DTH3 DEADorALIVE

第16話「liar−嘘吐き−」

 街に灯った明かりは、夜の闇を拒絶していた。
 住宅街のせいだろう、人通りはほとんどない。スペードを始めとする子犬達の呼吸と、二人の足音だけが響いていた。
 カトレシアはダルジュの背中を見つめた。
 いつもと変わらない、自分の数歩先を行く後姿。無造作に束ねた髪が、動きにあわせて上下する。その背を見つめながら、カトレシアは目を細めた。
 前にも、こんな気持ちになったことがある。六年ほど前だろうか、ダルジュと初めて出逢った頃だ。英雄達と知り合って、その最中、行方不明の兄から連絡があった。不吉な予感を抑えきれずに英雄に助けを求めた時、そこにダルジュも同行したのだ。
 フラワーショップの店員には不釣合いなほど大きな銃は、随分ダルジュの手に馴染んでいるように見えた。
 疑問が頭をよぎったのは、その時が初めてだった。
 言葉は乱暴で態度も悪い。けれど、ジャックがよく懐いている。だから、きっと悪い人ではないのだとカトレシアは思っていた。
 ぶつくさ言いながら花を束ねる、その雰囲気が好きだった。
 なのに銃を手にしたダルジュは別人のようだ。
 この人は――?
 カトレシアは、ダルジュにもうひとつの顔があるような気がした。
 
 あの時、結局兄は戻ってこなかった。ただ、死んだのだと父から聞かされた。今までうっすらと思っていたことが確認されただけだ。そう思っても、涙が溢れた。
「ありがとう、ございました」
 公園のベンチで礼を告げると、ダルジュは、どちらかというと鬱陶しそうな顔をした。慰めることも、ハンカチを差し出すこともなかったが、それでもカトレシアが泣き止むまでそばにいた。嬉しかった。
 そう、嬉しかったのだ。

 それから何度か会うことがあった。
 カトレシアが店に行ったり、ダルジュがやってきたり。
 ふらりと現れては、ぶっきらぼうに「茶、飲みに来た」と告げる。
 その度に、カトレシアは笑顔でダルジュを招き入れた。
 逢瀬と言うにも満たない時間だったように思う。
 カトレシアがとりとめもなく話す言葉を、ダルジュは黙って聞いていた。時に寝入ることもある。シベリアンハスキーであるジャックの巨体をソファ代わりにすると、細身を犬に沈めているようにも見えた。
 
 忘れもしない。その日もダルジュはカトレシアの家にやってきた。
 特に理由も言わず、話すわけでもなく、普段通りだったにも関わらず、カトレシアは違和感を感じた。ダルジュの雰囲気が違う。
 怒っているわけでも、嘆いているわけでもない、どこか張り詰めた空気がダルジュの身を包んでいた。
「なにか、ありましたか?」
 カトレシアが小首を傾げる。ダルジュは「別に。なんもねぇよ」と取り合わなかった。
 やがて二十二時を過ぎた頃、ダルジュの腕時計についたアラームが鳴り出した。ダルジュの体がぎくりと硬直する。鳴り続けるアラームを止めようともしない。カトレシアがダルジュに向き直る。長い金髪がさらりと揺れた。
「あの、お約束があるのでは……?」
 ダルジュは強張った顔のまま、答えようとしなかった。
 しばらくそのまま押し黙り、やがて無言のままに立ち上がった。
「あ、お見送りしますわね」
 カトレシアも立ち上がる。途端に後ろから抱きしめられた。
 腕の力が強い。痛いほどだ。
「ダ、ダルジュさん……?」
 かあっと頬に赤味が差すのがわかった。高鳴る心臓が早鐘のようだ。
 ダルジュの歯ががちがちと鳴る。小刻みに震えているのがよくわかった。
「……死にたくねぇ」
 消え入るような言葉は、それでも耳に届いて。浮かれかけていたカトレシアの心が、静かに冷めていった。
 ああ、この人は戦いに行くのだ。
 漠然とそう思った。正しいかどうかはわからない。
 それでも、ダルジュの手に触れた。ダルジュの体がびくりと揺れる。
「私は、ここでお待ちしていますから」
 その言葉に、腕の力が緩んだ。ダルジュが唇を噛み締める。
「行きたくねぇ」
「はい」
「死にたくねぇ」
「はい」
「……なんでも“はい”なんて言うな」
「……だって、ダルジュさん」
 それでも行こうとしている、とカトレシアが呟いた。ダルジュの瞳が見開かれる。
 カトレシアに触れていたダルジュの手が、ゆっくりと拳を作った。
 もう一度だけ強くカトレシアを抱きしめて、離れる。
「お待ちしています」
「ああ」
 振り向かずにカトレシアは告げた。瞳を閉じる。背後でダルジュの足音が遠ざかる。
 そのまま彼女は、そこで祈りを捧げた。
 ダルジュは、その場所に帰ってくるのだと信じた。

 ダルジュの帰宅を告げたのは、セレンからの電話だった。連絡を受け、病院へと駆けつける。
 峠を越したというダルジュは、病室のベッドに横たわっていた。顔色がひどく悪い。脈拍を示すグラフだけが、かろうじてその生存を伝えていた。
「ダルジュさん……!」
 カトレシアがその手をとった。うっすらと感じる体温は、あの時の熱さとは比べ物にならなかった。
 瞳に溢れる涙が零れる前に、セレンがカトレシアを呼んだ。涙を拭き、顔を上げる。
「なにが、あったんですか」
 カトレシアの問いに、セレンは答えなかった。
「この子は、なにか言ったか?」
「いいえ」
 ならそれが答えだ、とセレンは告げた。
「この子を、信じられるか?」
 セレンの問いは唐突で、要領を得なかった。
「なにを……」
「なにも聞かずに、それでも」
 信じていられるのかどうか――。
 セレンが鋼糸を手の中で躍らせる。返答次第では、彼女はどこかに消えたとダルジュに告げることになるだろう。
 誰かに心許す、その瞬間が自分達には命取りになるのだ。
 セレンの気迫に押されてか、カトレシアは即答できなかった。
 それでも、自分を抱きしめていたダルジュの感触を思い出す。
 あの時、間違いなく彼は震えていたのだ。
「私は――」
 死にたくない、と凍えるように言った、この人が愛しいと思った。
「この人の、帰り場所になりますわ」
 きっと、と控えめに告げるカトレシアを見て、セレンが微笑んだ。
「無鉄砲なお嬢さんだ」
「よく言われます」
 カトレシアは心から微笑んだ。


 信じている。
 本当だろうか。
 何も聞かずに、与えられるものだけを真実として、本当に生きていけるのだろうか。
 彼の中の自分が、価値あるものと信じて。
 疑念は降り積もる。いくらでも。
 心を掠める猜疑は否めない。
 

 カトレシアの足が止まる。
 気配に気付いたダルジュが振り向いた。
「どうした?」
 夜の空気がひやりと頬を撫でる。一瞬の迷いは、風に流された。
 カトレシアが、いつものように微笑む。

「いいえ、なんでもありませんわ」


第16話 END
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