DTH3 DEADorALIVE

 コール音が鳴ってから、クレバスは壁にかけられた時計に目をやった。もしかしたら、仕事中かもしれない。数回鳴って出ないようだったら、メールにでもしようと心に決める。その矢先に、コール音は途切れた。
「あ、シンヤ? オレ……」
「おかけになった電話は、未来永劫出る予定なんかないよ!」
 出鼻の喧嘩腰な姿勢に、クレバスはむっとした。思わず腰を浮かせる。
「お前、ガイナスだろ? なんでこれに出てるんだよ! これはシンヤのケータイだろ?」
「知らないよ。目の前で鳴ってたんだもん! それより、なんの用さ!? また妙なことに巻き込もうってんなら……」
 ヒートアップし始めたガイナスの手から、携帯がするりと抜き取られた。血の気を失ったガイナスが振り返る。シンヤが、通話中になっている自分の携帯をしげしげと眺めていた。特に表情を崩してはいないが、手にした携帯が自分のものだと確認すると、シンヤはもう一度ガイナスを見た。
「これは俺の、だよな」
「シンヤ!」
 言い訳と抗議を同時にしようとするガイナスを片手であしらいながら、シンヤが携帯を耳に当てる。
「……クレバスか?」
 久々の声に、クレバスがほっと息をもらした。特に穏やかな声でもないのに、心が落ち着いていくのがわかる。
「久しぶり。ハガキ、ありがとう」
「ああ」
 そっけないような返事に、会話が終わりそうになる。クレバスは、もう一度時計を見た。夕方になろうという時刻だ。
「今、いいかな?」
 それから、自分が話し始めようとしている内容に気付いて、初めて――クレバスは、シンヤに連絡を取った本当の理由を知った。
 穴が開いているのだ。そこに、自分の心に。
 だから、話したかった。

 クレバスの話を、シンヤは黙って聞いていた。
 学校でのギュートとの会話。
 G&Gでのこと。
 英雄の仕事を手伝うと決めたこと。
 クレバスは、ダイアナのことや依頼の内容はもちろん、アリゾランテのことも伏せた。シンヤも深く聞いてくることはない。クレバスはそのことに安堵した。
 そして、シンヤに話す度、それらの出来事が自分の中で整理されていくのも感じていた。
 心のもやが晴れていくような気がする。やはりどこかで自分は納得していなかったのだと実感した。
『英雄のやっていることを仕事にしたい』
 そう言った時の、英雄の顔。反対するならすればいいのに、しなかったこと。
 ずっと心の中でくすぶっていた。
 だって、今にも口から零れそうだ。
「これでいいのか?」と。
 本当に、自分が正しかったのかどうか。
「クレバス」
 話の区切りを踏まえて、シンヤが言った。ガイナスが面白くなさそうに座り込む。むっとクッションを抱き込む姿に、シンヤが苦笑した。構わずに、クレバスに告げる。
「もう、わかるな」
「……うん」
 クレバスは頷いた。パソコンの画面がスクリーンセーバーに切り替わる。暗い画面に、クレバスの姿が映りこんだ。
「決めたはずなのに、俺に話すのは、今、お前が迷っているからだ」
「うん」
 そうだ、本当は迷ってる。クレバスは自覚した。
「迷っている。だけど、答えがないのも知ってる」
「うん」
 でも、誰かに言いたいと思った。
「クレバス」
 シンヤは改めて、クレバスを呼んだ。
「決意には、二種類ある。“今からこうする”と決めること。そして、もうひとつは」
 独特のエンジン音に、シンヤは顔を上げた。スクール・バスから降りてくるマリアの姿が見える。黄色のワンピースがふわりと円を描いた。小柄な体が、ぴょんと地面に飛び降りる。
 シンヤが片手を上げると、マリアが大きく手を降った。シンヤの隣で拗ねていたガイナスが、「お帰り!」とマリアに駆け寄る。マリアの顔がほころんだ。
 まるで本当の兄妹のようだ。
 その姿を見つめながら、シンヤは告げた。
「“譲れないものがそこにある”と気付くこと」
 そんなもの自分にあるだろうか。クレバスは自問した。
「……オレ、よくわかんないや」
 頭を掻いたクレバスは天井を見上げた。
「そんな難しいものじゃないさ」
 シンヤが肩をすくめる。
「お前はもう決めてる。俺は、よく知ってる」
 後はお前が気付くだけだ、と言われ、クレバスはまた頭を掻いた。どうも単純明快に答えが出ないという状況が苦手らしい。
 しばらく思案して、どうにもダメだと嘆いてから、クレバスは口を開いた。
「シンヤは?」
「え?」
 手にしたハガキを翳して見る。海鳴りの音が聞こえそうな気がした。
「オレは、これを誰かに話したいと思ってた。だから、シンヤに電話した。じゃあ、シンヤがハガキを出した理由は?」
 シンヤの瞳が瞬いた。
「そう返してくるとは思わなかったな」
「だって、オレばっかりずるいじゃん」
「そうか」
 くすりと笑ったシンヤが軒先に目をやる。マリアに新作のパンを見せているガイナスの笑顔がよく見えた。
「考えすぎだ。お前が元気でやっているなら、それでいい」
「ちぇ」
 クレバスが残念がってみせる。
 椅子を軋ませて背もたれに体重を預けたクレバスは、静かに目を閉じた。
「うん、……でも、ありがとう。楽になった、かも」
「そうか」
 シンヤが頷く。
 その口元が、わずかに綻んでいた。
「今日は、いい天気だ。お前に送った写真そのままの景色だぞ」
「そっか」
 クレバスは片手を上げて、ハガキを見上げた。
「じゃあ、今、同じ景色を見てるんだね」
 ざあ、と波の音が聞こえた気がする。
 それは素敵な錯覚だった。


第9話 END
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