DTH3 DEADorALIVE

 幾許かの休息は、英雄の体力をわずかながらに戻していた。ゆるく握り締めた拳でそれを確認する。
「行こうか」
 寝癖のついた頭を掻きながら、キーを回す。車のエンジンが軋んだ音を立てた。
 助手席で外を見ていたダイアナが、ちらりと英雄に視線を寄越す。
 心配している、というより、本当に大丈夫なのかと値踏みしているようだ。そうであってほしい、と願っているせいかもしれない。
 気遣いなんて、息が詰まるだけだ。
 かつて自分に向けられた少年の目が、ダイアナの瞳に重なる。ほんの少しだけ目を細め、英雄はアクセルを踏んだ。
 車がゆっくりと走り出す。
 輝く太陽が、二人の道行きを照らしていた。


第23話 「ハートシフト」


「やっぱり」
 安堵と落胆がないまぜになったような気持ちで、クレバスは呟いた。
 今はシャッターが降りているG&Gの店舗前、そこに見慣れたバイクが置いてあった。
 自分の――だ。アリゾランテの支部で、アレクに手渡した。
「戻ってんのか?」
 面倒そうに呟いたダルジュが車を止める。クレバスは慌てて飛び降りた。バイクのエンジンはとっくに冷え切っていた。
 店のシャッターを開ける。
 そこにアレクの姿は無く、バイクのキーがテーブルの上に置かれていた。
「アレク……」
 激していたアレクとは対照的な、鍵のひやりとした感触に思わず声を漏らす。
 どこに行ったんだろう。
 嫌な予感がじわじわと胸を侵食する。かつてアレクと暮らしていたあの日、戻る予定のない書き置きを目にした時に似ていた。
 気付かぬうちに唇を噛み締める。
「おめーらも、とりあえずここにいろ。家よりゃマシだ。人目もあるしな」
 ダルジュがサラとカトレシアに声をかけた。
「は、はい」
 おずおずとダルジュの前をカトレシアが通る。まだ落ちきっていなかった髪が、ぱらぱらと舞うのを見て、ダルジュは眉を潜めた。
「おめーはどうする?」
 不機嫌さを隠そうともせず、ダルジュはクレバスを見た。
 クレバスが振り返る。手にしっかりとキーを握ったまま、それでも瞳は揺れていた。
「二兎を追うものは、って言うぜ?」
「……うん」
 そしてクレバスは知っていた。そのどちらも、恐らくはクレバスの助けなど必要ないということを。
「でも、行かなきゃ」
 決意したように呟く。
「英雄が、呼んでる」
 呼んでいなくても、勝手についていくと決めた。
 ならば今は、立ち止まる時ではない。
「物好きな野郎だ」
 ダルジュが吐き捨てる。
 それからクレバスを見て、告げた。
「俺は見ての通り、こいつらのお守りで手一杯だ。なんもしねーぜ?」
 ――心配せずに行ってこいと言っている。
 ダルジュの言葉の意図を汲んだクレバスは嬉しそうに微笑んだ。
「わかってる! 大丈夫!」
 駆け出そうとするその手を、サラが掴んだ。
「サラ?」
「わ……私、も」
 目を丸くするクレバスに、追いすがるようにサラは告げた。
「私も、行きます……! 行かなきゃ……!」
「サラ……」
 込められた力の強さに、クレバスが思わず立ち止まる。その視線を受けて、ダルジュは「好きにしろ」と呟いた。


 クレバスとサラの乗ったバイクを見送って、店に戻るとダルジュはシャッターを閉めた。先の襲撃から後片付けをしただけの店内は、どこか殺伐とした雰囲気を醸していた。おまけにアレクの作っていたドライフラワーが壁一面に吊るされている。首吊り人形が並べられているようで、ぞっとしない。
 花弁の色が見事に保たれたドライフラワーに魅入っているカトレシアに、ダルジュは声をかけた。
「おい」
「はい」
 ダルジュが鷹揚に椅子を蹴る。花屋のカウンターにあるシンプルなパイプ椅子だ。カーブを描く曲線が優しく、どこか可愛らしくもある。
「ここに座れ」
「え……」
 カトレシアの瞳が瞬いた。ダルジュが無言で睨むと、慌てて座る。短くなった髪の間から、カトレシアのうなじがしっかりと見えた。肩の小ささと首の細さに、ダルジュが嘆息する。
「何で切ったんだ?」
 カトレシアの不揃いな金髪の毛先に触れながら、ダルジュが訊ねた。
「金属片が落ちていましたので、それで」
「バラバラにも程があるだろうがよ」
 はぁ、と聞こえよがしにため息をつく。「ちょっと動くな」と言い置いて、ダルジュは奥へと入っていた。
 やはり呆れているのかしら、とカトレシアは俯いた。
 自分のしたことを後悔などしていない。それでも非難されると、心が痛んだ。
「待たせたな」
 久方ぶりだからどこにしまったかわからなかったと呟きながら、ダルジュはカトレシアの前に鏡を置いた。ふわりと、カトレシアの体にケープが巻かれる。
「ダルジュさん……?」
 振り向きかけたカトレシアの頭を掴んで、正面を向かせる。耳に顔を寄せ、囁いた。
「我流だから、洒落たことなんかはできないけどな。切りそろえるぐらいならしてやる」
 鏡の中のカトレシアの顔が、ぱっと輝いた。
「で、できるんですか?」
「床屋に行って喉さらす真似なんざ出来るかよ。これだって自前だ。ここに住んでた時にゃ、セレンのだって切らされたことあるぜ? 気に食わなかったらしく殴られたけどな」
 ダルジュが自分の髪を引っ張りながら言う。カトレシアはくすくすと笑い出した。
「なんだよ」
「いえ、器用な方なんだと思いまして」
「馬鹿にするならしねーぞ!」
「あ、すみません!」
 慌ててカトレシアが口元を押さえる。
 それから、にっこりと微笑んでダルジュに告げた。
「よろしくお願いしますわ。ダルジュさん」
 不機嫌そうにダルジュが背を向ける。その耳が真っ赤に染まっていることも、鏡にしっかりと映っていた。
Copyright 2007 mao hirose All rights reserved.