報を得ている」
 神経質に手を震わせるリチャードを内心せせら笑いながらフランソワは告げた。
「ユダがいる、とか」
 リチャードは目を見開いた。
「裏切り者が?」
「かもしれないわ」
 誰だ、とリチャードは頭を抱えだした。
「少なくとも、あたしでもあなたでもないわね。お邪魔様」
 ヒールの音を響かせて、フランソワが部屋を出た。待機していたフランソワのボディーガードが、彼女にぴったりと追随する。嘲笑にも近い笑みを描きながら、フランソワは振り返った。
 扉の隙間でリチャードはまだ頭を抱えている。どうしてこんな男が幹部になれたのか、心底疑問だった。あるいは、小心さゆえに彼はこの立場まで上り詰めたのかもしれない。
 そんなリチャードを取り囲むように屈強のボディガードが輪を描いている。誰だか知らないが、これで手は出せまいと思った瞬間、カーテンがわずかに揺れた。
 弾丸は、小さく窓を割り、ボディーガードの隙間を縫ってリチャードの額にめりこんだ。
 目を見開いたフランソワが早足になる。
 大理石で出来た階段を駆け下りる。カツカツと響くヒールの音が耳障りだ。
「早く出して!」
 黒塗りのベンツに乗り込んで叫ぶと、運転手がアクセルを踏んだ。
 直後に、リチャードの部屋から爆発が巻き起こる。屋敷の人間は皆、唸りを上げる炎に気をとられていた。夜空に火の粉が舞っていく。
 フランソワは、見た。
 動き始めた車、そのボンネットに月を背負いながら静かに舞い降りた男。
 一瞬動きを止めた隙を狙って、弾丸が撃ち込まれた。フロントガラスが砕け散り、運転手とボディーガードが瞬く間に絶命する。運転手はハンドルに突っ伏し、アクセルを踏んだままだ。加速する車の上で器用にバランスを取る男を、フランソワは睨みすえた。
「あんた、誰よ!?」
 割れたフロントガラスの向こうにいる襲撃者は、微笑んだ。夜空に浮かぶシルエットは何処までも黒い。
「死神」
 優しさすら思わせるような穏やかな声と共に、フランソワの豊かな胸の間に弾丸がめり込んだ。
 襲撃者が身を翻すように、車から飛び降りる。操る者のいない車は、ルートを大幅に逸れ、スピードを上げたまま屋敷に激突した。
 新たな炎が夜空に上がる。
 轟々と唸りを上げる炎に照らされた襲撃者の顔は、霧生英雄のものだった。


 面白いことになった、とセレンは思った。
 それは彼自身の感想でもあったし、彼の目の前に座る組織幹部の一人の呟きにも似ていた。スペードと呼ばれるその名に反して、下卑た生き物だというのがその人物に対するセレンの所感だ。良く肥えた腹が垂れ下がり、本来シャープなデザインのスーツがスタイルの変更を余儀なくされていた。デザイナーが見たら発狂するに違いない。絶え間なく人の粗を探し続けたせいで広がった両眼、厄介ごとを嗅ぎ付けるのに長けた鼻。指にはめ込まれた指輪の数は途中で数えるのを止めた。すでに60を越えたと言うのに、品性や知性のかけらも垣間見えない。ある意味すごいことだとセレンは感心した。
 この屋敷も持ち主の趣味を反映してか、かけた金のわりに大層なセンスで仕上がっていた。エセロココ調の内装を見ながら、セレンは建築デザイナーがやけを起こしたのだと確信する。ここの空気を吸うことで、この劣悪さが移らなければいいがと懸念した。
「あれはどうしてる」
「さあ」
 首を振るセレンに、スペードは低く笑った。
「お前達に投資をした甲斐があったというものだな。面白い、実に面白いぞ。これで最後に私だけが生き残れば、あの組織は私のものだ」
 葉巻の先を食いちぎり、スペードが火をつける。くくく、と笑うのにあわせて煙がたゆたった。その先を目で追いながら、セレンが気の無い返事をする。
「生き残る自信がおありで?」
「なんのためにお前の命を握っていると思う」
 セレンの目の前でスペードが、太く短い指にはめ込まれた指輪を見せ付けた。そのどれかが起爆スイッチなのだろう。セレンとしては、その指輪よりはめている指がいやに血色がいいことの方が気にかかった。
「あれが私を狙うようなら、殺せ」
 ついこの間まで、自分のことすら恐れて姿を現さなかったくせに、この現金さには敬服する。
「わかりました」
 殊勝に返事をしたセレンは、空を見上げた。
 そろそろこの飼い犬ごっこにも飽きてきたなと思いながら。



 翌日。
 新たな銃撃による死亡記事を見ながら、ダルジュは不機嫌そうに朝食のパンを口にした。コーヒーの匂いが鼻をくすぐる。夏に足を踏み入れたせいで、瞬く間に気温が上昇していくのが肌でわかった。
「英雄さん、ですの?」
 カトレシアが不安げに呟く。
「多分な。どいつもこいつも一般人ヅラしてるが、見覚えあるのが何人かいる。中には死んだことすら記事になってねーヤツもいるはずだ」
 しょんぼりと俯いたカトレシアの髪がさらりと揺れた。朝食のテーブルに飾られた花まで色あせた気がして、ダルジュは舌打ちした。
「お前が気にするこたねーだろ」
「でも…心配です」
「クレバスなら大丈夫だろ。アレクもいるし」
「セレンさんも、英雄さんも」
 カトレシアの口から唐突にセレンの名前が出てきたので、ダルジュは銜えていたパンを飲み込み損ねた。むせるダルジュにカトレシアがタオルを差し出す。ダルジュは顔を背けながら、それを受け取った。
「お前がセレンの名前出すなんて珍しいじゃねーか」
「そうですか?」
 よくお話しましたよ、とカトレシアが言うのに合わせてダルジュがまたむせた。
「だだ、大丈夫ですか?」
 ごほごほと咳き込みながら、ダルジュが頷く。
「初耳だ」
「内緒って言われてましたから」
 どうせロクな話をしなかったに決まってる、とダルジュは確信した。子供の頃からダルジュを見知ったセレンが、したり顔で幼少時代の捏造を含んだ思い出を語るのは容易に想像できた。
 カトレシアが、懐かしむように言った。
「セレンさん、ダルジュさんのお話をされる時、本当に嬉しそうでしたよ」
「ああ、そうかよ」と投げやりに答えたダルジュは新聞に目を落とした。
 目が活字を追いきれないまま、不機嫌そうに唇を尖らせる。照れているのだと知って、カトレシアは微笑んだ。
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