DTH3 DEADorALIVE

第8話「姉妹のテーブル」

 大通りから一つ奥に入った小道の先を行くと、その店がある。看板はない。そびえ立つビルの地下、見えにくい場所にある、ひっそりと存在している階段が入り口だ。
「ずいぶん辺鄙なトコロね」
 ダイアナがいぶかしむ。整った顔立ちの眉間にアンバランスな皺が刻まれた。陽光を受けた金髪が王冠のような光彩を放つ。どこかすれた雰囲気を持つ街並みから、存在自体が浮いている。路地裏とはどこまでも馴染まないようだった。
「え、ここ?」
 クレバスは立ち止まり、階段を見下げた。地下へと至るコンクリートの階段に見覚えがある。
「なんだ?知っているのか?」
 階段を降りかけた英雄が振り返る。
「あ、うん……」
 以前、セレンと来たことのある店だ。英雄が記憶を取り戻したと告げられた、あの場所。奇妙な懐かしさに駆られながら、クレバスは階段を降り始めた。
 むき出しのコンクリートがダイアナのヒールを受けて音を響かせる。
 やがて現れた木製の扉は、あの頃と変わらず煤けていた。

 店内は、テーブルも椅子も、床も天井も全てが白一色だった。壁にはめ込まれた赤・青・黄のパネルだけが鮮やかな色彩を誇っている。
「お待ちしておりました。あちらの個室でございます」
 ダイアナの名を聞いた店員が、奥に見える扉を指し示す。案内する気はないようだ。客に近づかない、というのがこの店のモットーなのかもしれない。クレバスはそう思った。
 指し示された扉にダイアナが早足で歩み寄る。カツカツと鳴るヒールの音に、「怒っているみたいだね」と感想を漏らす。
「かもね」
 言いながら英雄が大股に歩いて、ダイアナの横に並ぶ。手を伸ばしていたダイアナより早く、洒落た金細工のノブを握った。驚くダイアナの前で、唇に人差し指を当ててみせる。
「僕の後に入って」
 小声で言う英雄を見て、クレバスは昔のことを思い出した。子供だった頃、英雄に言われたことがある。
『君は僕の後をついてくること』
 守られていたのだ、自分は。
 無意識に拳を握り締めると、昨夜のことが思い出された。
『英雄が今やっている、その仕事を、オレも職業にしたいんだ』
 クレバスがそう告げた時、英雄は微動だにしなかった。長い沈黙の後、英雄は「そうか」と呟いたきり、また口を閉ざした。好きにするといいよとぎこちなく笑って言ったのは、それから随分経ってからのことだ。
 もっとうろたえるとか、反対するとか思っていたのに。
 自分で決めたことなのに、どこか放り出された気分だ。英雄の気持ちがまるで見えない。
 唇を噛み締める。
 英雄はそんなクレバスに背を向けたまま、扉を開けた。

