DTH2 カサブランカ

 ダルジュから伝えられた場所にシンヤがトラックを停める。クレバスは荷台から飛び降りた。シンヤとガイナスも車から降りて辺りを見回す。なんの変哲もない通り。両脇ビルが立ち並び、広めの道路にはまばらに車が通っていた。空の端から押し寄せる夜を察してか、街灯が灯りだす。
 さわりと風が吹く。
 辺りを見回していたクレバスは、ダストボックスに目を向けた。引き寄せられるように足がそこに向かう。覗き込むと、わずかに差し込んだ光を反射する緑色の携帯電話を見つけた。
「ハンズスのだ」
「えー、じゃあこの辺にいるってことぉ?」
 心底うざそうにガイナスがぼやいた瞬間、通りに並んでいたビルの一室が爆破された。爆音に、ガイナスの動きが止まる。距離にして200メートルと離れていない。燃え盛る炎と煙に、人々が逃げ出す中、三人は身じろぎもせずそれを見つめていた。
「…あそこみたい」
 ガイナスがガムを膨らませる。
「うん」
 クレバスが頷いた。その瞳が炎を映しているのを見たシンヤが、視線を辿るようにビルを見る。13階建てほどの高さの黒いビルの中ほどから煙が立ち昇っていた。
「こんな街中で。よほど何も考えていないらしいな」
「うん」
「行くのか」
「うん」
「お前は馬鹿だ」
 シンヤの言葉にクレバスが横目でシンヤを見た。ゆっくりとシンヤに向けられた顔は、さっきまでの深刻さが嘘のような満面の笑みを浮かべていた。見ているだけでほっとするような、人懐っこいクレバスの顔。ほっと心が安堵するのをシンヤは感じた。
「きっと英雄の馬鹿が移ったんだ」
「重症だな」
 ふ、と言葉を切ったシンヤが一瞬ためらうように足元を見た。それから、すぐに顔を上げ、クレバスを真っ直ぐに向き合うと、シンヤは告げた。
「俺は今、一緒には行けない。アイツの助けになる気はない」
「うん」
 クレバスが気にしない、というように頷きながら、腕を組んでうんと伸びをする。少しでも体をほぐそうとしているらしい。
「だが、約束した。必ず、お前の力になる」
「うん!」
 シンヤの色のない瞳とは対照的な笑みを、クレバスが見せる。
 わずかに微笑んだシンヤを冷めた目線で見ながら、ガイナスが新しいガムを膨らませた。



 すんなり入れるのは妙だと思っていたが、こういう趣向かと英雄は納得した。このフロアに入った瞬間、下の階で爆破が起きた。退路を絶つつもりではなく、ほんの挨拶代わりなのだろう。
 目の前の、この男にとっては。
「久しぶりだな、英雄。前より、顔色がいい。良いことだ」
 変わらぬ優雅な声。口元に残る微笑。全ての機材が運び出された後の、廃墟のような広い空間に、その存在が一段と映える。華がある、というのはこういうことを言うのかもしれない。
「セレン」
 苦しげに漏らされた英雄の声に、セレンは満足そうに目を細めた。
「そこをどいてくれ」
 セレンの背後で葉巻をくゆらすスペードの老いた体を睨みながら英雄が告げた。フロアの最奥、窓際の椅子にふんぞりかえりながら、この余興を見ようとしている。アリーナで見物したいという欲望と、命惜しさの葛藤がその距離に現れていた。その矮小さに反吐が出る。
 じり、と英雄が足を動かすと、セレンがさり気なく体をずらした。あくまで、スペードをかばう気らしい。
「セレン!」
 焦れたように英雄が叫ぶ。
 セレンが微笑んだ。長い銀髪がゆらりと揺れる。
 空気をなにかが裂く。煌くそのわずかな光を、英雄は見た。

「英雄…」
 予期せぬ乱入者にアレクは思わず声を漏らした。
 スコープから目が離せない。二人が入れ替わりながら動き回るせいで、狙いが定めきれない。
 小さく嚥下する喉の振動で、アレクは自分が迷い始めているのを知った。
 指先が震える。それでも、アレクは射撃姿勢を崩そうとはしなかった。

 英雄の足が床を蹴る。身を前方に投げ出すと同時に、それまでいた場所を高速の刃が掠めた。
 鋼糸…!
 セレン愛用の武器の健在ぶりを確かめながら、英雄は銃を構えた。撃ちだす前に、セレンが歩を詰める。間髪入れずに飛んでくるセレンの蹴りを左腕で受けると、英雄は残った右手を伸ばして引き金を引いた。察したセレンが咄嗟に身をかわす。
 いつかの茫洋とした感覚とは違う、明確な意図の元に吐き出された弾丸がセレンの右肩、上腕部付近の肉を抉った。身をかわすのが遅れれば、弾丸は喉元に食い込んだだろう。
 瞬間驚きに見開かれたセレンの瞳が、英雄の眼差しと交錯する。
 英雄の瞳はもう揺らいではいない。セレンを仕留める、その覚悟が宿っていた。狂気に触れたわけでもない、確固たる意思の光。綺麗だと、セレンは思った。
 やはり私は、お前が好きだよ。
 セレンの指先がゆっくりと折り曲げられる。英雄が気づいた時にはもう、引き戻された鋼糸がその左足を捉えていた。



 エンジンをかけるとトラック全体が震えだした。「解体しそう」と口を尖らせるガイナスに、「嫌なら降りろ」とシンヤが言い切る。
「クレバスだけ置いてくなんて思わなかったよ」
 むう、とガイナスが頬をふくらませる。てっきりシンヤも一緒に行くと言い出すものだと思っていた。
「気になるなら、降りろ」
「だからヤだってば!僕はシンヤと行くの!」
 拗ね始めたガイナスを持て余したように、シンヤが嘆息した。体から抜けそうになる力を流すように、アクセルを踏む。
 二人の乗ったトラックは、数度軋んだ後に走り出した。見送ったクレバスが、改めてビルに向き直る。
 爆発した階から、黒い煙と炎の舌先が見えた。
 火の粉が夜空に舞っている。
 
 あそこに、英雄がいる。

 呼んでいる、と思うのは自惚れだろうか。
 これ以上なくはっきりと別れを告げられたのに。
『さよなら』
 英雄に言われるのはもう何度目だろう。初めて言われたのは白い船の中だった。それから、英雄が死ぬ時。それから…

 クレバスは目を閉じた。

 それでも、いつも。
 英雄が背を向けたその瞬間ですら。
 
 その手が空いている限り、クレバスが握るのを待っているような気がする。
『銃を持ったなら、片手に掴めるのはせいぜいひとつだ』
 いつかセレンが言った言葉。
 銃を掴まない、英雄のもうひとつの手は、オレのためにあるんだ。
 
 クレバスは目を開いた。炎が手招くように唸っている。駆け出す足は、迷いなく進んでいた。

第19話 END
Copyright 2005 mao hirose All rights reserved.