DTH3 DEADorALIVE

「クレバスが――」
 ハンズスが頷くと、マージがそっと手を重ねた。その瞳はどこか怯えるような影を宿していた。来るべき日が、来たのだと思ったのかもしれない。
「そうだ」
 ソファに身を深く沈めながら、英雄は言った。溜めていたものを吐露したせいで、感情が押し寄せてくるのを感じる。
「なあ、ハンズス」
 英雄は笑おうとした。果たせず、見る間に顔が歪んでいく。やがて、両手で顔を覆って、英雄は肩を震わせた。
「僕にはこの道しかなかった。選べなかったんだ」
 だけど、と英雄は続けた。
「あの子にはどんな未来もある。そんな子が、僕の世界に来ると言うんだ」
 ハンズスの隣でマージが息を呑んだ。
 英雄が顔から離した両手を見つめる。
「昔から、何度も考えた。僕があの子に残せるものはなんだろう?
 何度も、ああ、何度も考えた。
 君は知ってるだろう? 僕は僕が嫌いだった。それでも、あの子に会って、変わって……」
 子供の頃は、笑って済ますことが出来た。クレバスはなんの力も持たなかったから。
 ダメだと教え込もうとした。事実、英雄は教えてきたつもりだった。
 ろくなもんじゃないのだから、クレバスはクレバスの人生を。自分とは違う道を生きろと。
 それでも、この日が来ると予想しなかったと言ったら嘘になる。本当は怯えながら、どこかで期待していたのではなかったか。
 決意を告げる瞳。そのまっすぐさに、胸が抉られる想いだった。
 憧れじゃない。同情じゃない。
 全てを知って、そして理解して、英雄の世界に来ると言っている。
 揺るがない、男としての決意。
 いつの間にか背丈だけでなく、彼は成長していたのだ。
「お笑い種だ」
 英雄は自嘲した。
「僕があの子に残せるものが、こんな――」
 殺しの技術。英雄は言葉を呑んだ。
 綺麗事だけで生きられる世界なら、どんなに良かっただろう。
 あるいは彼は正義を貫くかもしれない。その場合、どの程度の確率で生き延びられると言うのか。
 この世界で、力無き者はそれだけで悪だ。
 見る間に英雄の視界が涙に歪む。震える両手に大粒の涙が零れ落ちた。
「こんな――ひどい話って、ない……!」
 ハンズスは英雄を呆然と見つめた。英雄の悲嘆を、自分は半分もわかっていないだろう。ハンズスの知るどの言葉も、英雄を慰めるに足るとは思えなかった。
「英雄……」
 それでも腰を浮かせる。肩に触れる。
「クレバスは、強い子だ。お前が恐れていることになんか、なりはしないよ」
 英雄の震える瞳がハンズスを凝視する。
 ともすれば不信に満たされそうなその視線を、しっかりと受け止めたハンズスが、唇を開いた。
「信じてやれ。クレバスを」
 英雄はこの言葉を聞きにここに来たんだ――。
 英雄の瞳に広がる安堵の色を見て、ハンズスは確信した。

「英雄が……」
 クレバスの口から言葉が漏れた。
 ぎこちなく笑っていた、その表情の意味を、初めて知った気がする。腕の中のアリソンが、不思議そうにクレバスを見上げた。
「バスー?」
 小さな手のひらが頬に触れる。クレバスはなんだか泣きたくなった。
「クレバス」
 ハンズスが真摯な声でクレバスを呼んだ。
「君が決めた道だ。誰も反対はしないさ。けれど、これだけは覚えていて欲しい」
 ハンズスはそこで言葉を区切った。柔らかな笑みを浮かべる。
「皆、君が大事なんだ」
 言葉は直接心に響いた。
 だからだろう、クレバスは素直に頷くことができた。
「ありがとう」 はにかむように告げる。
 尚もハンズスが話を続けようとした瞬間、チャイムが鳴った。
 マージが「はぁい」と返事をしながら席を立つ。話の腰を折られた格好で、ハンズスは息をついた。クレバスもほっとため息を漏らす。
 英雄が、泣いていた。
 心のどこかで開いていた穴に、ようやく気付いた。そんな気分だった。
「あら、珍しい」
 マージの声と共に、大股で室内に入り込む足音がする。
「失礼。ご主人を拝借しますよ」
 言うが早いか、ハンズスの襟首を掴む、その人物。すらりとした長身に、長い銀髪はきっちりと束ねられている。白いシャツに品のあるズボン。靴にすらこだわりを感じる。
「セレン!」
 クレバスは声を上げた。言われて初めて、セレンがクレバスを見る。
「なんだ、ここにいたのか」
「なんだなんだ、一体!」
 ハンズスが声を上げた。
「ちょっとした用事があってな。手持ちの医者がどいつも塞がっている。お前しか捕まらなかったのは悲劇としか言いようがないが――このまま引きずられるのと自分の意思で立つの、どっちがいい?」
 相変わらずの調子で、けれど心持ち早口でセレンがまくしたてた。
「なに? どうし……」
 アリソンを降ろし、立ち上がりかけたクレバスが、セレンのズボンの裾についたわずかな血痕に気付いた。目をこらさなければわからない。けれど、どす黒く変色したそれは、間違いなく誰かの血だった。
「なに――なにか、あったの?」
 セレンはクレバスを一瞥した。
「お前には関係ない」
「あるよ!」
 反射的に叫ぶ。セレンが不快そうに眉をひそめた瞬間、テレビがついた。アリソンがリモコンで遊んでいたのだ。
 生真面目そうなニュースキャスターが脇から差し出された紙にさっと目を通す。
「只今、臨時ニュースが入りました。
 女優のダイアナさんを乗せた撮影船が、突然爆発したとのことです。
 大半のスタッフは最寄の船に救助され、無事ですが、行方不明者が二名出ています。
 ダイアナさんと、婚約者の霧生さんです。
 船は既に沈み、捜索隊が救助に当たっています。海岸線沿いにお住まいの方で、なにか見かけた方は当局まで情報提供を。繰り返します――」
「……え……?」
 クレバスがぎこちなく振り返る。
「ふん、ご苦労なことだな」
 セレンが鼻で笑う。
 テレビの中で、ニュースキャスターが再三の情報提供を求めていた。


第12話 END
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