DTH3 DEADorALIVE

 やれやれとソファに腰を下ろした英雄を見て、クレバスの口にくわえられたポテトチップスが音を立てて割れた。自分を凝視しているクレバスに気付いた英雄が顔を上げる。
「どうした、クレバス」
「だって、英雄」
 英雄はごく自然にクレバスの対面、ダイアナの隣に腰掛けていた。もうハンズス達はいないのに、である。
「ああ」
 視線に気付いた英雄が、横目でダイアナを見やる。
「そっか。クレバスはまだ若いもんな。わかんないか」
「え? なにが?」
「僕らが」
 言った英雄がダイアナの腰に手を回した。ダイアナの唇が妖艶に微笑む。そのまま英雄にもたれると、ダイアナは腕を絡めた。腕の白さが艶かしくて、思わずクレバスが息を呑む。
「こんなことが出来ちゃうのは、お互い心底どうでもいいと思っているからだよ」
 朗らかに英雄が告げた。
「本当にね!」
 瞬間、再びダイアナのヒールが英雄の顔面を直撃した。英雄がテーブルに突っ伏すのにも構わずに、手を払いながらダイアナが立ち上がる。
「あんた、この男の言うこと参考にすべきじゃないわ。ロクな男にならないんだから!」
 早業に驚いたクレバスは、唖然として英雄とダイアナを交互に見ていた。
「ちょっと、わかってるんでしょうね? この貸し高くつくわよ!」
 突っ伏したまま動かない英雄にダイアナが吐き捨てる。そのまま居間を立ち去ろうとしたダイアナは、携帯の着信音に動きを止めた。ポケットから取り出し、液晶画面を確認する。ちっと舌打ちをして、ダイアナは電話に出た。
「なんですって?」
 不機嫌さを隠そうともしない。随分横柄な受け答えだと思いながら、クレバスは目の前の英雄を見やった。相変わらずぴくりとも動かない。
「大丈夫?」
「……死にそう」
「だろうね」
 見てわかるよ、とクレバスは肩をすくめた。
 ダイアナの携帯電話の向こうでは、ごった返したオフィスの中でマネージャーがクレバスと同じく肩をすくめていた。随分と小柄な男。赤く太いフチの眼鏡を丸っこい鼻で受けながら、とっくにカオスと化した机の上の書類をまさぐって、どうにかしてメモ用紙を引っ張り出す。
「電話があったんですよ。えっと、なんでしたっけ。絶対教えろって言った、シ? 違うな。えっと」
 掴んだメモ用紙が違うことに気付いてマネージャーは眉を顰めた。ぽいと投げ出しながら、再び机の上の書類を飛ばし始める。
「僕じゃなくて受付嬢が取ってんですがね。メモが。ええと、誰でしたっけ。ス、違うな。ああ」
 再び指先がメモ用紙の感触を探り当てた。引き抜いたそれを見て、マネージャーが満足そうに微笑む。
「サラ」
「えっ」
 ダイアナが息を呑むのに気付いたクレバスが顔を上げた。相変わらず居間に立ったままのダイアナが、携帯電話を片手に頷いている。
「ええ、そう。連絡先は?」
 相手が番号を告げているのだろう。ダイアナは天井を睨んでいた。無意識に腰にやった手が、自分を支えているようだ。
「……わかったわ」
「ダイアナさん、わかってるんでしょうね。明日のスケジュー」
 相手の話途中でダイアナは通話を切った。無意識に唇を噛み締めて、ナンバーに手を伸ばす。
「誰? 今の」
「マネージャーよ」
 答えながらダイアナは通話ボタンを押した。今さっき聞いたばかりのサラの滞在先。ホテルではないようだとマネージャーが言っていた。
 コールの音が聞こえてくる。
 ダイアナは、静かに目を閉じた。


 受話器を置く音が静かに廊下に響いた。
「今、姉はいないそうです」
 サラが申し訳なさそうに告げる。
「残念でしたわね」
 カトレシアがしょんぼりとうなだれた。テレビを見たサラは、姉に連絡をしていないことを思い出した。携帯の番号を忘れてしまったという彼女に、事務所に電話をかけさせたのだ。
「姉になんか会ってどーする気だ」
 帰宅したダルジュがソファに体を沈めたまま声をかけた。膝の上に乗ろうとする子犬をめんどくさそうに掴みあげる。
「姉のところにも、教団の人間が行っているかもしれません……。だから、会って」
 サラはうつむいた。
「それで?」
 ダルジュの言葉に、サラが詰まる。
「姉のとこに行くっつーならそれはそれで構わねぇけどよ」
 むしろ推奨だ。そのまま教団ごとお引取り願いたい。
 テーブルの上にあったナッツを口に放り込んだダルジュは、サラを見た。俯く顔が子供のようだ。いいや、事実まだ子供なのだろう。とても女にはなりきっていない。
 カトレシアがサラの肩にそっと手をやる。瞬間、ダルジュは立ち上がった。
「甘やかすな」
「ダルジュさん」
 カトレシアがたしなめるようにダルジュを呼ぶ。それもまたダルジュの神経を逆撫でた。
 ――どいつもこいつも。
 ダルジュは無意識に舌打ちした。
「DEADorALIVE……だっけか」
 サラが求めてきたカクテル。それを飲めば、何かが決められる気がすると話していたのだと、アレクから聞いた。心底、バカらしいと思う。
「飲んでも飲まなくても変わんねーよ」
 面倒くさそうに頭を掻いたダルジュはサラに向き合った。鋭い眼光がサラを射抜く。びくり、とサラが怯えた。
 一生そこで腐ってろ――ダルジュが口を開きかけた時、ぐりぐりとズボンに鼻頭をこすりつける感触がした。
 口を開いたままダルジュが足元を見ると、てろりと鼻水を光らせたスペードがくうんと鼻を鳴らす。鼻水は、ダルジュのジーンズと子犬の鼻の間に見事なアーチを作っていた。
「ば……」
 なにやってんだお前、とダルジュが子犬を抱き上げる。子犬がくしゅんとくしゃみをした拍子に、ダルジュの顔に鼻水が飛んだ。
「だあ、もう、汚ねーな!」
 ダルジュが声を上げながら子犬ごとバスルームへと駆け込む。
 張り詰めていた空気はどこかへ行ってしまった。カトレシアがほっと息をつく。
「気になさらないでくださいね」
 カトレシアの言葉に、サラは曖昧に頷いた。
 ダルジュが何を言おうとしたのか、わかる気がする。
 本当は、もうわかっている。いつまでもこのままではいられない。祖父の遺産をどうするのか、決めなくては何も進まないのだ。
 サラはそっと手を握り締めた。銀のコインの感触が、ひやりと彼女を癒していた。

 ダイアナとサラ。二人の会話が可能になったのは、その日の深夜のことだった。
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