DTH3 DEADorALIVE

第2話 「セレンの気まぐれカクテル」

 珍しく休暇だったハンズスは、いつものように医療関連の雑誌を広げ自宅の居間でくつろいでいた。抱っこをねだるアリソンを膝の上に乗せ、ぱらりとページをめくる。
「マーマ」
 アリソンがマージを呼んだ。
 箒を片手に掃除を始めていたマージは、気付かなかったのか、振り返らない。
「マージ?」
 むくれたアリソンをなだめながら、ハンズスが顔を上げた。マージは箒を握り締めたまま、ハンズス達に背を向け、テレビを凝視している。
 ハンズスとアリソンが目を合わせた。
「そんなに面白いことでもやってるのかな」
 ハンズスが雑誌を持ち上げたのに合わせて、アリソンが膝から滑り降りる。
「ママ?」
 アリソンが駆け寄ると同時に、ぼきりと何かが折れる音がした。ハンズスが動きを止める。
「……マージ?」
 マージが手にしている箒。体に隠れ、全体はハンズスの位置から見えることはないが、その柄が明らかに不審な角度をしている。それに気付いたハンズスの喉がこくりと鳴った。

 その日、テレビには速報が流れ、タブロイド紙の夕刊は英雄とダイアナの写真で埋め尽くされた。英雄は、帰りがけにクレバスがいくつか買った夕刊を斜め読むと、頭痛を覚えたようにこめかみを押さえた。
「……最悪だ」
「英雄」
 コーヒーを入れたクレバスが声をかける。
「あのさ、ファックス、嫌がらせで紙がなくなってるんだけど。面倒だから当分足さなくていいよな?」
「なんだって?」
 英雄が顔を上げる。「読む?」とクレバスはファックスの束を差し出した。
『クソ野郎! 殺す!』
『よくもダイアナを!』
『この度はおめでとうございます。祝福をどうか我らにも。寄付下さい』
 数枚目を通した英雄が、紙束を投げた。
「回線自体、抜いておいてくれ」
「うん、もうやった」
 でさ、とクレバスが続ける。
「事務所のメールサーバーも落ちてるみたいなんだけど」
 英雄はしばらく沈黙した。
「しばらく休もう」
 言って、ソファに身を投げる。まんまとダイアナの策に嵌ってしまった。英雄の中を深い後悔が渦巻く。これで無関係と言ったところで通るまい。依頼を、受けるしかないのだ。
「コインか」
 確か対となる銀貨がどうこう言っていた気がする。さっさと片付けてしまおうと英雄は決めた。
「英雄、ハンズスが……」
 クレバスが声をかける。英雄は寝転がったまま横柄に返事をした。
「今、それどころじゃないって言ってくれ。ああ、もう。こんな時に説教なんか聞きたくないよ」
「来てる」
 クレバスの言葉に、英雄が慌てて起き上がる。居間の入り口、クレバスの後ろにハンズスがにこやかに立っていた。
「……やあ」
 英雄がおずおずと片手を上げる。悪戯が見つかった子供のようだとクレバスは思った。
「やあ、英雄。元気そうで何よりだ」
 笑ったハンズスが英雄に歩み寄る。いつもなら対面に腰掛けるハンズスは、ソファに腰かけようとはせず、英雄を見下ろしたまま告げた。
「婚約だって? おめでとう。俺に言わないなんて、水臭いじゃないか」
「ハンズス……」
 違う、と言いかけた英雄にハンズスは畳み掛けた。
「マージが大層怒っていてね。どうにもお祝いをしたいみたいだよ」
 英雄の顔色が瞬く間に青ざめた。ざあ、と血の気の引く音が聞こえたのは、多分気のせいじゃない。クレバスは、心底英雄に同情した。


 少女は、不安げな表情で一同を見渡した。
 金髪によく映える青の瞳が、震えている。胸まで伸びた髪は、ゆるやかなカーブを描いていた。落ち着いた色のワンピースが似合っている。
「あ、あの……」
「気がツイタ、良かったデス」
 にこりとアレクが微笑んだ。
「そこに座るといい」
 セレンが目の前の椅子を促す。しばしの逡巡の後、少女はそこに腰掛けた。
「あ」
 少女が、見覚えがあると言う様にダルジュを見つめた。視線を受けたダルジュが面白くなさそうに舌打ちする。
「店の前で倒れたんだよ。覚えてねーのか」
 少女が口に手を当てる。
「ご、ごめんなさい……私」
「大丈夫デス」
 頬を赤らめる少女の前で、アレクが立ち上がる。
「今、ミルクティー入れマス。飲メル?」
「あ、はい。いただきます」
「良カッタ」
 微笑むアレクとは対照的に、舌を鳴らしたダルジュが休憩室を出て行った。店に戻ったのだ。
「うちの店を探している、と聞いたよ。光栄だね」
 セレンが言う。アレクの差し出した紅茶を見ていた少女は、思いつめた表情をしていた。
「お嬢さん?」
「……サラです」
「サラ。可愛い名前デス」
「あの、本当に」
 ぽたり、と紅茶に涙が落ちた。カップの中にゆるやかな波紋が広がる。
「本当に、バーはなくなってしまったんでしょうか……?」
 サラはスカートの裾を握り締めたまま、聞いた。泣いてはいけない、と思うのに、後から後から涙が零れる。小さく肩を震わせるその様子に、セレンとアレクは目を合わせた。
「ダルジュ……」 アレクが呆れたように言う。
「死刑だな」 セレンが断じた。
 けれど、とセレンはサラを見た。
「たかがバーに、そんな思い入れを抱くとはね。君のような人が?」
「すみません」
 サラが、アレクの差し出したタオルを受け取った。ニ、三度、目にやって、涙を拭き取る。
「そんなに思ってクレル、嬉しいデス」
 アレクの言葉に、サラは顔を上げた。疑問を現すその表情に、アレクが告げた。
「G&G、昼はお花屋さんデス。デモ、もうひとつ顔がアリマス」
 サラの瞳が期待に染まる。その期待を肯定するように、アレクは微笑んだ。
「営業は十八時からだ。まだ大分時間があるが――」
 セレンが外を見た。昼間のせいか、陽光が溢れんばかりに街を照らしている。
「いらっしゃいませ、と言うべきかな」
「そうデス」
 座ったまま膝を組み、顎に手をやっているセレンとは対照的に、立ち上がったままのアレクは、店で客を出迎える時と同じく姿勢を正した。そんな二人が同時に口を開く。
「ご注文は? レディ」
 サラが信じられないと言うように目を見開く。その瞳に、今度は歓喜の涙が滲んでいた。
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