DTH3 DEADorALIVE

第25話「魔女の指差す先」

 高さは五メートル。もう少しあるだろうか。
 クレバスは太陽の光を手で遮りながら、アリゾランテの記念碑を見上げた。潮風が常に吹き付ける岬の先にあるにも関わらず、手入れが怠りなく行われているのか、ちっとも傷んだ様子を見せない。白さが海に映えて目に痛いほどだ。
「我らの祈りと平和を永久に、か」
 刻まれた文言を口にする。
 ありふれた字句だと思った。
「やっぱり、ただの記念碑ですね」
 サラが肩を落として言った。どこかに入り口のひとつもあるかもしれないと、一メートル四方ある土台をぐるりと回ってみたのだ。
「そうかな?」
 クレバスがもう一度記念碑を見上げる。細長い記念碑は、空に向けて指差しているようにも見えた。
「黒い指先は、魔女の囁き。悪魔の教えに耳を貸してはならない」
「え?」
 目を丸くするサラに、クレバスは言った。
「ああ、なんかアリゾランテ関連の資料に書いてあったんだ。妙に印象に残ってて」
 振り返ったクレバスの動きが、そのまま止まる。
 サラに、記念碑の影が落ちていた。
 長く伸びた影が、黒い指先を連想させる。
「クレバスさん……?」
 自分の後ろになにかいるのかと振り返ったが、なんの異変も見つけられない。サラが不安げにクレバスを呼んだ。
 反射的にクレバスはサラの肩を掴んでいた。
「サラ!」
「は、はいっ!」
「もう一度、絵本の話してもらっていい?」
 まっすぐに瞳を覗き込むように言われ、サラの鼓動が高鳴る。
 徐々に赤くなっていくサラの顔を見て、クレバスの目が瞬いた。
「サラ?」
 具合悪い? と心配げに問う。サラは大きく首を振った。
「い、いいえっ」
 それから消え入りそうな声で、大丈夫です……と呟く。
「そう? 顔真っ赤だけど」
「こ、これは別に、その」
 サラが髪を振りながら弁明する。
「ふぅん?」
 疑問を残しながらも、クレバスは納得したようだった。
「そういえばさ」
「はい?」
「話し方、もっとフランクでいいんだけど?」
 年も近いんだし、とクレバスは笑った。屈託のない笑顔は、少年らしいあどけなさを残している。
「……努力、します」
 なんだかひどく難しいことを言われた気がして、サラは俯いた。


 頭上で話し声がした気がして、英雄は天井を仰ぎ見た。
 ひんやりした洞窟は、湿気が篭っている。手にしたライターを掲げると、コンクリートの階段に水滴がついているのが見て取れた。何年も放置されてきたのだろう、床にはところどころに水溜りが出来ていた。気を抜けば足を取られそうだ。
 岬の先にあるアリゾランテの記念碑。その影の落ちる先にこの洞窟の入り口はあった。岩場の影になっていて、そうと注意して見なければわからないほど小さな入り口だった。英雄達が訪れた時間が、入り口に向けて記念碑の影が落ちる時にぴったり合っていたのは、僥倖というより他ないだろう。そんなご利益いらないんだが、と英雄は心の中で零したものだ。
「どうかしたの?」
 後ろに続くダイアナが声をかける。
「いや」
 無意識に立ち止まっていた。英雄が歩き出す。
 背後のダイアナに気取られぬよう、ちらりと上を見やった。
 クレバス――?
 いるわけがないのに、なぜか近くにいる気がする。
 あまりありがたくない予感だ。英雄は身震いした。
 こんな場所に、来るわけがない。
 英雄は自身に言い聞かせた。
 むしろ来ないでくれと思っている自分がいるのも自覚して。
 彼が無能であればいい。そうすれば、英雄としても心置きなく引導を渡せるというものだ。
「君にこの仕事は向かないよ」
 そう言えたら、どんなにかいいだろう。
 だが――
 英雄は嘆息した。
 知っている。これまでの経緯を省みる限り、クレバスはその能力を遺憾なく発揮していた。セレンやアレクの教育の賜物だろう。子供特有の利発さで、周りの大人のスキルを吸収してしまった。物覚えがいいから、つい教えすぎてしまいマシタなんてアレクに言われた日には、頭痛どころの騒ぎではなかった。
 クレバスが自分の仕事を手伝うと言った矢先に、意図せず別行動を取ることになった。渡りに船だと思わなかったと言ったら嘘になる。なんといっても、これでクレバスと向き合わずに済む大義名分が出来たのだから。
 そうして願わくば、彼がなすすべなくあの家に立ち尽くしていてくれたなら、自分は――そこまで考えて、英雄は唇を噛み締めた。
 けれどもし、彼がこの場に来たなら。
 一番考えたくないことだと英雄は思った。が、ありえない話ではない。
 その時には、認めなければならないのだろう、彼を。
 庇護する者ではなく、隣に立つパートナーとして。
「はあ」
 知らず口から大袈裟なため息が漏れる。ダイアナが怪訝な顔をした。
「息でも苦しいの?」
「胸がね、少し」
 ああ大したことじゃないんだ、と英雄は片手を振ってみせた。
「まいっちゃうね、どうにも」
 ダイアナが怪しむ視線が背中に刺さる。それを感じながら、英雄は歩を進めた。岩肌から滑り落ちる水滴の音が木霊する。
 階段は螺旋を描き、地下に続いていた。
 先は暗く、見通そうとしても果たせなかった。
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