 そう広くは無い個室の中に、白い丸テーブルがひとつ置かれている。ふたつの椅子のうち、ひとつはダイアナのために空けられており、もうひとつには肩先まで金髪を伸ばした内気そうな少女――サラが腰掛けていた。
「あ」
 その背後に立っているアレクとセレンを見たクレバスが、思わず声を漏らす。と、英雄が肘で軽くクレバスをついた。動じるな、ということらしい。
 同じく英雄達の姿を認めて目を丸くするアレクを、セレンが冷ややかに一瞥する。
「お姉ちゃん!」
 サラが立ち上がった。その姿を認めたダイアナは、安堵の表情を顔に滲ませたが、すぐに元の勝気な彼女に戻った。
「あんた、なにやってるのよ。こんなところで!」
 テーブルに勢いよく手をついたダイアナが、思い切り怒鳴る。サラがびくりと怯え、胸まである金髪が揺れた。眉をひそめた英雄が、扉を閉める。怒気を隠さないダイアナは、熱いため息を吐いて、乱暴に椅子に腰掛けた。
「出しなさい」
 腕を組みながら横柄に言い放つ。
「え……?」
 サラが小首をかしげた。
「じいさんからもらったコインよ。あんなの、子供が持つものじゃないわ。あたしが預かる」
 ダイアナの言葉に、サラは詰まった。そう、これがあるから、アリゾランテは自分を追ってくるのだ。
 コインを握り締める。逡巡した思考のまま目を伏せると、サラはダイアナの手にすり傷があることに気付いた。
「お姉ちゃん、それ……」
 肌には人一倍気を使っていたはずだ。それを。
「ああ、これ? 楊の馬鹿が押しかけてきてね。その時に」
 言いかけたダイアナは、サラの瞳が震えているのに気付いた。怯えさせてしまう。
「そこの探偵が無能なのよ」
 英雄を顎で示して笑い飛ばす。
「ま、あたしはこのくらい平気だけど。これだってメイクでごまかせるし、全然大したことじゃないわ」
「あ……」
 サラがセレン達を振り向く。ダイアナが見定めるような視線で二人を一瞥した。
「あんたにそんな知り合いがいるなんて聞いてないけど、誰?」
「あの、この人達は……」
 サラが言いよどむ。なんと説明すればいいのだろう。
「ボランティアのシークレットサービスデス」
 にこにこと微笑みながらアレクが告げた。英雄の肩がもげそうなほどに落ちる。その間も、セレンが否定することは無かった。不気味なほどに大人しく、サラの後ろに控えている。
 静かな頭痛を覚えながら、英雄はセレンの気まぐれが起きたことを確信した。
「聞いたことないわ」
「ハイ。今作りマシタ」
 相変わらず笑みを湛えたアレクに、ダイアナは眉を寄せた。うさん臭い――どこまでも。
「知ってるの?」
 その問いかけが自分に向けられたものだと知って、英雄は顔を上げた。うんざりしたような顔でセレンを見ると、優雅な笑みで迎えられる。それだけで、英雄の疲労感が加速した。
「ああ……よく、知ってる。腕は確かだよ」
 腕はね、と念を押しながらこめかみを押さえる。先のことを考えると眩暈がしそうだ。
「そう」
 ま、いいわとダイアナは続けた。
「出しなさい、コイン。遺産なんて、あたしがとっとと使い切ってやるから」
 サラは俯いた。ダイアナの腕の傷が視界に入る。
 ダイアナのところにもアリゾランテの使者は向かったのだ。危険を引き受ける――ダイアナはそう言っている。
 けれど。
 自分が看取った祖父の姿が脳裏をよぎる。
「ごめんなさい……」
 サラは小さく呟いた。
 声が静かに室内に響く。すぐに霧散してしまうほどの小さな声は、はっきりと次の言葉を結んだ。
「ごめんなさい、お姉ちゃん。私、できない」
「なんですって?」
 ダイアナの声が曇る。眉間にみるみるうちに皺が寄った。唇を噛み締めたサラが、顔を上げる。
「私は、遺産を使いたくない。おじいちゃんが言ってた。これは世界を滅ぼすものだって」
「世界を救うものよ。あたしには、そう聞こえた」
「私は、封をしてしまいたいの」
 サラがコインを握り締めながら言った。
「どうして? 誰かを救うチャンスがあるのよ」
「きっと危険なものだわ。怖い」
「なにかをするのに怖がっていたら、なんもできないじゃないの」
 ダイアナの言葉に、サラは唇を噛んだ。涙を湛えた瞳でダイアナと正面から向き合う。祈るように両手を合わせたまま、サラは叫んだ。
「お姉ちゃんには分からないわ。私はお姉ちゃんみたいに強くないもの……!」
 激昂したダイアナが立ち上がる。勢いで椅子が倒れた。その音が響くよりも早く、ダイアナの声が室内を覆う。
「あんたは馬鹿!? 金属じゃあるまいし、人の心に強いも弱いもあるわけがないじゃない!」
「ブレイク」
 なおも噛み付かんばかりの勢いのダイアナと怯えるサラの間に、仕切りのように真っ白な表紙のメニューが差し出された。一瞬の間を置いてから、英雄が手にしたメニューで肩を叩く。
「興奮しすぎだ、ダイアナ」
 ダイアナが英雄から目をそらした。顔に不満が滲み出ている。まいったなと言わんばかりの英雄は、ゆっくりとサラのほうを見た。努めておだやかに笑ってみせる。
「君もね」
「あ……す、すみません」
 おどおどと、サラは下を向いた。もう少しで間に入るところだったアレクが、ほっと息を漏らす。
 ダイアナが不機嫌に黙り込む。室内に彼女の棘が満ちていた。
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