DTH3 DEADorALIVE

 クレバスは自宅に向かって足を早めていた。
 英雄のニュースに気を取られている間に、セレン達はどこかへ出かけてしまった。追いかけるべきか瞬間的に迷ったが、クレバスはすぐに自宅に戻ることを決めた。
 英雄から何か連絡があるかもしれない。
 慌しく飛び出していく男達を、マージが不安げに見つめていた。「大丈夫だよ」と声をかけてきたけれど、それがなんの慰めになるだろう。
 けれど、今は。
 一秒の遅れが命取りになる。できることをしなければ。
 家が見える。ほっと息を漏らした瞬間、クレバスの脳裏にハンズスの話が蘇った。
 英雄が、泣いていた。
 クレバスの歩みが止まる。
 知っていた。昔から英雄は、一度だってクレバスが武器を持つことに賛成なんかしなかった。一度だけ鋼糸を託されてたことはあるけれど、それだって自分の死期を悟ってのことだった。
『泣いて、いたよ』
 英雄を傷つけた。
 深く、取り返しのつかないほどに。
 クレバスは唇を噛み締めた。
 けれど、なぜだろう。
 それを知ったとしても、揺らがない自分がここにいる……!
『決意には、二種類ある。“今からこうする”と決めること。そして、もうひとつは』
 シンヤの声が聞こえる。
『“譲れないものがそこにある”と気付くこと』
 クレバスはきつく目を閉じた。
 ずっとずっと英雄の力になりたかった。あの背中に追いつきたかった。
 今、自分にその力があるのなら、どうしてためらうことができるんだろう。
 クレバスは顔を上げた。
 駆け出すその足に、迷いはなかった。


 夕陽が水平線の向こうに落ちようとしている。
 空の黄金と茜を等しく映した海は、凪いでいた。
 穏やかな波の合間から突き出された手は、間違いなく陸に触れた。男の手が、しっかりと岩を掴み、その身を引き上げる。
 たっぷりと水分を吸い込んだ服が重さを増す。
 どうにか岩場に乗り上げると、英雄は抱きかかえていたダイアナを陸へと引き上げた。
「ダイアナ、大丈夫か」
 気を失い、ぐったりとしたダイアナの頬を叩いても反応はない。口元に手をかざし呼吸を確認すると、英雄は辺りを見回した。
 目の前には鬱蒼と植物が茂っている。幾重にも重なった木立が、暗く深い影を落としている。それでも両端がすぐに視界に収まるところを見ると、あまり大きな島ではないらしい。道らしい道は見当たらなかった。
 遠く、海の向こうに町の明かりが見える。港町だろうか?
 漁船の姿もいくつか見えた。見えはするが声は届かないだろう距離だ。とはいえ、人通り皆無というわけでもなさそうだ。
 英雄はようやく一息ついた。
 ダイアナを抱えて海に飛び込んだまでは良かったが、潮流に巻き込まれてしまった。あのままアリゾランテの船に回収されるのと、一体どちらが良かったろうか。
「……ん……」
 ダイアナの唇から声が漏れる。
 英雄が不毛な思考を止めた。
「お姫様が風邪をひいてしまうな」
 濡れぼそった自分の前髪をちょいとつまんで、滴る雫を見つめながら呟いてみせる。英雄の呟きに答えるように、波がうねった。


 日頃休みが欲しいと思っていたが、いざ休日と言われると暇を持て余す。自分が無趣味な人間のせいだろうか、とダルジュは思案した。
「あら、サラさんのお母様も刺繍をされていたの?」
「あ、はい。私はあまり覚えていないんですけど、姉からそう聞いています。それって難しくないんですか?」
 サラがカトレシアが手にしている刺繍を見ながら聞いた。庭に咲いた花を刺している途中のようだ。糸の留め方など、サラには想像もつかない。ただ、カトレシアの手がすいすいと動いていくのを、魔法でも見るような心持で見ていた。
「簡単ですのよ。やってみます?」
 目の前で繰り広げられるカトレシアとサラの会話にすら殺意を感じるのは気のせいだろうか。とろくささが自分にまで移りそうだ。
「ええ……」
 サラが曖昧に頷いたまま手を伸ばした。
 ダルジュが読んでいた雑誌を畳んで立ち上がる。その気配にすら、サラはびくつくようだった。怯える気配を感じてもダルジュは無視した。
 立ち上がったダルジュが遊んでくれると思ったのだろう。子犬達が期待に満ちたまなざしでダルジュの足元に駆け寄った。その体を足で適当にあしらいながら、ダルジュが歩いていく。
「……なんだよ」
 振り向かないままダルジュは聞いた。ずっとダルジュを見つめていたサラが、びくりと体を震わせる。
「あ、いえ……あの、よく、慣れてるんですね」
 ダルジュの足元で腹を見せ、体を伸ばしきった子犬を見ながらサラが言った。ちらとサラを振り返ったダルジュが、さして面白くもなさそうに告げる。
「まーな。世話してんの大抵俺だし」
「コツでもあるんですか?」
「コツ?」
 言うことを聞かせる、というか、とサラが語尾を濁した。
「別に」
 ダルジュが面倒くさそうに首筋を掻く。
「大したことはしてねーよ。いいモンはいい。悪いモンは悪いってきっちり区別してるだけだ。ほら」
 言いながら壁の隙間に顔を突っ込んだスペードの体を掴む。
「おい、なにやってんだ」
 灰色の尻尾を振ってダルジュに答えたスペードは、しかし出てくる気配を見せなかった。むしろより深く体をねじこませていく。わずかな隙間がスペードの体に合わせて広がった。
「おい!」
 いらつきを隠さずにダルジュがスペードの体を引き抜く。
「なにやってんだ、てめぇは……」
 今や立派に穴と呼ぶに相応しい大きさに広がった隙間を見て、これを塞ぐのも自分だろうかとダルジュが嘆息する。文句半ばでスペードの顔を見たダルジュは、三白眼をさらに険しくさせた。
 スペードのトレードマークである鼻水、その下でさらに輝く、口に銜えられた黒い機械。小さくはあるが、盗聴器である。
 スペードが得意げな顔でダルジュを見上げた。小さな尻尾を千切れんばかりに振っている。
 いいことをしたら、褒める。
 躾本の一文を思い出し、ダルジュは忌々しさを隠さない口調で、それでも努めて冷静に告げた。
「……グッド」


第13話 END
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