DTH3 DEADorALIVE

 カトレシアは白い霧の中を闇雲に走っていた。
 すぐ後ろに、ラスティン達の足音がする。その手に捕まれば、サラではないと容易に知れるだろう。その時自分はどうなるのか、カトレシアはそこまで考えていたわけではなかった。
 ただ、あの小さな少女を放ってはおけないと。
 走り続ける足がもつれそうになる。とっくに息は切れ、腹筋がひきつれるような痛みをもたらしていた。
「ああ、こんなことなら、もっと真面目にジャックとお散歩するんでしたわ」
 カトレシアは呑気とも言える感想を漏らした。
 落ちていた金属片で適当に切った髪の毛先が、走るたびに首筋に触れる。慣れない感触に、くすぐったさを覚えた。
 力を失いそうになる足を叱咤する。
「サラ様!」
 ラスティンの声が少し遠ざかる。角を曲がり、カトレシアは一息ついた。そして、すぐに走り出そうとする。
 直後に、腕を掴まれた。
「きゃあ!」
「見つけましたぞ」
 大柄の信徒がそこにいた。カトレシアが振り向くより早く、その額に穴が開く。鮮血を撒き散らしながら、男は崩れ落ちた。
 頬にわずかな返り血を浴びたカトレシアが、呆然と立ち尽くした。その視線の先に、ダルジュがいた。
 手には大きな拳銃を持っている。肩を上下させるほどの荒い息を吐き、ダルジュは険しい目をカトレシアに向けた。
「何やってやがる」
 言葉の端々に怒気が滲む。
 カトレシアは思わず震えた。
 彼女の知っているどのダルジュとも、そこにいる男の姿は違った。全身に纏う剥き出しの殺気に、気圧された。
「あ……」
 とまどうカトレシアの髪が揺れる。サラに合わせて切られたその不揃いさもまた、ダルジュの怒りに拍車をかけた。
「帰るぞ」
 ダルジュは乱暴にカトレシアの手を取った。
「痛……」
 カトレシアが呟いても離そうとはしない。そのまま大股に、ダルジュは通りを歩いていった。
「あ、あの」
「あのガキならクレバスが保護してる。ガキ同士似合いだろ」
 吐き捨てるようにダルジュは言った。歩幅を緩めようともしない。腕を掴む力は相変わらずで、カトレシアは半ば引きずられるような形でダルジュの後に従った。
「あの」
「糞坊主ならどっか行きやがった。残ってる馬鹿共は全部片付けた」
 カトレシアが疑問を口にする前に、ダルジュは全てを説明した。余計なことは言わせるなと言わんばかりだ。
 自分に対して怒っているらしいことを察したカトレシアが、俯く。
 どうしていつも、私はこの人を怒らせてしまうんだろう。カトレシアが自分の唇を噛み締めた。
「あの、手……痛いです。自分で歩けますわ」
 おずおずと告げる。ダルジュは答えようとしなかった。
「あの……」
「……ってんのかよ」
「え?」
 吐き捨てられた言葉を拾いきれずに、カトレシアが聞き返す。途端に、ダルジュが足を止めた。カトレシアがその背にぶつかったのを契機に、ダルジュが振り返る。顔にははっきりと、怒りの色が浮かんでいた。
「自分が何やったかわかってんのかよ!」
 容赦なく怒鳴るダルジュを見て、カトレシアは驚いた。
 今まで怒らせ、世話を焼かせたとしても、ここまで怒っているダルジュを見たことはない。それだけに、ダルジュの怒りの深さが窺い知れた。
「ご、ごめんなさい……」
 カトレシアの目に涙が浮かぶ。
 ダルジュは面白くないものを見たというように舌打ちして、再び背を向け歩き出した。
「なんも知らねぇくせに」
「……すみません」
「馬鹿が」
「……はい」
 でも、とカトレシアは続けた。
「私は何も知りません。でも、あの人が困っているのはわかりました。だから……」
 ダルジュは答えなかった。代わりに、カトレシアの手を掴む力が一段と強くなる。
 それを不快の証と受け取ったカトレシアは、悲しそうな顔をした。
「ごめんなさい」
「……謝るなよ」
 背中から見ても分かるぐらいにはっきりと、ダルジュはため息をついた。
 先ほどまでの棘がすっかり失せた声で、一人呟く。
「俺ばっか怒って、どうすんだよ」
 どっと疲労が押し寄せる。そんな声だった。背中が自然、丸くなる。
「俺だけ惚れてるみたいじゃねーか」
 ぽつりと漏らされた言葉に、カトレシアは目を丸くした。信じられないような面持ちで、ダルジュの背を見つめる。
 もうどれぐらいの間そばにいただろう。生活を共にするようになってからも、訊ねようもなかったダルジュの気持ち。カトレシアにできるのは、おぼろげな絆をただ信じることだけだった。
 初めて、言葉にしてくれた。
 その嬉しさが胸に込み上げる。
「ダルジュさん……!」
「なんか言えよ。恥ずかしいだろが!」
 耳まで赤くしたダルジュが怒鳴る。彼女はその背に抱きついた。



 歌が聞こえる。おまけになんだか煙草臭い。
 英雄はゆっくりと目を開けた。
 たっぷりとは言いがたいが、束の間の睡眠でいくらかの体力は戻ったようだった。握った拳でそれを確認する。
 英雄はシートに横になったまま、目を動かした。
 助手席にダイアナがいる。煙草の煙がゆらゆらとその指先から立ち昇っているのが見えた。窓を全開にしているのは彼女なりの配慮らしい。風向きのおかげで、全部車内に入っているのだけれど。
 彼女が小さな声で歌っている。
 子守唄だろうか。聞き覚えのないメロディだと英雄は思った。
 それでもなんだかずっと聞いていたい――
 どこか満たされた気持ちで、英雄は口を開いた。

「随分ユニークな音程の子守唄があるんだな」

 彼がダイアナに張り手をくらったのは、当然と言えば当然かもしれなかった。


第22話・END
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