DTH3 DEADorALIVE

「彼らは、私の持つ銀貨を探しているんです」
 サラはそう言って、テーブルの上に銀貨を置いた。サラがこの店を訪れた際に、地図と共に握り締めていたあの銀貨だ。
 アレクはああ、と頷き、セレンは一瞥もしない。ダルジュは一度だけ視線をやって、けっと舌打ちした。
「そんなモンの為に店がこの有様かよ」
「ダルジュ」
 サラが詫びる前に、セレンが釘を刺した。荒れた店内を片付けた後、従業員室でサラの話を聞くことにしたのだ。サラは片付けの間中、平謝りを重ねて、片付けが終わると店を出ようとした。それを止めたのはセレンだ。
 表情の見えないセレンに、なにかを察したダルジュが口をつぐむ。アレクに促されて、サラは再び話を始めた。
「……私の祖父は、アリゾランテの始祖でした」
「アリゾランテ?」
 アレクが小首を傾げる。セレンが補足した。
「新興宗教のひとつ、だな。先日、開始者が死んだと聞いた。それが」
「私の祖父です」
 サラは頷いた。思い出を重ねるように、銀貨を見つめる。
「宗旨自体は、ごく平和なものなんです。隣人に感謝せよ、人を憎むなという、人類愛的な宗派でした。でも……」
 サラは唇を噛んだ。
「祖父が死に際に私と姉を呼んで、コインを託した時から、何もかもが変わってしまった――」
 アレクはテーブルの上の銀貨を見た。どこか外国の通貨かだろうと思っていたが、どうやら事情が違うようだ。
「この銀貨は、世界でただひとつだけのもの。祖父の遺産の鍵になっています。遺産は……」
 サラは思い出していた。病院の真っ白な部屋で語られた祖父の言葉のひとつひとつ、姉と自分の手を取り、後を頼むと告げたその手の感触。その全てを絞り出しながら、サラは告げた。
「世界の全てを、滅ぼす力を持つ物です」


「世界の全てを、救う力を持つ物よ」
 ダイアナが話し終わると、しばらくキッチンに沈黙が流れた。暖かかったコーヒーはすっかり冷めてしまっている。
「具体的には?」 英雄が聞く。
「さあ? 知らないわ」 ダイアナが答えた。
「待て。ちょっと、おかしくないか?」
 英雄が額に手をやる。情報を整理しながら、ダイアナに尋ねた。
「君は金貨を持っている。対の銀貨を持っているのは妹さんだ。そして、君は僕に銀貨を探せと言った。金貨と銀貨は詳細もわからない遺産の鍵になっている」
「そうよ」
 ダイアナがコーヒーを啜る。
 英雄の目が三度ほど瞬いた。
「君が、妹さんに連絡すればいいだけの話では?」
「無理」
 馬鹿ね、とダイアナが告げる。
「あの子は、田舎のおばのところに預けていたんだけど、一昨日、連絡があってね。一人でどこかへ出かけたっきり、戻っていないそうよ」
「ああ、なんだ」
 クレバスが頷いた。
「じゃあ、ダイアナは初めからコインを探しているわけじゃなかったんだね」
 続くクレバスの言葉に、英雄が意外そうな顔をする。
「え?」
「妹を探していたんだ。そうでしょ?」
 言われたダイアナが、かっと赤面した。
「別に! そういうわけじゃないわ」
「ふうん、そうなんだ」
 英雄が頷いた。いらついたようにダイアナが立ち上がる。
「あの子は昔からトロくさかったもの。どこかで道に迷ってるだけよ!」
 そのままキッチンを後にしようとするダイアナに英雄が声をかけた。
「まだ話は終わってない」
「終わったじゃない」
 ダイアナが立ち止まる。
「探偵達はなぜ消えた?」
「探偵?」
 クレバスが疑問を呈する。ダイアナは英雄を睨んだまま、眼を細めた。
「祖父の遺産の正体を探そうとしたら、皆いなくなってしまったのよ。これで満足?」
 捨て様にそう言うと、わざと足音を響かせてダイアナは階段を駆け上がった。ヒステリックに扉を閉める音に、クレバスが肩をすくめる。
「うわ、なんかすごいね」
 感心したようにクレバスが言うと、英雄は何事かを考えているようだった。
「英雄?」
 黒く深い瞳が、カップの中でたゆたうコーヒーを映している。
「妹さんの行方がわからないから、か」
 英雄が呟いた。
「え?」
「ほら、僕を婚約者に仕立てて報道陣の前に引っ張り出したろう? てっきり依頼を受けさせるためかと思ってたんだが、もうひとつ理由があったんだな」
 わからない、という顔のクレバスに英雄が告げる。
「妹さんの行方はわからない。だから、自分はここだとアピールした。無事なら、連絡を寄越せという意味さ。僕らもターゲットにセットできて一石二鳥。アリゾランテの目も引けて、三鳥かな?」
 英雄に言われて、クレバスは思い出した。窓から身を乗り出して煙草を吸っていたダイアナの、白く長い指先が震えていたのを。
「英雄、オレ」
 クレバスが立ち上がる。
「鍵は内側からかけておいてくれ。これは君の為だ。それから、彼女の為に警戒を怠らないこと」
 英雄がすっかり冷め切ったコーヒーを飲む。苦味が舌にさわったのか、顔をしかめた。
「わかった! おやすみ!」
 クレバスが階段を駆け上がる。その後姿を見送って、英雄は居間を振り返った。今晩のベッドであるソファが、手招きをしているようだ。
「……短期戦、とはいかないかも知れないな」 
 ぼそりと、ソファに向けて英雄は呟いた。


