DTH3 DEADorALIVE

第3話 「真夜中の密談」

 どうにか夕食をこなし、片付けを終え、部屋に戻ろうとしたクレバスの肩を英雄が掴んだ。
「なに?」
「いいか、クレバス。内側から鍵をかけろ。絶対に、何を言われても開けちゃダメだぞ」
 怖いくらい真剣な顔で英雄が告げる。
「アタシは猛獣扱いなわけ?」
 ダイアナが憮然とした。その口に新しい煙草が銜えられる。
「家の中は禁煙。さっき、言ったろう」
 火をつける直前の煙草を、英雄が取り上げた。
「僕の部屋が二階にある。あいにく客間なんてものはないから、そこで寝るといい」
「ありがと」
 英雄の手から煙草を取り返したダイアナが、やはり煙草を銜えながら二階へ登る。大きなスーツケースを器用に持って行った事に、クレバスは内心驚いていた。ダイアナの細身とは対照的な大荷物。重そうだから、てっきり自分達に運ばせると思ったのだ。
「二階で寝るって……お前は?」
「そこ。居間で寝るよ。ソファがあるし」
 ごく当然のように英雄は言った。
「これから毎日?」
 クレバスの疑問に英雄が詰まる。
「彼女がいなくなるまでの短い間、だ。毎日じゃない」
 ため息をつきながら、自分に言い聞かせるように英雄は言った。途端に、はっとしたように顔を上げる。
「しまった……!」
 慌てて二階に駆け上がると、英雄は素早くノックし、自室の扉を開けた。
「ダイアナ!」
「あら」
 服を着替えていたダイアナが、上着を脱ぎかけたまま振り返る。
「失礼!」
 英雄が慌てて扉を閉めた。
「構わないわよ。何の用?」 部屋の中からダイアナが尋ねる。英雄は扉に背を預けながら答えた。
「部屋の中、触らないで欲しいんだ。机の中とか、ね」
「クローゼットは借りていい?」
「ご自由に」
 言った英雄が扉の前で座り込む。これが毎日続くのかと思うとうんざりした。知らず、またため息が漏れる。
「あんなこと言ったら、余計に机漁ると思うんだけど」
 クレバスが言う。英雄はぼんやりとクレバスを見上げた。
「ああ……そうだね」
 でも大丈夫、と英雄は腰を上げた。ひそり、とクレバスに耳打ちする。
「マズいものはクローゼットの中に入ってる。オープンに使っていいと言われたものって、なんでか裏まで探そうとはしないんだよね、人って」
 本当はクローゼットどころか家中にいろいろあるけど、と英雄は伸びをした。
「じゃあ、おやすみ。クレバス。くれぐれも鍵をかけ忘れないように」
「わかった、おやすみ。英雄」
 クレバスが部屋に入る。鍵がかけられたのを見届けて、英雄は居間へと戻って行った。

 部屋に戻ったクレバスは、そのまま窓を開けた。夜の新鮮な空気ではなく、煙草の匂いが舞い込んでくる。簡単な室内着に着替えたダイアナが、窓枠に腰掛けながら煙草を吸っているのが見えた。
「落ちるよ?」
 クレバスが声をかけると、ダイアナは初めてクレバスに気付いたようだった。
「最大限の配慮中よ。文句あるの?」
「別に」
 言ったまま、クレバスは窓から外を見ていた。ダイアナが眉をひそめる。
「なんか、話でもあるんじゃないの?」
「ないよ」
 クレバスは外を見ながら告げた。街の明かりがせわしなく動いている。付近の道路を見渡しても、不審な人影はなかった。
「ダイアナはお客さんだから、そうやってる間はオレも外を見ておかないと」
 危ないしね、と言われた言葉にダイアナが眼を丸くする。煙草を持つ指先がわずかに震えた。
「は、あんたみたいな子供が?」
「子供じゃない!」
 むっとしたクレバスが抗議する。夜風にクレバスの金髪が流れた。ダイアナがくすくすと笑う。
「どう見ても子供よ、馬鹿」
 言い捨たダイアナが、思い切り窓を閉める。その激しさに、クレバスは思わず肩をすくめた。
「なんだよ、もう」
 あっけにとられたクレバスが一人ごちる。その後しばらく、クレバスは夜風に当たっていた。

