DTH3 DEADorALIVE

第6話 「立ち止まる、その場所で」

 現在ニューヨークには約一七○○の公園がある。英雄が足を踏み入れたリバーサイドの公園もそのひとつだった。川沿いにあるせいでリバーサイドと呼ばれているが、観光地でもあるリバーサイド・パークとはまるで似ても似つかない。広いとは言いがたい敷地内で、管理が途中で放棄されたのか、それとも自然化させる算段でもあるのか、公園内の緑は勢いよく伸びきっていた。ボランティアの草むしりが、かろうじて公園内の細く長い道を埋もれさせずにいる。
 ちょうど昼食時のせいだろう。公園内に人影はまばらだった。犬を連れた老夫婦がベンチに腰掛けながらサンドイッチを食べている。若いカップルがじゃれあいながら通り過ぎるのを横目で見て、並木道に入ると、英雄は大きく伸びをした。
「なんとかまいたか」
「馬鹿が」
 ケッとダルジュが舌打ちする。英雄に引っ張られて伸びたビンテージ服の裾を忌々しそうに見つめた。顔にはっきりと不快感が表れている。
「お気に入りだった?」 英雄が振り返りながら歩き出す。
「うるせぇよ!」 ダルジュは半ば駆けるようにして英雄の前に躍り出た。そのまま振り向かずに肩を怒らせて歩き続ける。いつもより早足だ。
 そんなダルジュの後ろ姿を見て、英雄は小首をかしげながら頭を掻いた。
 アリゾランテの使徒に囲まれた廃屋でダルジュが啖呵を切った瞬間、その場にいた誰もがダルジュに注目した。すかさず英雄はそばにあった椅子で窓を割り、ダルジュの腕を掴んで家を飛び出し、一目散に――逃げた。何人か追おうとする信徒の膝に銃弾を打ち込んだが、許容範囲だろう。ふう、と息が漏れる。
「本当にそれが通ると思ってんのか」
 ダルジュの声に英雄が顔を上げた。ダルジュが立ち止まっているのを見て、自分も足を止める。木漏れ日の合間に、鳥の声がした。
 奇妙なほど長い沈黙の後に、ダルジュは振り返った。睨みすえるような視線が英雄を貫く。英雄はダルジュから目をそらさなかった。
 嗚呼――以前も、セレンに言われたことがある。英雄は回想した。
『殺さない。それはいいだろう。だが、それでどうする?』
 相手が改心するわけはない。恨みを持つ者をこの手で増やして辺りにバラまいているのと、なんの違いがあるのだろう。
 芽は摘むべきだ。ずっとそう教えられ続けてきたし、英雄自身もそれが正しいと思う。
『誓うよ。僕はもう誰も殺さない』
 何度も破ってきた約束だ。今さらなんの意味も無い。けれど。
 英雄は微笑んだ。
「僕は善良な市民を目指してるんだ」
 ダルジュが唾を吐き捨てる。踵を返し、肩を怒らせたまま歩き去っていく。去り際の視線は明らかに軽蔑の色を宿していて、英雄はただダルジュの背中を見送っていた。


 昼食後の暖かなミルクの味に、サラはほっと息をついた。
 足元で眠るジャックの気配にも、この家にも、ようやく慣れてきた気がする。
「お味どうでした?」
 カトレシアに微笑みかけられて、サラは慌ててうなずいた。
「おいしかったです! すごく!」
「良かったですわ」
 にこにこと笑う、その雰囲気が丸い。可愛い、というのはこういう人に使う言葉なのだろうとサラは思った。自分もそうありたいと思うけれど、まるで違う。
「暇なら、なにかテレビでも見るかい? 映画があったかな?」
 カトレシアの父がリモコンに手を伸ばした。テレビが独特の起動音を立てる。
「そう言えばカトレシア、知っているかい? 英雄君がテレビに出ていたぞ」
「英雄さんが?」
「そうそう、婚約とかなんとか。ああ、ほら――」
 二人の会話を聞きながら、サラはテレビに目をやった。
 どこかのワイドショーらしい。眩しいばかりのフラッシュの中、抱擁し口付けを交わす男女の姿が見える。ダイアナ・婚約の文字がモニターの隅に躍っていた。カップを抱えたサラの動きが止まる。瞳が驚きに見開かれた。
「まあ、英雄さんたら」
 カトレシアは驚いたようだった。
「中々やるじゃないか」
 カトレシアの父が満足そうに頷く。
「お姉ちゃん……」
 サラが呟く。
 カトレシアとその父が意味を理解するまでに、数十秒の間があった。


