DTH3 DEADorALIVE

 瞳に映りこむ景色は、ゆっくりと、しかし確実に動いていた。
 引き金を引く指先、放たれた弾丸が自分に向かってくる。
 いつもの廊下が、変わらずそこにあるのに、空気を引き裂き飛んでくる弾丸だけが異様な殺気を放っていた。
 熱い塊が左肩に食い込む。
「アアッ!」
 勢い後方に倒れこんだアレクは、開いたエレベーターの壁に背を打ちつけた。衝撃で、血が四方に飛び散る。
「ぐ……」
 肩を押さえながら、前を睨む。熱い。
 心臓が存在を主張するかのように早鐘を打っていた。足元がふらつく。
 痛みを訴えかける神経を、強引にねじ伏せる。
 息を整えながら、顔を上げる。
 男がもう一度銃を構えた。
 アレクは歯を食いしばった。体を支える手が、己の血で滑りかける。
 男の姿が端から途切れていく。
 霞むような視界の中で、エレベーターの扉が閉まっていった。

 わずかに響いた銃声に、セレンの膝の上の子猫は敏感に反応した。テーブルに駆け上がり、真っ白な体躯に合わせた耳をピンと立て、辺りを伺う。
 それよりも早く、セレンは立ち上がっていた。
 扉を開ける。
 廊下に漂う硝煙の匂いは、懐かしさよりも不快感をもたらした。


第11話「醒める獣」


 エレベーターは地下駐車場で止まった。
 待ち迎えた男達が開く扉に銃を向ける。
 二メートル四方とまではいかない、狭いエレベーターは一瞬で見渡せる。正面の壁にべっとりと血痕がついているのは、アレクがそこに叩きつけられた証拠だ。自分を支えるためだろう、手形に近いものも見受けられた。
 だが、アレク本人の姿は無い。
「馬鹿な!」
 アリゾランテ特有の白衣に身を包んだ男が、一人駆け寄る。
「どの階にも止まった形跡はなかった。いるはずだ!」
 叫びながらエレベーターを見渡す男は、ふいにそれに気付いた。数ある血痕に紛れて、靴跡がついている。身障者用の、低い位置にある手すり、その上に。
 そこを踏み台にすると言うことは……
 軌跡を辿るように、視線を上にやる。
 作業用の天井板が外れている。わずなか隙間の向こうに覗く暗闇から、自分を見つめる目があった。
 地獄の淵のように暗く深く、無感動に獲物を狙う目。
「ひ……!」
 男が悲鳴を上げる前に銃声が響く。足を撃たれた男が倒れた。絶叫がエレベーター内に響き渡る。
 エレベーターの上に登ったアレクの手には、護身用の短銃が握られていた。手のひらにおさまるほどの小ささ。威力はさほどないが、銃は銃だ。当座を切り抜けるには、十分な力を持っていた。
「どうした?」
 駆け寄ってくる者の、やはり足を撃つ。次も、その次も。撃つ度に左肩の傷口に衝撃が走り、アレクの額に汗が滲んだ。
 一通り撃ちつくした後、弾層を入れ替え、天井からエレベーター内に身を滑り込ませる。しなやかな動作に淀みは無かった。
 エレベーターの外で立ち尽くすアリゾランテの使徒に銃を向ける。引き金を引く。
 隣で倒れた者の返り血を受けたまだ若い男は、蒼白な顔色をしていた。銃を向け、鬼気迫るようなアレクの顔を見て、涙を浮かべる。その口が、わなないた。
「こ、殺さないで……!」
 初め、アレクは言われた言葉の意味がわからなかった。
 倒れている者達は皆、急所を外している。呻いているのだ、生きているだろう?
 違う――
 理解は驚きと共に訪れた。
 男が言っているのは、そんな意味ではない。
 そもそもこんな状況で冷徹に観察できるほうがどうかしているのだ。
 まだ若いその男に、郷里の弟達の顔が重なる。 
 瞬間、アレクは目を見開いた。引き金にかけていた指先から、力が抜ける。
 唇が震える。肩が熱い。
 感覚が戻ると同時に、急な寒気がアレクの全身を包んだ。
「私、ハ……」
 揺らぎかけたアレクの背後で、冷酷な声が響く。
「お優しいんですね」
 アレクが振り返る前に、後頭部に銃床が叩きつけられた。意識を失ったアレクが、その場に倒れ伏す。
 その顔を見下げるように一瞥したラスティンの唇が、嘲笑に歪んだ。
「撤収だ。行くぞ!」
 凛とした声が地下に響く。アレクは、遠ざかる意識の中でそれを聞いたような気がした。

 各フロアのエレベーターホールと駐車場の入り口に「清掃中」の札がかけられたのは、それからしばらく経ってのことだった。不便を訴える住人に、「しばらくの我慢ヨ」と訛りのあるアクセントで答えたマンション管理人は、笑顔を顔に貼り付けていた。潰れた鼻が豚を連想させる。上背は高いとは言えない。小太りで、笑うと目がどこかに埋もれてしまうようだった。
「困るネ、セレンさん。厄介ごとナシ言ったのに。私、大損害」
 パチパチとせわしなく電卓を叩きながら、マンションのオーナーは肩を落とした。地下駐車場にはまだ血の匂いが立ち込めている。エレベーターは血まみれだ。
 冷めた目でセレンがそれを見つめた。開いた天井のパネル、弾痕。なにが起きたのかは察しがつく。セレンがここに辿り着くまでのわずかな間に、全ての決着はついていた。使徒は去り、アレクは消えている。残されたのは、争いの痕跡だけだった。
「もう本当大損害。困るネ、こういうの。警察には黙ってろ言うし、どうするの、コレ」
 大仰にため息をついた管理人は、次の瞬間、血まみれになったエレベーターと駐車場を清掃する業者にテキパキと指示を出した。落胆と見せたのは単なるポーズだろう。
「適度に見過ごす、という話だったろう」
 セレンが手のひらの中に収められた紙を見つめた。エレベーターの奥の壁、中央に貼り付けられていたメッセージカードだ。
 メッセージを見返したセレンの顔が不快感に歪む。
 瞬間走った殺気に、管理人は肩をすくめた。
「好きに請求しろ」
 セレンの言葉に、管理人の瞳が輝いた。
「すごいネ、セレンさん! 太っ腹! 大好きよ!」
「そうか」
 ついでだ、と渡された白い物体に、管理人は目を白黒させた。暖かい。おまけに「にゃあ」と鳴く。
「セレンさん?」
「面倒を見ておけ。しばらく戻らん」
「ええ!」
 でも、と抗議しかけた管理人にセレンが背を向ける。決定事項のようだ。
 途方にくれた管理人が子猫を見やる。子猫は得意げに「みゃあ」と鳴いた。
 清掃業者の手によって、現場が元に戻されていく。恐らくあと一時間も経たないうちに、マンションは元の平穏を取り戻すだろう。
 床に残されたアレクの血を見ながら、セレンは毒づいた。
「命乞いに耳を貸したな。馬鹿め」 
Copyright 2006 mao hirose All rights reserved.