DTH2 カサブランカ

第17話 「アレク」

 花に囲まれた店内の、もうどこに何があるかは熟知していた。馴れなかった花の手入れも様になってきた気がする。
 けれど。
 G&Gのカウンターに肘をついたガイナスは頬を膨らませた。アレンジ用のリボンの在庫を調べているシンヤの背を見ながら、独り言のように呟く。
「ねぇ、いつまでここにいるのさ」
 ガイナスの声にシンヤが顔を上げた。手にした赤いリボンの光沢が鮮やかに太陽を反射している。
「英雄、記憶戻ったんデショ?もう僕らがいる必要なんてないじゃん」
「セレンはどうする?」
 シンヤの切り返しにガイナスが大仰に手を振った。
「べっつにいーよ。あの人、自分でどうにかするデショ?」
「嘘だな。お前はそこまで割り切れない」
「別にいいってば!」
 冷淡に返すシンヤの言葉に、ガイナスがカウンターを両手で叩いた。
「言ってたらキリがないよ。シンヤはずっとここにいる気なの?」
「そんな気は無い。まだ目処がつかないだけだ」
「メドって何?また英雄が死ぬまでいるつもり?」
 リボンを手にしたシンヤの動きが止まった。黒い瞳がわずかに動揺を示したのをガイナスは見逃さなかった。この街は、シンヤのためにならない。ガイナスはそう感じていた。英雄の傍にいる限り、シンヤは自分の傷を抉りつづけることになるのだから。
 シンヤがゆっくりと立ち上がり、ガイナスを見据えた。静かに空気が張り詰める。ガイナスは視線をそらす気も、譲る気もなかった。
 緊張感を破ったのは、店内に駆け込んできたクレバスだった。
「おっはよー。あれ、どしたのさ、二人とも」
 毒気の無い声とあっけらかんとした姿に、二人の間に張り詰めていた空気が消える。シンヤがどこかほっとしたように息を漏らした。
「帰ろうかってハナシしてたの。シンヤと」
 話を中断された不機嫌さを込めてガイナスが言った。ああもう、とぼやきながら毛先を指で弄ぶ。
「そりゃ困る」
 きょとんとした顔のクレバスから発せられた言葉は二人をすり抜けて、しばらく意味を成さなかった。
「は?」
 ガイナスは自分の頬が引きつるのを実感した。
「困るんだ。ちょっと手伝って欲しいからさ」
 飄々と続けるクレバスの胸倉を掴もうとしたが、横からシンヤの手が伸びて邪魔をされた。
「なにをだ」
 シンヤの問いにクレバスは笑って見せた。その笑顔がいつもと変わらないことに、シンヤが安堵する。
「英雄、捕まえたいと思ってさ。やっぱり、傍にいたい」
「なに言ってんのさ!」
 ガイナスの抗議は悲鳴に近かった。
「裏で話そう」
 人目を気にしてか、シンヤが辺りに目を配りながら告げた。幸い店内に客はいないが、これ以上ここで話し続けないほうがいいだろう。
「お前は店番してろよ」
 ガイナスに釘を刺してシンヤがクレバスの背を押す。なんで、ずるい、という抗議の声を遮るように裏口の扉を閉めた。
「…ガイナスが怒るのもわかるよ」
 クレバスは俯いた。
「ごめん。でも、きっと一人じゃ出来ない」
「アレクさんとは話したのか」
「うん。それがクレバスの決断なら、って祝福してくれた」
「そうか」
 シンヤが壁に背を預ける。クレバスは、その場に腰を下ろした。
「シンヤは、まだ、…英雄が憎い?」
 わからないな、とシンヤが言った。正直な感想だった。
「こないだアイツを前にした時、自分で折り合いをつけたはずの憎しみが消えていなかったのを知った。あっという間に飲まれて、気づけば撃っていた」
 でも、とシンヤは続けた。
「後悔した。お前を撃ったかもしれないと思うと、たまらなく怖かった」
 多分一生この葛藤は続くとシンヤは言った。
「俺に助けを求めるなら、俺はお前に力を貸そう。だが、俺はアイツを撃つかもしれない。その覚悟はあるのか?」
「いいよ」
 クレバスは笑った。
「オレが止める」
 クレバスにつられるようにシンヤの頬が緩んだ。口の端に浮かんだそれは、かすかな笑みだった。
「やっぱり、似てる」
 クレバスがシンヤの顔を見ながら言った。誰に、と言われなくてもシンヤにはわかった。英雄だ。
「ごめん、すごく勝手なことを頼んでるってわかってる。オレのわがままだ」
「お前は元から勝手じゃないか。今さら気にするな」
 シンヤが言った。ふ、と言葉が途切れた間に、ガイナスがいるはずの店内を見る視線が和らぐ。
「俺が正気を保っていられるのは、アイツがいるからだな」
 シンヤの目線を辿ったクレバスが、横目で扉を見る。シンヤに戻した目線が、本気かと聞いている。
「俺達は互いが痛みだ。傍にいるだけで傷口を抉りあう泥沼のような関係だが、その分、互いの傷の深さをよく知ってる」
『だから君達はそばにいなきゃだめだ』
 かつて英雄がガイナスにそう告げたのを、クレバスは覚えていた。
 あの時、英雄はそこまで見越していたのだろうか。
「だから、そう心配しなくていいぞ。ガイナス」
 幾分強い調子でシンヤが扉に向かって告げると、間髪要れずに扉が開いた。顔を真っ赤にしたガイナスが「心配なんてしてないよ!自惚れないでよね!」と叫ぶ。
「お前、聞き耳立ててたのかよ」
 目を丸くしたクレバスが呟くと、我に返ったガイナスは硬直した。肩口まで伸びた髪が、勢いの名残を示すように揺れている。「ぷっ」シンヤは思わず吹き出した。
「あはははは」
 腹を抱えて笑い出すシンヤの前で、一度は蒼白になったガイナスの顔がみるみる紅潮していく。涙目になった瞳を見て、噴火が近いとクレバスは座ったままわずかに後退した。
「シンヤの馬鹿!もう知らない!」
 予想通りに怒り始めたガイナスに、クレバスも笑い始めた。
 ガイナスはますます怒ったが、目尻に涙を浮かべながら笑い続けるシンヤを見て、嬉しそうに目を細めると唇が綺麗な笑みの形を描いた。
 三人の笑いはしばらく途絶えることがなかった。

「うるせぇガキ共だ」
 ダルジュが天井を見ながら吐き捨てた。G&Gの地下室、トレーニングルームにいるダルジュは、そこにいるもう一人の人物を振り返った。
「久々の射撃はどうだったよ。1ヶ月で勘は戻ったか?」
 手にしたライフルの黒い銃身は、鈍い光を放っていた。感触を懐かしむようにそれを愛でたアレクが、微笑む。
「ソウデスネ。少シ」
 言いながら視線を先ほどまで撃っていた人型の標的に向ける。弾は全て額と胸を貫いていた。正確過ぎる射撃に、ダルジュが内心舌を巻く。
 相手は即死だなと思ったところで、標的を聞いていないことを思い出した。
「誰を撃つんだ?」
 アレクは答えずに、ただ曖昧に微笑んだ。
Copyright 2005 mao hirose All rights reserved.