これ以上玄関先にダイアナを放置すると、また何をするかわからないというクレバスの提案を受けて、英雄はしぶしぶとダイアナを家の中に案内した。
「ストレートティーでいいわ。アールグレイね。なければ買ってきて」
居間のソファに座ったダイアナが横柄に言い放つ。
「だ、そうだよ。クレバス」
「あ、そう」
クレバスはキッチンの戸棚を開けた。
「アールグレイ、あるよ。賞味期限が切れてるけど」
「それでいいんじゃないか?」
ご要望は満たしているわけだし、と英雄は頷いた。
「どういう躾してんのよ」
ダイアナが憮然とする。その隣にある海外旅行にでも行きそうな大きなスーツケースに英雄が目をやった。
「……それは?」
「着替えとか色々。当分ここに住むんだから、必要なものを持ってきたの」
「クレバス、翻訳してくれないか」
英雄がこめかみを抑えた。
ティーセットを手にしたクレバスが、ダイアナにカップを差し出す。
「ダージリンだけど、それなりに美味しいと思うよ。で、荷物がなんだって?」
「ここに住むって言ったの」
「ここに住むってさ、英雄……え?」
クレバスが中腰の姿勢のまま、動きを止める。
「ここに!?」 クレバスが叫ぶ。
「そうよ」
当たり前でしょう、とダイアナは頷いた。
「事務所で襲われたの、しっかり見てたじゃない。危ないとか、思わないわけ? 気が利かないったらないわ」
「いや」
そういう問題じゃないだろう、と英雄が言った。
「ホテルなりなんなり、用意するよ。セキュリティのしっかりしたところを。だから、そっちで……」
「アタシが嫌」
ダイアナが尊大に言い放つ。英雄の中のなにかが、ぶつりと切れた。
英雄が顔を上げる。殺気が顔に滲んでいた。
「僕らの生活のことは丸っきり考慮されないわけだな。今だってありがたいことにパパラッチが家の周りをうろついてる。年上と年下、二羽のツバメを囲ってるなんて噂が立ったら、君だって困るだろうに」
「ツバメ?」
クレバスが首を傾げる。君は知らなくていいと英雄は告げた。ダイアナが目を細める。
「ツバメ、ねぇ」
ふうん、と頷きながら、ダイアナがクレバスに手を伸ばした。細く伸びた指先が、クレバスの顎を捕らえる。
「そんな気はさらさらなかったけど、それはそれでいいかな……?」
クレバスの顔を覗き込むように、ダイアナが顔を寄せた。目を丸くしたまま動かないクレバスを、英雄が抱き寄せる。
「ダメだ! まだ子供だぞ!」
「何よ、自分で言っておいて」
ダイアナが小鼻を鳴らす。バランスを崩して英雄にもたれるような格好になったクレバスは、英雄を見上げた。
「何の話だよ」
子供呼ばわりされたことにむっとする。なんと答えたものかと英雄が思案するのをよそに、ダイアナが足を組み直した。
「とにかく、目当てのコインを見つけるまであたしはここにいるわよ。灰皿、どこ?」
「家の中は禁煙だ」
「あ、そう」
言ったダイアナが煙草をくわえ、火をつける。驚く二人の目の前で吐き出された煙が、家中に広がっていった。
赤く揺らめくようなカクテルの色彩に、サラは目を細めた。オレンジと赤がゆっくりと混ざり合う。早く飲めと急かしているようだ。
これを飲めば、自分は何か変わるだろうか。
サラは、グラスに手を伸ばした。
「いただきます」
「どうぞ」
セレンが空のグラスを磨きながら答える。サラがグラスのふちに唇を触れさせた瞬間、扉が乱暴に開け放たれた。驚いたサラが振り返る。
バーの入り口に、昼間現れた白装束の男達がいた。
「開店は十八時からだ」
セレンが不快そうに告げる。男達は無視した。中央からひとり、褐色の肌に金髪、青い瞳を持つ青年が歩み出る。その姿を見たサラが顔色を変えた。
「サラ様」
「ラスティン……」
サラがわずかに怯えた表情をした。ラスティンと呼ばれた青年が、にこりと微笑む。
「お探ししました。心配しましたよ。こんな場所は貴女にふさわしくありません。さあ、帰りましょう」
ラスティンが差し出した手を、サラはじっと見ていた。ふいに、視線をそらす。
「ごめんなさい。もうちょっと、待って。まだ、私……」
サラの視線はカクテルを見ていた。気付いたセレンが口を開く。
「彼女はうちの客だ。少なくとも、それを飲み終わるまではな」
「セレンさ――」
サラがほっとしたように顔を上げる、その瞬間だった。店内に銃声が響く。サラの脇に置かれたセレンのカクテル――DEADorALIVE――を入れたグラスが、その幸運と不運をあたりにぶちまけながら、粉々に砕けていた。
ラスティンが、悠然と微笑む。その手には白く塗装され、金縁の飾りがあしらわれたアンティークのような銃が握られていた。
「ラスティン……!」
サラが振り向く前に、男達から次々と銃弾が打ち込まれる。カウンター周りにあった酒のボトルが次々に割られていった。
「やめて!」
サラが叫んだ。
「てめぇ!」
ダルジュが勢い込む。
「これで当分休業ですね。残念です――さあ、あきらめて帰りましょう」
「出口、アッチデス」
いつの間にか、ラスティンの背後をアレクが取っていた。わずかに動揺したその瞬間を見逃さずに、アレクがラスティンの腕を背後に捻りあげる。ラスティンの手から銃が落ちる。首筋に当てられたナイフの感触に、ラスティンが息を呑んだ。
「貴様!?」
白装束の男達がどよめいた。銃口をアレクに向けようとし、その眼を見て怯む。普段の穏やかなアレクからは想像も出来ないほどの、殺気が滲んでいた。
「余計なことを」
「え?」
セレンが呟いた言葉を、サラが聞きとがめた。カウンターの下で輪を描いていた鋼糸を、セレンが納める。同じくピアノの死角で銃を構えていたダルジュも、それを下ろした。
「サラ」
急にアレクに呼ばれて、サラは慌てて返事をした。
「は、はい!」
「アナタ、この人達と帰りたいデスカ?」
サラは白装束の男達を見た。ぎゅっと唇を結ぶ。帰りたくはない。
視線を下にやると、割れたグラスが見えた。飛び散ったカクテルの行方を追う様に、店内を見渡す。あちこちに弾痕が見られる店内は、先ほどまでの静けさが嘘のようだった。割れたボトル、壊れた照明、そして――それを見つけた時、サラは息を呑んだ。
セレンが大切にしていた絵、その額縁が欠け、弾丸が食い込んでいる。キャンパスが捻れ、奇妙な渦を描いていた。
「私……」
サラの唇が震える。
「サラ様」
ラスティンが呻いた。
「黙ル」
アレクがその腕を捻る。
「私……」
サラの大きな瞳に涙が溢れた。
それ以上、言葉は出てこなかった。決めなければならない、その背を押して欲しいとここに来たのに。
言葉もないまま、下を向くサラの様子を見たセレンが、顔を上げた。
「お引取り願え、アレク」
アレクが頷く。サラはただ俯いて、割れたグラスとボトルの破片が煌く床を見ていた。
第2話 END