DTH3 DEADorALIVE

 不規則な波の振動に船が揺れる。
 ダイアナは近づいたアリゾランテの船を見上げるように睨んでいた。
「始祖の残された金貨を貰い受けに参りました。どうぞ、お渡し下さい」
 楊が真面目な表情を崩すことなく言う。
「渡すなんて一言も言ってないわよ」
 ダイアナが小鼻を鳴らした。馬鹿にしているようにも見える。
 どうしてこう逃げ場のない場所で挑発的な態度をとれるのか、英雄はわずかな戦慄を覚えた。
 状況がわかっていないのだろうか。
「ダイアナ様……」
 楊が口を開いた時、ダイアナが金貨を掲げた。勝気なブルーの瞳の前で、金貨が陽光を受け輝いている。茨に似た女神の王冠に見覚えがある。間違いなく、ダイアンの残した金貨だった。
「引かないなら、このまま海に捨てるわ」
 爪先で弾くだけでそれは容易に叶うだろう。
 事態を察した楊の顔色が変わる。
「……いいえ、あなたには出来ますまい」
「アタシが?」
 ダイアナがくすりと笑う。
「どれだけあの人に迷惑かけられたと思ってんのよ……! ふざけないで!」
 ダイアナの指先に力が篭る。ともすれば、そのまま金貨を弾きそうな勢いだ。楊がわずかに身を引く。
「さっさと帰りなさい!」
 ダイアナの気迫勝ちだ――英雄は確信した。
 器が違う、というのだろうか。どうも、楊という人間にダイアナは荷が重い気がする。
 しばらく船上でダイアナと楊が睨みあう。再び、ダイアナの金貨が陽光を受け、光る。それは楊にとって、ダイアンの囁きに等しかった。
「……わかりました」
 止むをえません、と楊が片手を上げる。
 停滞していた船のエンジンが始動し、英雄達の船からゆっくりと離れて行った。
「ふん、おとといいらっしゃいな」
 ダイアナが勝ち誇る。英雄は頭を掻いた。
「全く、君は」
 いつもはらはらするよ、と肩をすくめると、ダイアナが笑った。
「女相手にはドキドキ、くらい言いなさいよ」
 笑いかけた英雄は、中途半端な表情のまま動きを止めた。ダイアナの肩の向こう、去っていくアリゾランテの船で何かが光る。
 甲板から放たれたそれは、海面すれすれの軌道を描きながら、英雄達の船を目指していた。ロケットの斜体が鈍く光る。
「ダイアナ!」
 目の前にいたダイアナを抱きかかえながら、甲板を蹴る。
 二人が空中に身を投げた直後、船は爆発した。


 どこかから声が聞こえたような気がして、クレバスは振り向いた。
 通りを歩く人々は、皆せわしなく、自分に関心がないように思える。
「……気のせいか」
 ぽり、と頭を掻く。手にした紙袋がかさりと音を立てた。
「たまにはランチでも、どう?」というマージの誘いに乗って、ハンズス家を訪問する。玄関で出迎えたマージに英雄の不在を告げると、マージは少し残念そうな顔をした。
「そう。……また危ないことをしていなければいいのだけど」
 肩をすくめながらマージが家の中に入るように促す。クレバスは、玄関に立ち止まったまま、動こうとしなかった。
「大丈夫だと思うよ。それより」
 クレバスは持参した紙袋を渡すと、マージが柔らかに微笑んだ。クレバスの中で何かが揺らぐ。
「これ、アリソンに。クッキーとか入ってる」
 違う。本当はそれが言いたかったんじゃない。
 すぐに心が否定した。
「まあ、ありがとう」
 けれど、口にすれば、マージの笑顔が曇るかもしれない。クレバスはそれが嫌だった。
 昔からずっと、姉のように母のようにそばに居てくれたのがマージだった。
 どれだけ彼女の優しさに救われただろう。
「ねえ、マージ」
「なあに?」
 英雄のために何度も涙する彼女を見た。今度は自分が傷つけるかもしれない。
 それでも、黙っているのは嫌だ――クレバスは、口を開いた。
「オレ、英雄の仕事手伝うことにしたんだ」
 マージの動きが止まる。
 立ち入らない玄関が、境界のようだ。
 あちら側とこちら側で、世界が変わる。
 どちらでもない場所に立っていた英雄のそばで、二つの世界を見てきたクレバスもまた、境界に立つ者だった。
 ハンズスやマージは平穏の幸福を教えてくれた。それは英雄達が焦がれるものであり、クレバスもそうであって欲しいと願っていたのを知っている。
 怒るだろうか――泣くだろうか。
 長い沈黙に、クレバスは目を伏せた。
「英雄から聞いているさ」
 穏やかな声が響く。クレバスが顔を上げると、アリソンを抱いたハンズスが立っていた。
「入れよ、メシにしよう」
 にこりとハンズスが微笑む。
「そうね」 とマージが微笑んだ。行きましょう、とクレバスの手を取る。
 マージの軽やかな足取りにつられるように、クレバスは家の中へと入っていった。


 カモメが鳴いている。
 港町では珍しくもない。
 日が暮れ始め、停泊している小さな漁船が茜色に染まった。船体に濃く深い影が落ちる。
 買い物に出かけた帰り道、海を見て立ち止まったまま、シンヤは動こうとしなかった。数歩先に歩いていったガイナスが、立ち止まって振り返る。
「シンヤ、どうしたのさー」
「……いいや」
 そうは言いつつ海を見つめ続けるシンヤに、ガイナスはスキップの要領で近づいた。
「ど、お、し、た、の?」
 一言一言、区切るように言いながら、シンヤの顔と海を見比べた。
「……なにか……おかしくないか?」
 夕陽を受けたシンヤが言う。ガイナスは改めて海を見つめた。茜色に染まった空と等しく、海もまた輝いている。戻ってくる漁船をカモメが迎えていた。時折吹く風に、昔はよくむせたが、今は潮の匂いに慣れきってしまった。
「べっつにー。いつもどおりじゃん? カモメくそうるさいし」
 つまんない、と零したガイナスが頭の後ろで手を組みながら歩き出す。シンヤもつられるように歩き始めた。
 カモメの鳴き声が一際高く上がった。
 シンヤは、もう一度海を振り返った。
「……海が、騒いでる……?」
 呟きは、波のさざめきに飲まれていった。


第11話 END
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