DTH3 DEADorALIVE
クレバスは駆けた。
通路に足音が木霊する中、誰一人として駆けつけないのは、早朝のせいだと思いたい。
真っ白な壁に、真っ白な床。青い絨毯が道を指し示すように広がっている。
そこに滲む、赤黒い血。
通路のあちこちに倒れている人が見えた。
色を失った手からは、生気が感じられない。
クレバスは無意識に歯噛みした。
なにが悔しいのか、わからないままに死体をまたぐ。
死体だ。
自分が通り過ぎても誰一人咎めないことで、クレバスはそれを痛感した。
死体なのだ。
『報酬をもらうよ。君の生き方の一部』
知っていたはずだ。セレンがそういう人間だと。
それでも、心のどこかで信じていた。
英雄が変わったように、セレンもいつか。紡がれる穏やかな時間が、いつか彼の指先にためらいをもたらす日が来るだろうと。
角を曲がる。その先にまた、新しい死体が転がっていた。
『セレンはセレンだ。過信しちゃいけない』
クレバスは、いつだったか、英雄が告げた言葉を思い出した。
第21話 「変わり行く君の中の、不変」
アレクは表情をひどく強張らせたまま、サワヤの首を凝視していた。絨毯に吸い込まれるように血が広がっていく。体が、凍りついたように動かない。
言いたいことがすぐそこにまでこみ上げているのに、なぜだか声にならなかった。
その様子を見たセレンが目を細める。諸手を挙げて歓迎を受けるとまでは思わなかったが、このリアクションも想定していなかった。
顔色がひどく悪いのは、どうやら怪我のせいではないらしい。
「……ドウシテ……」
ようやく、アレクの唇から言葉が漏れた。
震える指先で自分を抱くと、決然と顔を上げ、セレンを正面から睨みすえる。
「ドウシテ、あなたハ……!」
「セレン!」
セレンの後ろ、建物の奥から通じる廊下に、クレバスが姿を現した。肩を上下させながら、声の限りに叫ぶ。
「え、あ、アレク……?」
セレンの肩越しに見えたアレクの姿に、クレバスは驚きを隠さなかった。
アレクも同様に目を丸くする。
「クレバス……」
呆然と呟いた後に、セレンを流し見る。視線には棘が含まれていた。
「勝手についてきたな」
セレンが薄く笑って肩をすくめた。どこか不満げな表情を残したアレクが、クレバスへと歩み寄る。
「大丈夫?」
アレクの肩を見たクレバスが、小走りに駆け寄った。
剣呑な空気が、少しだけやわらぐ。
アレクはわずかに唇を噛んだ。差し出されたクレバスの手が自分に触れる前に、口を開く。
「キイを」
「え?」
「ここにバイクで来た、デショウ」
「ああ、うん」
アレクから滲む殺気に気圧されながら、クレバスはバイクのキーを取り出した。
「借りマス」
言うが早いか、アレクがキーを掴む。そのまま立ち止まることなく、クレバスが来た道を歩いていく。息があがって、顔色がひどく悪いにも関わらず、足取りはしっかりしていた。どこか鬼気迫っているものすらある。
「アレク?」
「行かせてやれ」
遠ざかるアレクを振り向きもせずにセレンが告げた。
「したいことがあるんだろう」
アレクの背を不安げに見送っていたクレバスが、セレンに向き直る。その目に非難の色が浮かんでいるのを認めて、セレンは微笑んだ。
「なにか言いたそうだな」
そのすぐ傍らにすら、死体がある。立ち込める死臭は、到底拭えるものではなかった。
クレバスが瞳を伏せた。
「みんな……殺すなんて」
一般人だよ、とクレバスは呟いた。
これまで相手にしてきた、誰とも違う。暗殺のプロではない。ましてや、こちらに敵意など持ち合わせているはずもない人々。ハンズスやマージと、ふいにG&Gを訪れる客達となにが違うと言うのだろう。
クレバスにはそこが理解できなかった。どうしても割り切れない。
「自覚なく戦場にいる人間に罪はないと? めでたい話だ」
セレンが苦笑する。
「な……!」
抗議しようと声を上げたクレバスを、セレンが一瞥する。その視線の鋭さは、クレバスを静止させるのに十分な力を持っていた。
「お前も自覚しろ。自分がどこに立っているのか」
アリゾランテの支部から少し離れたブロックに、クレバスのバイクは止まっていた。
シートに腰を下ろしたアレクが、タンクに伏せて、ようやく一息つく。
傷の痛みがひどい。体もだるい。
けれど、それよりも押し寄せるような感情の波が抑え切れない。
額から流れる汗が、タンクに落ちる。アレクは薄く目を開けた。
このバイクは、アレクのお下がりだった。子供の頃からクレバスを乗せていた。日頃からアレクと乗ることで、自然バイクに興味を持ち始めたクレバスは、あっという間に運転を覚えてしまった。初めて運転してみせたのが、ハンズスも一緒にいる時だったものだから、アレクは大層ハンズスに怒られた。笑ってごまかしたが、ハンズスは多分まだ根に持っているだろう。それから、クレバス用にと適当にパーツを取り替えて、アレンジしたものを譲ったのだ。
あの場所に、クレバスがいたこと、ハンズスが知ったらまた怒るだろうか。
呼吸を整え、アレクが身を起こす。
それでも、あの場所に彼がいてくれてよかった。
キーに触れる。ひやりと冷たい金属の触感が気持ちいい。
そうでなければ、また一方的に、セレンを責めるところだった。
キーを回す。懐かしいようなエンジン音と振動が、アレクを迎えた。
知っている。自分に責める資格などはない。
それでも収まることのない感情の波に、アレクはきつく目を閉じた。
息をひとつ吐き、自分に言い聞かせる。
知っている。
彼を責める資格などない。
所詮は自分も同じ穴の狢なのだ。
知っている。
わかっているのに。
理性で納得しているはずのことを、感情が拒絶する。
どれだけ説得を試みても、アレクの中に渦巻く感情が治まることはなかった。
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