DTH2 カサブランカ
「さて、僕らはここから出なきゃならないわけだが」
悠長とも思える口調で英雄が告げた。二人が影に滑り込んだ支柱には絶え間なく銃弾が注ぎ込まれていた。コンクリートと鉄筋で出来ているらしいこの支柱だけが、今の二人を庇っていた。
「算段はあるのかよ」
クレバスの質問に英雄が苦笑する。
「実は、帰りのことはあまり考えていなかったんだ」
君が来ると知っていれば綿密なプランを立てたんだが、と言う英雄に、クレバスはうんざりした顔をしてみせた。
「お前っていつもそうだよな」
「そうかな?君といる間は気を遣ったつもりなんだけどな」
どこがだよ、とクレバスは毒づいた。それから、顔から笑みを消して真摯な声で英雄を呼ぶ。
「英雄」
「ん?」
「オレ、英雄がいなくなってから、ダルジュやセレンに武器や戦いの仕方を教えてもらってる。もうあの頃のオレじゃない。だから」
「そうか」
力になれると言う前に、英雄は頷いた。まるでそれを聞く気がないかのように、支柱の影から何発かの銃弾を返す。弾層を排出して新しいものに取り替えると、独り言のように言った。
「そういう問題じゃないんだ。僕が君に武器を持って欲しくないのは、君が子供だからじゃなくて」
ええと、と英雄は言葉を探した。
「君が、君だからだと思うよ」
「はあ?」
理解しきれないというようにクレバスが眉を寄せる。その顔を見ながら、英雄は微笑んだ。
「ダルジュだろうとハンズスだろうと、…シンヤだろうと。自分の意思で武器を持つのなら、止めはしないさ。でも、君はダメだ」
「なんでだよ!オレは英雄の役に立ちたくて…!」
クレバスは英雄の姿を見た。目の下には血が滲んで、口の端は切れ、左足の出血もひどい。打ち身の痣がそこここに出来ていた。ぼろぼろじゃないか。
「英雄が傷つくのを見てるだけなんて嫌だ…!」
「そう、それ」
ぽん、と手を打った英雄にクレバスが顔を上げた。
「多分、僕も同じ気持ち。こんな痛いのは、僕一人で十分」
唖然としたクレバスが、次の瞬間怒りに肩を震わせる。
「わがままだ」
「君だって」
からかうように笑う英雄を睨んでいたクレバスが、微笑んだ。目を細めた英雄が、その額に自分の額をつける。
「…君の力を貸してくれ」
「喜んで」
情けないことに強行突破しかないわけだが、と英雄は告げた。
「ひとつ約束して欲しい。まずいと思ったら、君一人でも逃げること」
「嫌だ」
「…クレバス」
「そんなことするくらいなら、初めからここには来ない」
それもそうだ、と英雄は嘆息した。
「二人で家に帰ろう」
笑って、拳を合わせる。英雄は手榴弾を見せた。
「最後のひとつ。投げると同時に打って出る。君は後方のサポートを」
「わかった」
クレバスが頷く。その顔が大人びていることに、英雄は内心驚いた。
安全ピンを抜く。
8、数えて英雄はそれを放った。
絶え間なく注がれる銃弾のひとつに当たった手榴弾が空中で爆発する。爆風の中を、二人は駆けた。
英雄が銃弾を撃ちこみ、前方の黒服を無力化する。クレバスが、鋼糸で銃を切断していった。いけるかもしれない、とクレバスが思った瞬間、英雄は気づいた。
階段の奥、黒服たちの一人が起き上がる。構えているその銃口の厚さに、英雄の顔色が変わる。
「クレバス!」
クレバスをかばうように手を伸ばした英雄の左肩に、銃弾が食い込む。爆ぜる様に肩の肉が弾け飛んだ。
そのまま英雄がバランスを崩す。
よろめいた先は、爆発でガラスの壁が失せ、夜の街並みが広がっていた。
落ちる…!
反射的に手を伸ばしたクレバスが、英雄の右手を掴む。支えきれずに、転ぶ。
「ぐ!」
したたかに胸を打ちつけたせいでむせた。引きずられて、ずれた体を落とすまいと床に爪を立てる。英雄の体は完全にビルから離れて、宙に浮いている。クレバスが手を離せば落ちるのは明白だった。
胸が、英雄を支えている腕が、千切れそうに痛い。
頬が擦り切れたのかひりひりした。
「クレバス!手を離せ!君まで落ちるぞ」
英雄が叫ぶ。
「嫌だ!」
クレバスは怒鳴り返した。英雄の手をしっかりと握り締める。英雄が掴もうとはしないせいで、ずるずるとその手は落ちかけていた。だから尚更力を込めてクレバスは叫んだ。
「オレはもう絶対に譲らない!この手を離さない、絶対だ!」
強い意志を宿したクレバスの瞳が英雄を貫いた。
「クレバス…」
クレバス達を囲もうとする黒服が倒れていく。一人倒れる度に輪が乱れた。それでも後から後から限りなくやってくる。
「狙撃…アレクか」
英雄が呟く。肩が熱い。血が流れる左腕には、もう感覚がなかった。
英雄達のいるビルから遠く離れた狙撃地点にいるアレクはスコープを覗いて引き金を引いた。獲物が一人、倒れる。素早く弾層を排出し、次を込める。
額に汗が滲んだ。
逃げなければと叫ぶ心を必死に押さえ込む。
今、自分が出来るのはこのくらいしかないのだ。
クレバスのために、出来ることは。
この街の暮らしで、彼の存在がどれだけ救いになったかわからない。
だから、自分は、今、ここで。
死ぬ。多分、そうなる。組織だって馬鹿ではない。これだけ連射を続ければ、狙撃地点を割り出せるだろう。このビルはもう囲まれているはずだ。
うっすらとアレクは微笑んだ。
構わない、と心に決める。次の狙いを定めて、アレクは引き金を引いた。
「クレバス」
あきらめたような声で英雄がクレバスを呼んだ。
「実はもう、左手が動かない。自力じゃ這い上がれない。だから」
「それでも離さない」
クレバスにも英雄を引き上げる体力は残っていなかった。意思の力だけで体を支えているにすぎない。それを見て取った英雄が、やれやれとため息をつく。
「わかった。僕の負けだ」
英雄の右手がしっかりとクレバスを掴んだ。柔らかな笑みでクレバスを見つめる。
「一緒に落ちよう。おいで、クレバス」
その瞬間を目撃した誰もが息を呑んだ。
ふわりと。
ためらいなくクレバスは身を捨てた。
英雄としっかりと手を繋ぎあったまま、落ちて行く。
落ち行く先はビルの谷間。底の見えない暗闇がただ広がっていた。
「な…!」
スコープを覗いていたアレクが絶句した。
「背中がガラ空きだ。いただけないな」
アレクの耳元に忍び寄ったセレンが囁く。
「セレ…!」
振り向こうとしたアレクの首筋にセレンの手刀が落ちる。意識を失ったアレクの体を支えたセレンが、英雄達を飲んだ暗闇を見てわずかに眉をひそめた。
「馬鹿な子だ」
呟きは瞬く間に夜に溶けた。
第21話 END
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