DTH3 DEADorALIVE

第20話 「さらば愛しき人、清き人よ」

 身を切るような冷気が、あたりを包む。
 昇り始めた朝日が、男の全身を照らした。
 すらりと伸びた長身、長くたなびく銀色の髪。
 緑色の片目を細めて、セレンは目の前にある建物に一瞥をくれた。
「まるで神殿だな」
 白く輝くビル。アリゾランテの支部のひとつだ。白い壁に庭の緑が映えて、街中の騒々しさとは違う、静謐な空気を保っていた。
 不敵な笑みを浮かべたセレンが歩を進める。
 鉄の門扉に触れることなく、鋼糸で切り捨てる。
 彼の前に壁はなく、また、阻む何者もいなかった。


 遠く小鳥の声が聞こえる。わずかに頬に触れる太陽の熱で、アレクは目を覚ました。一晩寝たせいだろうか、体が幾分楽になっている。
「おはようございます」
 サワヤが明るい声で扉を開けた。半身を起こすアレクの顔を見て、にこりと微笑む。
「よかった。随分顔色がよくなっています」
 朝食です、とトレイをアレクの傍らに置く。その口元が切れているのに、アレクは気付いた。アレクの視線を感じたサワヤが、傷口に手をやる。目を泳がせ、ごまかそうとし、できなかったのかバツが悪そうにはにかんだ。
「ラスティン様に怒られてしまいました」
 アレクが目を見開く。
 今朝方、昨夜の嘘を叱責されたのだ。また他の信徒からアレクの手当てをしたと聞くに至り、ラスティンの怒りは頂点に達した。
「私の、セイ?」
「まさか」
 サワヤが肩をすくめる。
「僕が好きでやっていることです」
 ですが、とサワヤがアレクの包帯に手を伸ばした。
「僕はこれが間違っているとは思いません。手当てを、させて下さい」
 サワヤの顔を凝視したアレクの瞳が、二・三度瞬いた。やがて噛み締めた唇と共に顔が伏せられる。動かないことを了承と受け取ったサワヤが、慈しむように包帯を外していった。露になる傷口を消毒し、新しい包帯を巻きなおす。
 無言の時の中、朝のゆるやかな空気は、間違いなく流れていた。


 意図したわけではないが、苦労はせずにすみそうだ。
 クレバスはぼんやりとそんなことを考えていた。
 ダルジュの家を後にし、さてどこに行こうかと考えた。家に戻ってサラの話を整理して、英雄の行き先を検討づけるのもいいかもしれない。英雄の失踪地点から目的地へのライン、そのどこかで合流できるだろう。
 そんなことを考えた時だった。クレバスの耳にその声が入ってきたのは。
「すげぇスピードだったな」
「ああ、轢き殺されるかと思った」
 こんな早朝だと言うのに、人がいるのだ。クレバスは妙なところで感心した。
「なんなんだ。あのスポーツカー」
 吐き捨てるように言われた言葉に、足が止まる。瞬間、脳裏をセレンがよぎった。
 サラの話の要点だけ踏まえると、いつの間にかいなくなってしまった。
 ――アレクが、怪我をしたってハンズスから聞いた。セレンは明言しなかったけど、きっとそうだろうって。
 迎えにいったのだ。クレバスは確信した。
 だったら自分は英雄を迎えに行けばいい。アレクのことは、セレンに任せて。
 そう思うのに、クレバスの足は動かなかった。
 それどころか、くるりと踵を返して、男達に歩み寄る。早朝だと言うのに、男達の手にはビール缶が握られていた。近づくだけでむせるような酒の匂いがする。
「その車、どっちに走っていったか、教えてくれない?」
 それから、同じように暴走するスポーツカーの目撃証言を重ねて、恐らくセレンが辿ったであろう道をトレースし、現在に至る。
 バイクのアクセルを吹かすと、景色が瞬く間に流れていった。
 ぎり、と奥歯を噛み締める。
 行ってなにをするつもりなのか、クレバスは自分でもわからなかった。効率だけを考えるのならば、英雄と合流するのが一番だとわかっている。それでも、それができないのは、アレクと過ごした他愛のない日々のせいかもしれなかった。作ってくれたスープの味とか、何気ない会話とか、そんなものが今、クレバスに絡みつく。
 誰かを割り切ることも、切り捨てることもできやしない。
 誰も彼もを救う手なんて、もっていやしないのに……!
 苛立ちをぶるけるようにスピードを上げる。早朝の街を、バイクが彗星のように駆け抜けていった。


 一難去ってまた一難とはこういうことだと、ダルジュは痛感した。
 夜更けに訪れた招かれざる客共がようやく消えたと思ったら、今度は正真正銘の招かれざる客がチャイムを鳴らしたのだ。
「こんな早朝に申し訳ない」
 おまけにご丁寧に人類の言葉を話しやがる分、タチが悪い。ダルジュは内心吐き捨てた。口からため息が漏れていることに、本人は気付いていない。
 それでも姿勢を崩さず、楊はダルジュ宅の門扉の前に立っていた。少し距離を置いて、信徒の姿がちらほら見える。
 陽が昇ったとはいえ、まだ人通りはまばらだ。強硬手段もありえるかもしれない、とダルジュは警戒した。家の中に残した、サラ達を見やる。
「サラ様とお話をさせていただきたい」
「できるわけねーだろが」
 まるで先日の襲撃などなかったかのような口ぶりに、ダルジュはうんざりした。それとも楊の中では、本当になかったことになっているのかもしれない。
 玄関の前で腕組みする。ジーンズに無造作に突っ込んだマシンガンは、楊から見えない位置だった。
「ダルジュさん、大丈夫かしら」
 カトレシアが不安げにカーテンを覗く。
 それから、ソファに座るサラに優しく微笑みかけた。
「ああ、ごめんなさい。きっと大丈夫ですわ。今、あたたかい紅茶を入れますわね」
 サラは、体に毛布を巻きつけるようにして震えていた。
 カトレシアが紅茶をテーブルに置いた途端に、サラの携帯が鳴った。
「あら? お電話?」
 サラが震える手でそれを取る。
「まだお話ができるようにしてくださっていたのですね。感謝します」
 携帯の向こうから聞こえてきた声に、サラは思わず口元を押さえた。
「ラスティン……!」
「お元気そうでなによりです、サラ様」
「どうして」
 サラは慌てて庭先を見た。ダルジュが相手をしているのは、楊だ。そのどこにも、ラスティンの姿は見えない。
「裏口にいます」
 ラスティンは穏やかな声で告げた。
「アレクさん、でしたか。背の高い」
 その名を告げられた途端、サラの血の気が引いた。
「彼があなたに会いたがってますよ」
 ラスティンの口元がなめらかな笑みを描く。
「サラさん……?」
 カトレシアが色を失っていくサラの顔を覗き込んだ。小刻みに震えた手に握り締められた携帯電話。通話は、すでに途切れていた。
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