DTH3 DEADorALIVE

「はぁ? DEADorALIVEだぁ?」
 サラの目当てを知ったダルジュは信じられないとばかりに声を上げた。
「サラ、それが飲みたいソウデス」
 夕方、閉店した花屋の機材を通路に移動させながらアレクが答える。店の奥のバーに至る花道を作るのだ。てきぱきと動くアレクとは違い、その言葉を聞いたダルジュの手が止まる。
「それで、なんだ。止めなかったのか?」
「なんで止めるデスカ?」
 アレクが不思議そうに小首を傾げる。てめぇは鬼かとダルジュは吐き捨てた。
「あんなモン、人間の飲みモンじゃ……」
「どうした、ダルジュ」
 ふいに沸いたセレンの声にダルジュが凍り付く。
「あんなモン、人間の飲みモンじゃ……なんだって?」
 嫌味なほど正確にダルジュの言葉をなぞって、セレンはダルジュの背後でぴたりと立ち止まった。数センチもなく、身じろぎしようものなら触れそうな距離。鉢を持ったダルジュの額に汗が吹き出た。
「ダルジュ?」
 耳に囁きかける声はあくまでも真剣で、だから性質が悪いのだとダルジュは内心舌打ちした。
「あ、あの……」
 サラの声にセレンが振り向く。途端に雰囲気が和らいだ。
「待たせたね、行こうか」
 金縛りを解かれたダルジュがほっと息を漏らす。そのまま振り返ると、サラが店の奥に立っているのが見えた。どう見ても十四、五の子供だ。あどけなさを残して、少し頼りない感じがする。贔屓目に見ても、酒を飲みなれているとは思えなかった。
「おい、お前」
 ダルジュの声に、サラが顔を上げた。
「自分が何飲もうとしてるのか、わかってんのかよ」
 DEADorALIVE――別名:セレンの気まぐれカクテル。
 その時の気分でブレンドされる、言わばセレンお任せのカクテルだった。その名の示す通り、飲んだ後の保証はされない。
 一度、新カクテルの味を見てくれと言われ、迂闊にもそれを飲んだ自分の愚かさを、ダルジュが忘れたことはなかった。
 セレンが「お願いする」。その不自然さに、なぜ気付かなかったのか。
 あっという間に連れて行かれたお花畑の向こうに、何人か知った顔が見えた。川を渡るのはよくないと振り返れば、そこにセレンが立っていた。夢見は最悪。翌日、声が掠れるオマケ付きだったのだ。
「噂が、あるんです」
 サラが小さな声で告げた。
「噂?」
 ダルジュが眉をしかめる。
「そのカクテルを飲むと、白と黒の天使が悩みを聞いてくれるって」
 ダルジュはかつてないほど目を見開いた。
 それは――つまり、その噂を立てたヤツもお花畑に旅立ったということなのではなかろうか?
 そうでなければ、別の店の話に違いない。
「だ、そうだ。素敵な話じゃないか」
 優雅に微笑んだセレンが、バーの扉を開く。
「開店にはまだ早いが、サービスしよう」
 サラが嬉しそうに微笑んだ。その表情を、ダルジュは何とも言えない顔で見つめていた。

 セレンがバーの電気を点けると、黒をベースとした店内にブルーの照明がついた。うっすらと浮かぶソファのシルエットが客席を示す。様々なボトルが飾られているカウンター周り以外は、ほとんど闇に近かった。
「暗いだろう? 深海をモチーフにしているんだ」
「すごい……」
 サラは呟いた。まるで来たことのない空間だった。夜の闇、真っ暗な世界に入り込んだようだ。落ち着いた雰囲気に馴染めないのは、自分が子供だからだろうか?
 と、サラはその絵を見つけた。
 小さな木製の額縁に入れられた、昼間の公園の絵が飾られている。スポットライトで照らされたその絵は、そこだけ日向のようだ。
 カウンターの中に入って、準備をしていたセレンが、絵の前で立ち止まっているサラに気付いた。
「その絵が気に入った?」
「え、ええ。なんだか、あったかくなる……」
 サラは絵を見上げた。秋の絵なのだろうか、落ち葉に足を埋めたベンチに、色を失った葉が降り注いでいる。落ち葉の赤と黄色に木製のベンチの茶色さが、なんだか妙に合っている気がした。
「その絵はね」
「どこの誰とも知れねぇ、ジジイが描いた絵だ」
 花の片づけを終えたダルジュが言い捨てた。花屋のエプロン姿ではなく、黒のスーツに着替えている。ダルジュは真っ直ぐにピアノに向かって、調整を始めた。ピアノに触れるダルジュを、サラが意外そうに見つめる。それもまた面白くないというように、ダルジュは続けた。
「セレンがちっとも店に来ない時期があって、なにやってんのかと思ってたらよ。公園で絵を描いるジジイの後ろに立って、一日中その様子を見てやがる。毎日毎日、ジジイはジジイで同じ絵ばっかり描いて、セレンはセレンでそれを見るばっか」
「ちなみに、ダルジュはガリゴリ怒りながら二人を見てたデス。不毛デスネ」
 やはりバーテンダーの格好に着替えたアレクが、サラにそっと耳打ちした。
「その絵の場所は、彼と彼女が初めて出逢い、逢瀬を重ね、家族とも過ごした場所だそうだ。子供達が独立し、妻に先立たれた彼は、その日からずっとそのベンチを書き続けた――なんていう事情を知ったのは、彼が死んでからだがね。彼が死んだ翌日、その場所には彼の息子がいた。唯一の観客に最後の絵を、という遺言を果たすためにね」
 シェイカーを回しながら、セレンが呟いた。ケッとダルジュが吐き捨てる。グラスをカウンターに置いたセレンがサラを呼んだ。
「おいで、出来たよ」
 サラがカウンターに向かう。グラスに注がれるカクテルの色は、真っ赤な血の色をしていた。


 ハンズスの来訪に顔色を失くした英雄の家で、再びチャイムが鳴った。
「あ」
「僕が出る!」
 出ようとするクレバスを押しのけるように、英雄が扉に飛びつく。救いの神でありますようにと願いを込めて、ドアノブを捻ると、確かにそこに女神はいた。
 溢れる香水の匂い。
 完璧なプロポーション、流行の服をきっちり着こなし、整った顔立ち。勝気な瞳が英雄を捕らえる。
「ダイア……!」
 クレバスが言い終わる前に、英雄は玄関の扉を閉めた。
 ドアノブを押さえたまま、がっくりとその場に崩れ落ちる。
「ちょっと! 人の顔見て扉を閉めるなんて、どういう了見よ!」
 ダイアナが扉の外で喚いた。がん、と音がするのは扉を蹴っているのだろう。
「英雄」
 クレバスが英雄の肩に手を置いた。英雄がうつろな笑いを浮かべる。
「……眩暈がする。なんでだろうな」
 頭痛もする、と英雄は呟いた。
「ハンズスに診てもらおうか」
「帰ったよ」
「え?」
 クレバスの言葉に英雄は顔を上げた。
「ダイアナが扉を蹴った辺りで裏口から帰った。マージには上手く言っておくから、ちゃんと仲直りするんだぞってさ」
 絶望的な表情をする英雄の後ろで、また扉が蹴られる音がした。
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