DTH 特別番外

<< | >> | MENU |
 クリスマスのG&Gはそれなりに盛況だった。黒と青の深海を思わせる装いの店内に、客達がシルエットとなり浮かび上がる。ダルジュのピアノがそれに色を添えた。
 セレンがちらりと時計を見た。クレバスもつられて時計を見る。
 22時。
「行ってくれば?0時までに戻ってきてくれれば大丈夫だし」
 フロアで客と談笑している英雄を見ながら、英雄も珍しく働いているからなんとかなるでしょ、とクレバスは言った。
「私は、別に」
「0時には帰ってきてね」
 否定しかけたセレンにそう告げると、クレバスはくるりと背を向けた。カウンターの向こうにいるダルジュに声をかける。ダルジュは一瞬セレンを見て、それから頷いた。
「ダルジュもいいってさ」
「その強引さは誰に似たんだ」
「セレンだよ」
「お手上げだな」
 セレンが嘆息する。シェイカーを置いたのが了承の合図だった。
「0時には戻ろう」
「いってらっしゃい」
「え、セレン、帰るのか?」
 片手を上げてにこやかに見送るクレバスに、英雄が抗議の声を上げる。
「じゃあ、僕も」
「なに言ってんだ、バカ」
 二人の声を背に、セレンはコートを羽織り店を出た。
 今年はホワイトクリスマスらしい。
 みぞれ混じりの雪が降っている。吐く息がその密度を現すかのように、濃く、白い。セレンは雪を降らせ続ける濁った空を見上げ、もう一度息を吐いてから歩き出した。

 マンションが見える。アレクは大人しくしているのだろうかとふと見上げ、セレンは眉を顰めた。
「…なんだ、あれは」
 アレクとセレンの部屋、そのベランダにこれでもかと言うほどのイルミネーションが飾られている。他の部屋の比ではない。白く、赤く、青く、黄色く瞬く光の洪水は、さながらホテル顔負けの派手さだった。空に向けたサーチライトが拍車をかける。
「サンタの目でも潰す気か、あいつは」
 言ったセレンが歩を早める。と、猫の鳴き声に足を止めた。
 止めてから、セレンは自分が止まる意味がないことに気付いた。
 アレクといると、犬や猫を必ず撫でたがる。セレンは一定の距離を保ったまま、それを見ていることが多い。そのせいで止まる習慣がついてしまった。
「妙な癖がついたものだな」
 歩こうとしたセレンは、自分の革靴の上に違和感を感じた。見れば、小さな前足が乗っている。セレンを見上げてミイと鳴くのは、先日アレクが助けた白い子猫だ。
「お前か」
 セレンが鼻で笑った。
「よく私の前に顔を出せたな。誰のせいで無駄に往復する羽目になったと思っている?」
 セレンの問いに、子猫はミイ、と鳴いて足に頬を摺り寄せた。
「…わかってるのか?」
 呆れたようにセレンが肩をすくめる。そんなセレンの気持ちを知ってか知らずか、子猫は得意げにミイと鳴いた。

 出来上がった会心の料理を前に、アレクはなぜか待っていた。
 約束をしたわけではない。むしろ、シフトを考えれば、セレンは戻ってこない。
 それでもいくらなんでも、これは淋しいではないか。
 あと30分、あと5分だけ、そんなことばかりぐるぐる考えていた。
 ひまなのである。
 どうせ待ったって来ないのはわかっているのだから食べてしまえばいい、そう思ってアレクがフォークに手を伸ばした、その瞬間だった。鍵穴に鍵を差し込む音がして、玄関が開く。みぞれ雪に頭を濡らしたセレンが、外の寒気と共に入ってきた。
「セレン!」
 どうしたデスカ、と駆け寄るアレクからタオルを受け取って、セレンはテーブルの上の料理を見た。
「なんだ、動いたのか」
 ダッテ、とアレクが言葉を濁す。
「休憩中だ。すぐに戻るが、簡単にもらって行こうか」
「わかりマシタ」
 アレクが離れようとする、その瞬間にセレンの腹からミイと音がした。
 アレクが動きを止める。
「…ミイ?」
「ああ」
 ようやく気付いたようにセレンがコートのボタンを外した。中から飛び出した白い子猫がひょいとテーブルの上に乗る。アレクが目を丸くした。
「外で見かけたんだ。一晩だけだ、明日には元に戻…」
「セレン!」
 子猫を抱き上げたアレクが感激のままにセレンに抱きついた。その頬に唇を落として、感謝の意を告げる。
「ありがとうデス!」
「いや、だから一晩だけだと…」
「凄く凄くうれしいデス!最高のプレゼントデス!」
 ぎゅう、と自分を抱きしめるアレクをたしなめるようにセレンは呼んだ。
「アレク」
「ハイ!」
 にっこりとアレクが答える。幸せを満面で現すような笑みに、セレンは言葉を失った。
「…面倒は、自分で見ろ」
「ハイ!」
 意気揚々とアレクがキッチンに向う。その後姿を見ながら、セレンは自分の椅子に腰掛けた。ひどく疲労感が押し寄せる。その腿の上に、子猫が乗る。投げ出した左手を舐める子猫を見ながら、セレンは一人ごちた。
「…わかっていたのか?」
 子猫は答えない。代わりにふわあと欠伸を漏らすと、セレンの手の平の上で小さな寝息を立て始めた。
「悪い奴だな」
 微笑んだセレンが窓の外に目をやる。派手なイルミネーションの向こう、本格的に降り始めた雪が舞っていた。


「やあ、本格的に降り始めたらしいぞ」
 のんびりと英雄が告げる言葉に、クレバスが振り返った。
「なんで店の中にいるのにわかるんだよ」
「ほら、これ」
 言った英雄が預かった客のコートを示す。肩にうっすらと雪が積もっていた。
「まいったね、帰り道は滑りそうだ」
 英雄がぶるりと震えてみせる。すくめた肩を戻す前に、扉の開く音がした。
「いらっしゃいま…」
 言いかけた英雄が硬直する。
 くるりとした天然パーマに雪を乗せたハンズスとマージが、そこにいた。
<< | >> | MENU |
Copyright (c) 2005 mao hirose All rights reserved.