DTH2 カサブランカ

第19話 「Calling You」

 トラックが道路を走る不規則な振動が荷台に伝わる。道路自体は滑らかなはずなのに、ひどく揺れるのはトラックが古いせいだろう。側面に申し訳程度についた幌、天井部分にはもう錆びきった鉄筋の格子が2本しかない。しかも随分歪んでいるのだから、取ってしまった方がいいのではないかとクレバスは考えた。
 荷台に寝転んだまま、流れ行く空を見る。夕暮れの裾から、わずかに夜が顔を覗かせているのが見えた。


 藁が欲しければ買えばいいと、ダルジュの用意したトラックは今にも解体しそうな風情だった。急な主旨変更にダルジュは何も言わなかったが、なにか考えるところはあるようだ。急ぎで手配されたトラックの老朽さがそれを証明しているようにも思えた。本来幌を張るのであろう荷台の格子がゆがんで、床の木材も朽ちかけている。
「えー、なにこれぇ。動くの?」
 信じられないとガイナスが声を上げた。
「ガイナス」
 文句を垂れるガイナスを、シンヤがたしなめる。ガイナスが不満げな視線でシンヤを睨みながら押し黙った。
「藁を運ぶだけだろ、文句言うんじゃねぇ」
 投げ渡された鍵をシンヤが受け取る。トラックに乗り込んだシンヤとガイナスを見送っていたクレバスに、ダルジュが声をかけた。
「お前も行け」
「オレも?なんで?」
 クレバスが意外そうな顔をする。シンヤがエンジンをかけると、トラック全体が軋むようにして唸りを上げた。
「いいから行けってんだよ」
 蹴り飛ばされるように荷台に乗せられたクレバスが、ぶつけた頭をさする。嘆く間もなく、トラックが走り出した。
「ちょ、待てって!」
 慌てて荷台で身を起こすクレバスに合わせて、トラックがカーブを曲がる。よろけたクレバスが支柱に頭をぶつけた。
「いて!」
「あはは、トロ〜い!」
 荷台に通じる枠だけの小窓を通して、ガイナスが笑っているのが見えた。むっとしたクレバスがふてくされるように荷台に座り込む。
「どこ行くんだよ!」
「じきに着く」
 それまで寝ていろ、とシンヤは告げた。 

 しばらく抗議を繰り返したクレバスは、観念したのか、荷台に寝転んだ。
 幌を張るための鉄筋が空を区切っている。不規則な振動に合わせて揺れる夕暮れを見ていると、なぜか心が落ち着いてきた。
「アレクさんがいなくなったんだってな。もっとうろたえるかと思ったぞ」
 ふいにシンヤの声に、クレバスは寝転んだまま運転席の方を見た。シンヤの黒髪が、切り取られたように小窓から覗いていた。
「うろたえるって言うか。ショックだよ、そりゃ」
「でも、なんか他人事みた〜い」
 ガイナスが薄情者だと揶揄する。お前に言われたくないとクレバスは言い返しながら、頭を掻いた。
「多分、また会えるからさ」
 呟くような言葉に、シンヤがぴくりと反応した。
「なんて言えばいいんだろ。誰かと過ごすってのは、一時の休憩所みたいなもんかなって。皆、それぞれ行き場があるから、いつか別れるもんじゃないかって思ってる。英雄もそうだったし、ほら、シンヤ達もそうだったろ。けど、また会えたじゃん。だから、アレクも」
「偶然だ」
 シンヤが切り捨てた。
「…わかってる。でも」
 信じさせてくれよ、とクレバスは言った。寝転んだまま、腕で目を覆う。それだけで見えていた空が消えた。
「皆離れてそれっきりだなんて、思いたくないんだ」
 消え入りそうな声に、ガイナスが不快そうな顔をして黙り込む。面白くない、と言わんばかりに頬杖をついて、窓の外に流れ行く景色を睨んだ。



 シンヤ達の乗ったトラックを見送ったダルジュは、忌々しそうに舌打ちをした。
 自分が「見送る側」に立つ日が来るなんて思ったこともなかった。通りに立ちすくむ自分がひどく滑稽に思えた。アレクが狙っているのはセレンだとクレバスに告げるべきだったろうかと逡巡しつつ、その途中で、なぜそれを自分が懸念するのかとふと疑問に思った。
 答えが出ないままに硬直する。
「クソ!」
 腹が立つのは、変わった自分に対して、だ。
 いらつきを店の壁にぶつけようとした瞬間に、ダルジュの携帯が鳴った。
 着信相手は、同じく「見送る側」の人間。けれど、滅多に電話などかけてこない。
 なにかあったのだ。
 ダルジュの顔に、好戦的な笑みが浮かんだ。
「珍しいじゃねーか」
 からかうようなダルジュの声に、相手が一瞬詰まる。
 面白いほど対照的な生き方をしてきたこの人間に、頼みごとをする日が来るとは思わなかった。ハンズスの眉間に皺が寄る。思い過ごしだと嘲笑われることすら覚悟した。
 ハンズスの唇が開く。
 紡がれた言葉に、ダルジュは疑問も否定も示さなかった。



「わかりました」
 ハンドルを片手で器用に操りながら、シンヤが携帯を切った。
「おっさん、なんて〜?」
 ガイナスが暇そうにガムを膨らます。
 シンヤはすぐには答えなかった。信号が赤に変わるのに合わせて、トラックを停めた。
 独特のエンジン音と振動が車内を満たす。シンヤの声音がそれに重なった。
「英雄が見つかったらしい」
 言葉に反応したクレバスが荷台で身を起こす。シンヤは小窓からその様子を見たが、すぐに視線を前方に戻した。
 なんて顔だ。シンヤは感情を交えずに淡々と続けた。
「ハンズスさんの病院の公衆電話にコールがあったそうだ。会話はなかったが、英雄だと確信してるとハンズスさんが言っている。かけてきた携帯は、ハンズスさんのものだ。その位置検索を、ダルジュさんがやった」
 合間から見えたクレバスの顔は、迷子が親を見つけた時の顔に似ていた。
「まだ通話が切れてから10分も経っていない。付近にいるはずだ」
 聞かなくても分かる。クレバスは行くと言うだろう。
 力を貸すと約束したはずなのに、その言葉を聞きたくはなかった。自分は案外まだ子供なのかもしれないとシンヤは自省した。
 今、クレバスを英雄の元に送るのが、良いことだとは到底思えない。
 平和な再会など望むべくもない。英雄が現れるところは、すなわち戦場になるはずだ。
 ふう、とシンヤはため息をついた。バックミラーに視線を移す。
 食い入るようにこちらを見るクレバスを、感情を交えぬ瞳で見返しながら「行くんだな?」と確認する。
「うん」
 クレバスが頷く。凛と張り詰めるような空気が、戦いに赴くのだと告げていた。
「…わかっているなら、いい」
 気配からそれを悟ったシンヤが、あきらめたようにハンドルを握り直した。その動作をガイナスが憮然とした表情で見つめる。
 信号が青に変わる。トラックは軋みながらも、ゆっくりと走り出した。
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