『G&G 臨時休業のお知らせ』
 クレバスは目の前にある張り紙を凝視した。
 学校が終わってついふらふらと足が向いて、G&Gにやって来た。角を曲がり、G&Gのある通りに足を踏み入れた瞬間、違和感が襲った。いつもなら通りに花が溢れ、アレクなりダルジュなりが姿を見せているのに、それがない。ひっそりとした店は、まるで活気のかけらもなかった。閉まっているのだ。
 知らず小走りに店に駆け寄る。表の通りに向けたG&Gの入り口はシャッターが降りたままだ。そこに、小さな張り紙がある。セレンの字だ。
「休業って」
 クレバスは呟いた。店を見上げる。これといって異常は見えない。それでも――クレバスは、気付いた。空気が、違う。どこかささくれ立っているような気がした。
 なにか、あった……?
 昨夜アリゾランテの使徒がG&Gを襲ったことなど、クレバスが知る由もない。けれど、空気がわずかに殺気の余韻を残している。クレバスはそれを敏感に感じ取っていた。
 左右を見回し、もう一度店を見上げて、クレバスは裏口へと向かっていった。

 店内に甘い花の香りが満ちている。アレクは傍にあった花を手早く束ねると、壁際のフックに引っ掛けて逆さに吊るした。もう何種類もの花がそうやって吊るされている。残りの花の数を数えた時、G&Gの裏口に鍵を差し込む音がした。セレンだろうか。朝、まだ眠気の余韻を引きずった自分に肩をすくめながらもミルクを渡して、飲んでいる間にどこかへ行ってしまった。いいや、カトレシアとダルジュが来た時にはいたのだから……朝からの記憶を引きずり出したアレクは、眉を寄せた。相変わらずふらふらといなくなるセレンに、なぜか腹が立つ。
「ドコ行ってたデスカ」
 言いかけたアレクが、振り向く。そこにクレバスがいるのを見て、アレクはぱっと顔を輝かせた。
「クレバス!」
「表の貼り紙見たよ。なに、あれ」
 クレバスは顎で店先を指し示しながら、店内に足を踏み入れた。
「ああ、ソレハ――」
 説明しかけたアレクの口に、白い手が伸びる。長い指先を持った手のひらが、アレクの口を押さえた。その姿を見たクレバスの瞳が驚きに見開かれる。
「事情があってな」
 セレンだ。
 いつの間に戻って――いや、後ろに回ったのか、まるで気配に気付かなかった。アレクがセレンを睨みつける。セレンは見下げるようにアレクを見た。鼻で笑うような表情を認めたアレクに怒りの感情が沸きあがる。
「事情って」
「こちらの話だ。話すつもりはない」
 セレンの言い方にはすがる余地もなかった。
 しばらくセレンの顔を見つめていたクレバスは、仕方なさそうに肩をすくめた。セレンは本当に言う気がないようだ。
「そっか」
 じゃあしょうがないね、と踵を返す。瞬間、セレンの手を振り払ったアレクが叫んだ。
「クレバス、用事それだけデスカ?」
 クレバスの動きが止まる。ギュートの顔が脳裏をよぎった。
『世界が、違うんだと思ってる』
「あ……」
 言葉が零れそうになる。クレバスは振り向いた。
「うん、そう。店閉まってたから、気になってさ」
 あはは、と笑い飛ばす。アレクはにこりともせずに心配そうな顔をしていた。伊達に共に暮らしていたわけではないのだと、その表情が告げている。こっちが笑っているのだから、笑ってくれればいいのに。そんな顔をされたら、長く微笑んでいられない。居心地の悪さを感じながら、クレバスは視線をそらした。
「またバイトが必要になったら、呼んでよ」
 自分は笑っているのだろうか。頬がひきつっている気がする。
「クレバス!」
 アレクの声を背に受けながら、クレバスは裏口を飛び出した。何度も出入りしているはずのこの店を、こんな気持ちで出たことはなかった気がする。
 何を言って欲しかったのだろう、自分は。
 ここにいればいいと、アレクなら言ってくれる。そう期待したのか。けれど。
『こちらの話だ。話すつもりはない』
 セレンの言葉は明らかな拒絶だった。目の前でラインを引かれたようだ。そのラインの内側に、クレバスはいない。
 知らず歯を食いしばる。クレバスはいつの間にか駆け出していた。

「クレバス……」
 閉まった裏口のドアを見つめながら、アレクが心配そうに呟いた。
「なんだあれは」 
 セレンが嘆息する。瞬間、怒りを込めてアレクは振り向いた。
「なんデスカ、アレは!」
「なにがだ」
 掴みかからんばかりの勢いすら流しながら、セレンが聞いた。
「あんな言い方ナイデス! クレバス傷つきマス!」
「子供じゃあるまいし」
 セレンが鼻で笑う。
「マダ子供デス」
 むっとしながらアレクが抗議した。セレンが意外そうな顔でアレクを見る。
「……そう思っているのか」
「ナンデス」
 アレクの顔をじっと見つめたまま、セレンはふうんと頷いた。
「あの子も、苦労が絶えないな」
 なおも続くアレクの抗議を完全に聞き流しながら、セレンが新聞を広げる。朝はばたついて読み損ねてしまった。これといった記事もないが、暇つぶしにはなるだろう。
 一口、コーヒーを啜ったセレンが首を傾ける。耳を掠めながら、アレクの投げたハサミが飛んでいった。
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