 疲れてソファで眠ってしまったサラに毛布をかけて、アレクはそっと従業員室の電気を消した。
 店を出ようとして、セレンの姿がないことに気付く。左右を見渡したアレクは、ためらいなくバーへの扉を開けた。
 バーには、生き残った照明がついていた。黒を基調とした装いの店内に、ブルーのライトが光る。深海を思わせる装いのカウンターの中に、セレンがいた。空になったボトル棚を見ているようだ。かつてはそこに、様々なブランデーとアルコールが所狭しと並んでいた。物に執着しないセレンが、自分から集めてきたのはそれだけだったのかもしれない。アレクが声をかけようすると、気付いたダルジュがよせと言わんばかりにアレクの裾を引いた。
「……久しく、忘れていたよ」
 セレンが言う。低い、しかし心地良い重みを伴った声はあくまで優雅さを保っていた。その裏に、潜むような棘がある。くく、と喉で笑うその声にも、残酷さが滲んでいた。
「セレン」
 アレクが声をかける。セレンがゆっくりと振り向いた。
「誰に牙を剥いたか、きちんとわからせてやろうじゃないか。しっかりと躾けなければね」
「ダメデス」
 アレクがセレンを正面から見据えて言った。アレクの瞳を受けたセレンが悠然と微笑む。瞬間、ダルジュがアレクを突き飛ばした。
「ダルジュ!?」
「く……!」
 壁にぶつかり、振り返ったアレクは見た。先ほどまで自分がいた空間、そこに走る光の輪を。ブルーの照明を受けて輝く、鋼糸だ。アレクを突き飛ばしたダルジュの腕を掠めたのか、服が裂け、わずかに血が滲んでいる。
 それを見たアレクが怒りを顕にした。
「セレン!」
 鋼糸を巻き戻したセレンが、なんの気なしにアレクを見る。その瞳には、薄い軽蔑の色が宿っていた。
「何か、勘違いをしているようだな」
 ゴミを片付けただけだ、とセレンが踵を返す。その瞬間、ダルジュ達の後ろで男が倒れた。纏っている装束に見覚えがある。
「いつの間ニ……!?」
 まるで気付かなかったとアレクが言う。ダルジュが即座に男を縛り上げた。その様子を見ていたアレクが我に返ってセレンを振り返る。もうカウンターの中にセレンはいなかった。肩を落としたアレクが、ため息をつく。
 後悔を滲ませるアレクを横目に、縛り上げた男を肩で担いだダルジュは、それに気付いた。
「おい、あれ……」
 言われたアレクが顔を上げる。ダルジュの視線をたどり、セレンの気に入りの絵に目をやった。
 銃弾を受け、捻れたはずの歪んだ絵。そのキャンパスが、元に戻されている。皺のひとつひとつが丁寧に伸ばされていた。
「セレン……」
 アレクが呟く。その声に呼ばれたように、夜道を歩いていたセレンが振り返る。空には三日月がおぼろげに輝いていた。


第3話 END
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