DTH3 DEADorALIVE

第26話「波の行方」

「そうですか、わかりました」
 丁寧な口調でそう告げると、ラスティンは受話器を置いた。
 ダイアンの別荘地へ赴いた楊からの電話だ。こんな時に感傷に浸りに行くとは内心呆れもしたが、思わぬ収穫があったらしい。
 サラ様を見つけた。
 やや興奮気味に神の加護について語る楊の声を聞き流しながら、ラスティンは別のことを考えていた。
 アリゾランテの始祖、ダイアンの別荘地。そこにあるアリゾランテの記念碑。岩場の洞窟へと姿を消したサラ。
 ――それはつまり。
 ラスティンは乾いた唇を舐めた。
 そこに遺産のヒントがあると言うことではなかろうか?
 探偵事務所の少年が一緒だったというが、それが障害になるとは思えない。
 いざとなれば、排除してしまえばいい。
 ラスティンの指先が、盤上に立ってたチェスの駒を弾いた。軽快な音を立てて、駒が盤上から転がり落ちる。 
「神のご加護を」
 皮肉げにそう告げる。その頬は笑みを描くことなく、瞳は凍りついたままだった。


 断続的に続く鈍い痛みが、思考を休ませない。
 すでに昼中を過ぎた街では、熱気が立ち込めている。額から伝った汗を拭うこともなく、アレクは日陰の階段に座り込んでいた。
 暴れ馬のような感情を抑えるのに苦労する。論理的に考えようとしても、どうしても感情が入り混じる。
 サワヤのこと、ラスティンのこと、サラは無事だろうか。セレンは――
 アレクは無言で眼を細めた。
 セレンは。
 確信を後押しするように、鼓動が鳴る。
 今回の事件のそもそもの発端は、サラが店に来たことだ。G&Gへの襲撃があったあの晩、セレンはなんと言っていただろうか。
『誰に牙を剥いたか、きちんとわからせてやろうじゃないか。しっかりと躾けなければね』
 アリゾランテの支部で、セレンが築いた死体の山を見た。今まで溜まった憂さを晴らすかのような、凄惨な現場だった。それでもどうしても、アレクには疑念が拭えなかった。
 あの日、あの時間、あの場所にラスティンはいなかった。
 アレクは目を閉じた。幾重にも絡まる鋼糸のように、アレクを捕らえて離さない思考。
 ――セレンが、メインの獲物を逃したままにしておくだろうか。
 そこに考えが至る度、アレクは苦笑せざるを得なかった。
『あの方は一途なんです。どうか、許してあげて下さい』
 サワヤの祈るような顔が思い出される。
 アレクの目がうっすらと開く。唇には誰へともつかない微笑が浮かんでいた。
「……仕方ないデスネ」
 埃を払いながら立ち上がる。
「行かなけレバ」
 背をそらし気味にして、わずかな伸びをする。それだけで、肩に激痛が走った。低く呻いたアレクが屈みこむ。しばらくそうしたまま、アレクは動かなかった。
 目だけが前を見て、唇が再び呟いた。「行かなけレバ」 義務感に後押しされた体が動き出す。
「私は彼の、パートナーですカラ」
 どうしようもない人だけれど、それでも人だから。そこに自分の行く価値があるのだろう。アレクはそう信じた。
 行き先を決め、外に出る。高く昇った陽に手をかざす。落ちた影は黒く長く、後を引くようについてきた。


 滴る水滴の音が洞窟の中に木霊して聞こえる。ともすれば距離感を失いそうなその感覚に、英雄は眉を顰めた。
「ずいぶん深いんだな」
「寒くて凍えそうよ」
 ダイアナが身を震わせる。外の陽気が嘘のように、洞窟の中は冷え切っていた。薄手のワンピースから覗いた肩に鳥肌が立っている。
 螺旋階段を降りきると、わずかばかりのスペースに出た。その中央に、古びた扉がある。鉄製なのだろう。全体が錆び、ところどころに苔が生えている。朽ちかけた風情の中にも重厚さを誇る扉だった。
「なにこれ? これが金庫?」
「いや」
 扉を調べた英雄が首を振る。
「なかなかどうして。これ、見た目はイッてるけど、中は最新鋭みたいだ。見ろよ、これ」
 英雄がそばにあった石で扉を覆っていた苔を削る。その下から、今磨いたばかりのような銀色の地金が現れた。鉄製ですらないらしい。錆も苔も、後からつけたダミーのようだ。
 大きな鍵穴を覗き込んだ英雄が渋い顔をする。
「やっぱり。こっちもダミーだ。本当の鍵穴がどっかにあるな」
 参った、と英雄が嘆息して肩を鳴らす。次の瞬間、彼はダイアナを抱き寄せていた。手にしていたライターの火を消す。辺りに暗闇と静寂が訪れた。
「なに?」
「しっ」
 ダイアナが疑問を口にする前に沈黙を促す。
 沈黙が満ちた洞窟内で、英雄は耳を澄ませた。
「……足音がする」
 ぬかりなく辺りを伺いながら、英雄が息を潜める。英雄の言葉を受け左右に目を走らせたダイアナは、しかし、その足音を捉え切れなかった。
「……本当に?」
「まずいな、ここじゃ身を隠す場所もなさそうだ」
 冷え切ったダイアナの肩をさすりながら、英雄は扉を睨んだ。行き先は、どうやらあの中ぐらいしかないらしい。
 降りてきた螺旋階段を見上げる。落ちてくる水滴に、かすかな足音が混じる。距離を測るかのように、英雄は目を細めた。
「まだ、少しくらいの時間はありそうだ」
 言った英雄がダイアナの肩を押す。
「少し移動する」
「どこに?」
「階段の真下。誰かが降りてくるとすれば、この中じゃ唯一の死角だろう。足元に気をつけて」
 最後につけたされた言葉に、ダイアナが驚いた。
「あら驚き。エスコート、できるんじゃない」
「転ばれでもしたら、相手に気付かれる」
「ああそう」
 わざと派手に転倒してやろうかと考えながら、ダイアナは英雄のナビ通り歩を進めた。洞窟の最下層であるこの場所には光が届かない。ライターの火を消した今となっては、完全な闇が二人を包んでいる。隣にいる英雄の顔すら、彼女には見えなかった。それでも英雄には何がどこにあるのかわかっているようだ。迷うことなくゆっくりとダイアナを移動させる。
 肩を抱かれたダイアナがわずかに英雄を見上げる。すぐそこにあるはずの英雄の顔を想像した。
「なにか?」
 視線を感じた英雄の平坦な声が問う。
「べつに」
 なんでわかるのかと思って、とダイアナが呟く。
「さっき降りてきた時に、一通りの位置関係は把握したよ。でもこれからが難儀だな」
 明かりナシでの探索なんて無謀すぎる、と英雄は愚痴を零した。
「せめて目がもう少し慣れればいいんだが……」
 言いかけた英雄の語尾が消える。彼の目は、洞窟の壁面に注がれていた。
「……これは……」
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