 ダイアナはシガレットケースを握り締めた。腹立ちまぎれに、ベッドに叩きつける。あれでは、まるで自分が不安がっているようではないか。指先のわずかな震えも、それを認めたようで、何もかもが癪に障った。
「アタシは、怖くなんかない……!」
 ダイアナはわなないた。水でも飲もうと思い立って、階段を下る。小さな明かりのついたキッチンの隣に、居間がある。すでに電気の消された居間で、ダイアナはその人影を見つけた。内心の動揺を極力気取られぬよう、声をかける。
「……驚いた。起きてたの?」
「ああ」
 英雄は答えた。真っ暗な居間の中、ソファに座っている。
「少し、考え事をしていた」
 先ほどまでとはまるで違う、硬い声で英雄は答えた。
「あの子、私のガードをしている気になっていたわ。流石と言うべきなのかしら。アメリカ中の探偵を調べて、ここにした甲斐があるっていうか」
 コップに水を入れ、ダイアナが一口飲む。口元を手で拭うと、英雄は告げた。
「なぜ、僕らに?」
 ダイアナが顔を上げて英雄を見る。英雄は膝の上で組んだ手に、顎を乗せた。
「ずっと考えていた。僕らは、知名度があるわけじゃない。表立った事件解決もほとんどしていない。なのに、君は僕らを選んだと言う。引く手数多の大手ではなく、有名人でもない、僕らに」
「それは……」
「“調べた”」
 ダイアナの前で英雄が身じろぎもせずに告げた。
「このところ、数ヶ月で独り身の探偵達が次々と消えている。友好関係は希薄、常に一人で動き、消えたところで探すような親族もいないヤツばかりだ。表に情報が上がっているような探偵は、もうほとんど連絡がつかない――」
 ダイアナが手にしていたコップを置いた。かつん、とガラスがテーブルに触れる音が響く。
「彼らが消える前に目撃された共通点はふたつ。ブロンドの美女と、白い装束の男達」
 淡々と告げていた英雄が視線を上げて、ダイアナを見た。昼間の穏やかな目とは違う、ガラス玉のように冷め切った瞳だった。射るような視線に、ダイアナが思わず息を呑む。
「僕らとの共通点は、身寄りがないってとこだ」
 ダイアナは、黙って英雄を睨んだ。意思の強い瞳は揺らがない。
「君が――」
 英雄は告げた。

「僕らが消えても構わないと思ってここに来たのなら、僕は君を許さない」

 二人が対峙する、その間に言葉はなかった。時計の秒針が進む音だけが、居間に響く。
 英雄も、ダイアナも、動こうとはしない。
 張り詰めるような沈黙を破ったのは、ダイアナだ。
「……そんな眼で、見ないで」
 くしゃりと髪をかきあげると、ダイアナは自嘲気味に笑った。
「そんなこと、思ってないわ。本当よ」
 ともすれば泣き顔にも見えるその笑みに、英雄は瞳を伏せた。
 暗闇の中で輪郭を見出すように、テーブルを見つめる。
 長く黙っているのは、ダイアナを責めているためではない。英雄はただ、迷っていた。
 彼女の事情に踏み込むか否か――逡巡をくどいぐらいに重ねる。組んだ指に力を込めたところで、結論は、否――。
「なんだよ、二人ともこんな真っ暗な中で」
 部屋の明かりを点けられて、英雄とダイアナが廊下を振り向いた。呆れたような顔をしたクレバスがそこに立っている。
「オレだけ除け者ってのもないんじゃない?」
 そう言って、クレバスはキッチンに入り込んだ。椅子を引いて腰掛ける。驚きを隠さないダイアナの前で、にこりと笑ったクレバスは英雄に声をかけた。
「で、どこまで話を聞いたのさ」
 暗い居間の中で、手を組んでいた英雄が、ふっとため息をついた。その唇が笑っている。
「どこまでもなにも、これからさ」
 立ち上がった英雄は、明かりの点いたキッチンに足を踏み入れた。信じられないといった表情のダイアナにぎこちなく笑いかける。
「君も座ればいい。長い夜になりそうだ。クレバス、コーヒーでも入れてくれ」
「オーケイ」
 クレバスが立ち上がる。やがて、コーヒーメーカーが豆を挽く音と共に、キッチンに濃厚なコーヒーの香りが漂い始めた。
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