DTH3 DEADorALIVE

 サラがダルジュの家のソファで目を覚ました時、すでに身支度を整えているクレバスの姿が視界に入った。
「行ってしまうんですか?」
 サラの声が上擦る。どことなく掠れているのは、昨夜遅くまで話し込んだせいだ。
 あれからたくさんのことを話した。
 祖父の絵本のこと。幼い頃の思い出。ダイアナに手を引かれ、祖父の家を出て行ったこと。祖父の死。臨終の際のダイアナの言葉。遺産のことを知ったラスティンが訊ねて来た日のこと。
 世界を滅ぼすことも、救うことも出来る――
 のしかかる重圧に押しつぶされそうで、どうしようもなくなって、ここに来たこと。
 クレバスは時折ジョークも混ぜながら、サラの話を聞いていた。
 絵本のことを話したのだから、もうサラの話を聞く必要はないのに。
 サラがそれを察したのは、中座したセレンがいつまでも戻ってこないのに気付いた時だった。
「あの、セレンさんて……?」
「うん、もうどっか行ったんじゃないかな。サラの話も聞けたし」
 クレバスが当然のように頷く。
「じゃあ」
 サラは慌てて口元を押さえた。
「ご、ごめんなさい……! クレバスさんも忙しいのに」
 クレバスと共にいた人も消えたと聞いている。サラは自分の無神経さを恥じた。
「いや、大丈夫」
 クレバスが携帯をちらりと見た。
「さっき電話があって、なんか一応元気っぽいのはわかったから」
「はぁ……」
 先ほどの電話のことを言っているのだろうか。サラは曖昧に頷いた。クレバスにかかってきた電話は、一方的に怒鳴ると切れてしまった。切れる直前に、それまでのトーンとは違う穏やかな声の主が、一言、二言、クレバスになにか告げた。クレバスは笑ってそれを聞いていたのだ。
 それがガイナス達からの電話だと、サラが知る由もない。

 クレバスは携帯電話を手に取った。重さを確かめるようにして、ポケットに滑り込ませる。それから改めて、サラに歩み寄ると、毛布を手にした。
 その時になって初めて、サラは自分に毛布がかけられているのに気付いた。
「起こしちゃってごめんね。まだ早いから、ゆっくり寝たほうがいいよ」
 クレバスが囁くように言いながら毛布をかけ直す。サラと大して年の違わないはずの少年は、なんだか随分大人びて見えた。
「毛布、クレバスさんが……?」
 クレバスが無言で肩をすくめる。
 視線に促されるように台所を見ると、片隅に置かれた椅子でダルジュが寝息を立てていた。眉間に皺が寄りまくっている。
「そんなに気になるなら、こっちで寝ればいいって言ったのに。意地っぱり」
「うるせぇ、ガキが」
 ぼそりと吐かれたダルジュの毒に、クレバスが舌を出す。
「さ、寝た寝た」
 クレバスがサラの上にもう一枚毛布をかぶせた。
「ク、クレバスさん」
「ん?」
「気をつけて……」
 語尾が消え入るようだとサラは思った。心なしか頬が火照っているような気がする。
 目を丸くしていたクレバスが、にこりと微笑んだ。
「うん」
 そっと掌をサラの額に乗せる。
「サラも、気をつけて」
 サラの額に口付けて、クレバスは告げた。


 また新しい看板が見えた。
 文字を読み取る間もなく通り過ぎていく。
 助手席に座ったダイアナが、バックミラーを覗き込みながら、本屋で買った地図を手に現地点を確認する。
「大分走ったわね」
「そうかい?」
 英雄がなんの感慨もなく答える。その額に、おびただしい量の汗が滲んでいることに、ダイアナは目を見張った。
「ちょっと! すごい汗じゃない」
「大したことじゃない」
「どこがよ!」
 ヒールで英雄の足ごとブレーキを踏みつける。急停車のはずみで、英雄がハンドルに顔面から突っ込んだ。タイヤが悲鳴を上げながら、路肩に止まる。
「なんてことするんだ! 下手をすれば二人ともお陀仏だぞ、何考えて……」
 鼻っ柱を押さえた英雄の額に、ダイアナの額が触れた。触れた、というより勢いづいたそれは、頭突きと言って差し支えない衝撃だった。後頭部を窓ガラスにぶつけた瞬間、英雄の意識が遠のく。
「ひどい熱!」
 英雄の瞳がぐらついたのを熱のせいだと解釈したダイアナは、深刻そうに呟いた。
「ひどいのは君だ……」
 歪んでいく視界をどうにか制して、英雄が呻く。こみ上げる吐き気は、当分治まりそうになかった。
「大したことじゃない」
 もう一度、英雄は言った。
「薬を飲まなかっただけだ」
 そう言って、胸ポケットから薬を取り出す。
「なにそれ」
 ダイアナが聞く。好奇心むき出しの瞳を受けて、英雄がわずかに眉を顰めた。
「持病の薬さ。飲まないと、体が持たなくてね」
 半分真実、半分嘘を混ぜて、英雄は告げた。
「飲めばいいじゃない」
「眠くなるんだ」
 こんな時に致命傷だろう、と英雄が言う。瞬間、ダイアナは英雄の手から薬をもぎとっていた。
「あんたは! 本当にバカ!」
 カプセル状の薬を英雄の口に押し込む。
「飲みなさい!」
 ごくり、と気圧された英雄の喉が鳴った。ペットボトルの水を差し出すと、ようやく薬を飲み込む。
「ダイア……」
「寝なさい」
 命令口調でダイアナが告げた。
「あたしが寝ている間も、寝なかったでしょう」
「君は依頼人だ」
「当然、と言いたいところだけど、あんたが病人なら話は別よ」
 言ったダイアナが後部座席をまさぐった。何を、と問いかける間もなく、古びた毛布が英雄にかけられる。どことなくカビくさい。
「我慢なさい。これしかないんだから」
 言い聞かせるようにダイアナが呟いた。上から押さえ込むようなダイアナを見て、英雄が力なく微笑む。
「なによ」
 興味深そうに自分を見る視線に気付いて、ダイアナが唇を尖らせた。
「……いや」
 英雄は面白そうにダイアナを見ていた。瞳が笑っている。
「僕に姉はいないけど、いたら、こんなカンジかなって」
「あたしはあんたより年下よ!?」
 ダイアナの抗議が耳に届く前に、英雄は眠りに落ちていた。


第19話 END
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