崩壊していく階段を一息に駆け抜け、洞窟から出る。二人が地上に辿り着いた直後に、螺旋階段は地底へ引きずり込まれるように消えていった。
ほの暗い世界から一転、外で待ち構えていた強烈な陽光に、クレバスが立ち眩む。その背後で、胸を押さえたサラがうずくまった。
「どうした?」
同じく肩で息をしたクレバスがサラを見やった。
「こんな、に。走ったこと、なかったから、息が」
荒い呼吸の合間にサラが答える。せわしなく肩を上下させ、頬には赤味が差していた。
「でも、いい顔してる。すっきりしたみたいな」
クレバスが微笑んだ。サラもつられて笑う。
「うん……!」
確かに体が軽かった。悪いものがすっかり落ちたような気分だ。
「そうだ、これ」
クレバスが手にしていた銀貨を無造作に服で拭いた。それから、サラに差し出す。
「大事なものだろう?」
「あ……」
サラは両手で銀貨を受け取った。
重苦しい祖父の形見。今、愛しいと思えるのはなぜだろう。
もう少しで手放すところだった。ごめんなさい、おじいちゃん。
銀貨を胸に抱き、ふと顔をあげたサラは、次の瞬間青ざめた。
「クレバスさん、血が……!」
クレバスの上着、その右腕部分に血が滲んでいる。
「ああ」
なんでもないというようにクレバスは傷を見た。
「やっぱりちょっとは掠ったみたいだ。セレンみたいに無傷ってのは無理みたい」
修行が足りないな、とクレバスは苦い顔をした。セレンが鼻で笑う様子が目に浮かぶ。
「痛みますか?」
半泣きになったサラがハンカチを取り出す。手当てをしようとしているのだ。察したクレバスは、一歩引いた。
「いや、別に」
クレバスの腕をサラが掴む。
「大丈夫だって、これぐらい」
「ダメです!」
「だ……」
「手当て、させてください」
強引とも言える力強さで、サラが訴える。その瞳があと一押しあれば泣きそうなのを見て、クレバスは折れた。その場に腰を下ろす。上着を肌蹴させると、膝をついたサラが傷口を覗き込んだ。
上腕部の筋肉を抉るような銃創が見て取れる。クレバスは掠ったと言ったが、どう贔屓目に見繕ってもかすり傷ではなかった。
「……ひどい……」
サラが唇を噛み締める。
涙が零れそうだ、とクレバスは思った。
ハンカチを傷口に押し当て、器用に巻いていく。じわりと染み出る血に、瞬く間にハンカチが染まっていった。
「痛い、ですよね……」
すみません、とサラが詫びる前に、クレバスが小さく笑った。
「クレバスさん?」
「ああ、ごめん」
サラを笑ったわけじゃない、とクレバスは弁明した。
「なんか、昔を思い出してさ」
英雄が傷つく度に怒っていたことを思い出す。その度に、英雄は痛くないと言っていたのだ。今のクレバスの対応は、まさにそれに近かったのではないか。最低だと思っていた英雄の行動に似る。あまりありがたい話ではない。それでも、あの時の英雄の気持ちがわかるような気がした。
「本当に、そんなに痛くはないんだよ」
クレバスは穏やかな笑みでサラを見つめた。
「他に大事なものがあるから」
かつての英雄にはクレバスが。
今のクレバスにとっては、サラと銀貨が。
真っ直ぐに見つめられ、サラの頬が紅く染まる。海から吹きつける潮風が、その火照りを冷ましていった。
「さて、それにしてもどうしようか」
クレバスが無造作に立ち上がる。あの扉の向こうに何があるのかは知れないが、道を完全に断ってしまった。もうあそこに戻るのは不可能だろう。
思案に暮れ、海を見やる。
干潮の時間になったのか、水位が大分引いて、先ほどよりひろい海岸線が姿を現していた。水面が陽光を反射して煌く。透明度の高さからか、時折魚が泳ぐ姿が視認できた。
「サラ」
「は、はい」
「あそこ」
クレバスが指差した先に、小島があった。
陸続き、とまではいかないが、海岸から浅瀬がずっと続いている。潮が引いているせいだろう。洞窟内に足を踏み入れる前は、完全に海中に浮かんでいるように見えた。
そう遠くはない。歩いていけそうな距離だった。
「行ってみようか」
少年特有の好奇心を押さえきれずに、クレバスは告げた。
「え?」
「気分転換。だめかな?」
どちらにしろ、あの中には入れないわけだし、とクレバスが洞窟を顎で示す。
目を丸くしたまま、クレバスと小島、洞窟を見比べたサラは、少し迷うそぶりを見せた。 その様子を見たクレバスが我に返る。ここに遊びに来たわけではない。おまけにこんな時に言うべき言葉ではなかった。
「あ、やっぱり……」
クレバスが前言を撤回しようとした瞬間、サラが口を開く。
「うん」
海風にサラの金髪がなびく。やわらかな笑顔が、青空によく似合っていた。
遠く、地響きを感じ取ったような気がして、英雄は立ち止まった。
「どうしたの?」
ダイアナが片眉を上げる。
「今、揺れなかったか?」
「そう?」
ダイアナが辺りを見回す。四方が白い壁に囲まれた通路には、なんの変化もない。
耳を澄ますようにして、それから「わからない」と肩をすくめた。
「ん、気のせいならいいけど」
英雄が後ろを振り返る。
一度角を曲がったせいで、もう扉を視認することはできない。けれど、そこにたちこめる空気に違和感を覚えた。
壁を見通すかのように、英雄が目を細める。乳白色の壁は、無機質な電灯の明かりを受け、なんの変化も見せなかった。
第27話・END