DTH3 DEADorALIVE

第18話「この世の優しき人々」

 空がうっすらと白んでくる。夜明けを惜しむようにダイアナは煙草に火をつけた。
 吐き出された煙が、看板を白く濁す。
 町から大分離れた幹線道路には、英雄達の他に人気はなかった。
 大型トラックが砂煙を上げながら走り去っていく。小さく咳き込んだダイアナが、眉をしかめた。
「ちょっと、この先どうするのよ」
「どうするもこうするもないさ。次の車を待つ」
「短距離のヒッチハイクなんて、効率が悪いわ」
「足がつきにくくなるのさ」
 言った英雄が片手を上げる。ジープは止まる気配も見せずに走り抜けていった。瞬く間に消えてゆくテールランプを見送りながら、英雄が嘆息する。
「有り金全部落としたのは痛かったな」
 服にでも縫い付けておくべきだった、とぼやく。
「カードがあるって言ってるじゃないの。あたしの携帯で電話すれば、タクシー拾えるわよ」
「だから、足がつくって」
 再び見えたヘッドライトに、英雄が手をかざした。
「それにほら、世の中にはいい人がたくさんいるんだよ」
「ふん、なにがいい人よ」
 ダイアナが鼻を鳴らす。
「だいたい、どこに行くのよ」
 エンジン音を響かせて、車が通り過ぎる。意外そうな顔で、英雄が振り向いた。
「どこにって」
 二、三度瞬きをして、ダイアナを見つめる。
「君が知ってるんだろう?」
 言われたダイアナが目を丸くした。
「あたしが? なんで?」
「君が言っていたんじゃないか」
 遠く聞こえ出した車の音に、英雄が再び道路に向き直る。
「おじいちゃんの絵本。恐らくそれがヒントなんだろう? 行き先が間違っていたら、言ってくれるものだとばかり思っていたけど」
 上の空のようでいて、話を聞いていたのか。ダイアナは驚いた。
 ダイアナの表情を、英雄は勘違いした。祖父の残したヒントに、気付かなかったと思ったのだ。
「どうした?」
 少し面倒くさそうに、それでも訊ねてみせる。
 ダイアナが答える前に、トラックが二人の前に止まっていた。


 アレクは夢を見た。
 今は遠く離れた郷里。貿易商を営む父と、優しい母。帰る度に大きくなっていく弟達。どこか幼さを残した弟の顔が、アレクに懐かしさをもたらした。
 嬉しくなって駆け寄る。
 アレクに気付いた弟が、にこりと微笑んだ。
「お兄ちゃん」
 両手を広げるアレクの前で、弟の顔が誰かと重なる。誰だろう、と疑問に思う余地も無く、その言葉は告げられた。弟の声で、弟の顔で。
「殺さないで――」
 瞬間、アレクは我に返った。息が荒い。鼓動が早鐘のようだった。汗が額を伝うのがわかる。
 視界に映る世界が、白い。アリゾランテの施設にいるのだと理解するまでにしばらくかかる。
『殺さないで――』
 夢の余韻が体に残っている。アレクの中で、弁明が渦巻いた。
 違ウ。
 誰に言いたいのかすらわからない。
 それでもアレクは叫びたかった。
 違ウ……!
「ああ、やっぱり熱が上がっていますね」
 声と同時に、アレクの額に冷たい手が触れた。アレクがぼんやりと青年を見上げる。サワヤはにこりと微笑んだ。
「だから薬をと言ったのに。仕方のない人ですね」
 サワヤはアレクを抱き起こすと、小さな水差しに手を伸ばした。
「飲めますか?」
 唇に水差しの口が触れる。わずかに口を開くと、流し込まれる液体がアレクの喉を潤した。染み渡るような感覚に、ほっと息をつく。
 サワヤは、アレクが薬を飲んだのを確認して、アレクの体をそっと床に横たえた。
 本来なら冷えているはずの床が、アレクの熱を奪って温もりを持っている。薄開きの口から漏れる息すら、熱い。
 タオルで額を拭く。
 アレクは抵抗のそぶりを見せなかった。その気力も無いのだろう。
「もうすぐ、薬が効きますから」
 そうしたら楽になりますよ、と小さく囁く。
「本当は着替えたほうがいいんですけどね」
 すみません、とサワヤは呟いた。
 立ち上がり、一礼する。
 出口に向けて歩き去ろうとするサワヤの背に、声がかけられた。
「……アリガトウ」
 サワヤが振り向く。アレクはこちらを向いてはいなかった。それ以上、言葉を発する雰囲気も見せない。それでも、確かに聞いたのだ。サワヤは歓喜した。
「慈愛は神のお導きです」
 だから自分の功績ではないと思いながらも、笑みが零れる。アレクから拒絶以外の言葉をかけられたのは初めてだった。
 アレクの背に向けて、サワヤはもう一度礼をした。
 サワヤが部屋から出て行く扉の音を、アレクは黙って聞いていた。扉が閉まる。錠のかかる音がする。アナログタイプのようだ。ひとつ、ふたつ。
 同時に、自分の心にも鍵がかかればいいとアレクは願った。
 ここは敵地だ。誰も信じてはいけない。サワヤが真実ラスティンの手先ではないと、誰が言えるだろう。
 話せば情が生まれる。ほだされる。わかっている。
 それでもアレクの背を押したのは、郷里の母が日頃から教えていた何気ない教訓と、自分はなにひとつ変わっていないのだという反発心に近いものだった。
 人に親切にされたら、お礼をなさい。
 そんな小さなことすら自分はできなくなったのだと、思いたくはなかった。同時に、そんな小さなことなら気にせず、出し抜いてしまえばいいのだとも思った。心のどこにも真実のない言葉を並べて、サワヤを利用する。難しい話ではないはずだ。
 出来なかった。
 厳しい顔をしたまま、アレクは半身を起こした。壁にもたれ、天井を仰ぐ。痛みに疼く傷が、どうにか意識を繋ぎとめていた。
 ざらついた感情が収まらない。
 熱のせいだ、と拳を握り締める。握りかけた拳は、うまく力が入らなかった。
Copyright 2006 mao hirose All rights reserved.