押し問答に終わりはない。
ダルジュは楊の意図を掴みあぐねていた。
目的なくこんなことをするとは思えない――
思考を中断させたのは、自宅の裏から聞こえてきた車のエンジン音だった。猛スピードで走り去っていく。
「てめぇ!」
家を振り返ったダルジュが楊に向き直る。その瞬間には、楊の手に拳銃が握られていた。
「悔い改めなさい」
ダルジュが地を蹴り、横に飛ぶ。信徒達からも放たれた弾丸は、幸い服を掠めるに留まった。
「なにごとかね、ダルジュくん!」
カトレシアの父が叫ぶ。
「出てくるんじゃねぇ、ジジイ!」
ダルジュが怒鳴り返した。すぐさまマシンガンを手に撃ち返す。身を起こした時には、すでに楊達は車で逃走した後だった。
門扉と壁に、弾痕がはっきりと残っている。
嗅ぎ慣れたはずの硝煙臭さは、ダルジュに不快感をもたらした。
「クソが」
吐き捨てながら家に入る。
あの分では、サラは連れて行かれただろう。
「朝から派手な爆竹だったなぁ」
カトレシアの父が、的外れな感想を述べた。平和ボケでなによりだとダルジュが安堵する。
「おい、怪我ねーか」
無造作に頭を掻きながら、居間に入る。
淹れたての紅茶が、心地良い湯気を立てていた。
ついさっきまでそこにいたはずの人の気配が、ダルジュを迎える。
「……おい……?」
自分の家だ。居間だって広くない。すぐに見渡せるぐらいの狭さなんだから、見逃すはずがない。ダルジュとてそのことは承知していた。
それでも、ダルジュは探さずにいられなかった。
自分の見間違いだと思いたかった。
いないのだ、サラだけではなく、カトレシアまでも。
「まさか、お二人でいらしていただけるとは思いませんでしたよ」
助手席に座ったラスティンが、バックミラーを見て、目を細める。
後部座席に座ったサラの手を、カトレシアがしっかりと握っていた。こうしていると姉妹のようにも見える。
サラがおずおずとカトレシアを見上げた。
「カトレシアさん……」
「大丈夫です」
不安げなサラに、カトレシアは微笑みかけた。
「私は、あなたを一人にはしませんわ」
セレンの後を辿って着いた白い建物は、異様な殺気を放っていた。
バイクを止めたクレバスが、思わず息を呑む。
広がった青空に、白い壁。綺麗な景色のはずなのに、この感覚は何だ。
滑らかな切り口で切り取られた門扉から、中に入る。
左右を見渡し、正面の建物に入っていった。入ってすぐに、通路の横に管理人らしき人間が座っているのが見えた。
「やばっ」
見つかっただろうか。
クレバスが思わず身を伏せる。
異常に気付くのに、時間はかからなかった。
本来は全面の仕切りであったろう窓ガラスに、一本の線が引かれている。ちょうど座った人間の首の高さだ。そして、そのラインにあわせて切り取られたかのように、そこに座る人間には首がなかった。
クレバスが口元を押さえて、よろける。壁に背をつけたまま、こわごわと建物の奥を見た。通路の向こう、倒れている人の足だけが見える。
まさか、みんな――
ぞくりと冷気が背を駆け抜けた。
もう一度、目の前の管理人の姿を見て、顔をゆがめる。拳を握ると、クレバスは建物の奥へと駆け出した。
「今、ラスティン様は主だった信徒を連れて出かけています。同じくトップに立っている楊様も」
ぽつりとサワヤが呟いた。
アレクにむけて、にこりと微笑みかける。
「警備も手薄。逃げられても、仕方ありませんね」
「君ハ……」
アレクが信じられないという顔をした。
「僕は、アリゾランテの教義を信じています。ラスティン様もそうです。でも、これは……」
小さく首を振ったサワヤがアレクに手を差し伸べた。
「あの方は一途なんです。どうか、許してあげて下さい」
アレクがためらいがちにその手を取る。身を起こすと肩に痛みが走った。全身が気だるさを訴える。だが、動けないほどではない――アレクの瞳に光が宿った。
半ばサワヤに支えられるような形で部屋を出る。細長い廊下が左右に伸びていた。
見張りの男はいなかった。サワヤがうまく言いくるめたらしい。
廊下には、青い絨毯が引かれていた。壁は一面が白い。
周りを見渡したアレクが、口を開いた。
「ナンダカ……」
空気が、おかしい気がする。ざわついてささくれ立っているようだ。
それとも、これがここの正常なのだろうか。
「どうしましたか?」
サワヤがアレクを見上げる。
瞬間湧き上がる、罠かもしれないという思いを、アレクはかろうじて押し込めた。
「こちらに行けば、裏口に出ます。……お気をつけて」
アレクに道を指し示すと、サワヤはアレクの手を離した。
壁に手をつきながら、アレクが歩き出す。数歩進んだところで、アレクは立ち止まった。具合が悪いのだろうかと、サワヤが心配する。
しばらく肩で息をしてから、アレクは初めてサワヤの名を呼んだ。
「サワヤ」
「アリガトウ」
サワヤの顔に満面の笑みが広がった。
「あなたに、神のご加護がありますように!」
サワヤの言葉に、アレクが肩越しに微笑む、その瞬間だった。
ヒュウ、と空を切る音がした。
続いて、ごとりと鈍い音。
ただならぬ気配に、アレクが体ごと振り返る。
アレクに感謝の祈りを捧げた姿勢そのままに、サワヤが倒れていた。切り離された胴と首から溢れた血が、絨毯を赤く染めていく。
その後ろに立つ男に、アレクはどこまでも見覚えがあった。
「なんだ、思ったより元気そうだな」
長い指先に、銀の糸が絡みつく。
ルビーのように滴るそれは、サワヤの血だった。
「……セレン……」
乾いた喉から、ようやく男の名を呼ぶ。
掠れたその声に、セレンは満足そうに目を細めた。
【第20話・END】