DTH3 DEADorALIVE

 神の御手による奇跡というものがあるのなら、今この地にこそ相応しい。
 アリゾランテ開眼の地の力、とでも言うのだろうか。
 楊はその場に平伏したいような衝動に駆られた。時間が許せば、彼はためらいなく何日でもそうしていたことだろう。だが、今は進まねばならぬ時だ。信仰のために。
 探偵事務所の少年が階段を破壊した時には、もう終わりだと思った。
 ダイアナだけでなく、サラですら楊に背を向けた。始祖の孫娘達はことごとく信心を持ち合わせていないようだった。もろくもつながっていると信じた絆は、どこにもなかった。
 絶望に満ち、半ば放心した楊が立ち上がった時、瓦礫の中に見つけたもの。
 それは穏やかに微笑む聖女の彫像だった。アリゾランテの信仰の象徴でもある。
 洞窟内のどこにあったのか、まるで覚えがなかった。サラ達に注意していたのと洞窟特有の薄暗さで気付けなかったのだろう。
 落下の衝撃で埃と砂にまみれ、頬の欠けた彫像を瓦礫から抱き上げる。半身を瓦礫に砕かれ、上体だけの姿は、楊の砕かれた信仰心に似ていた。
 ひび割れた顔が傷ましい。
 汚れた部分をはたいて拭いてやる。と、割れた頬から何かが零れ落ちた。
 一際高い金属音が響く。
「これは……?」
 楊の足元に、雷を抱く女性をモチーフにした銅貨が落ちていた。


 人は所詮獣であり、言葉は鳴き声に過ぎない。
 鈍く磨り減った野生の直感を馬鹿にするならば、そこに待つのは死だ。
 どこかで読んだようなフレーズが唐突に頭をよぎる。自分の中の本能が警鐘を鳴らしているのだと、英雄は自覚した。
「なに? そんなに後ろが気になるの?」
 ダイアナが小心者と言わんばかりの嫌味をぶつける。
「まあね」
 英雄は素直に応じた。
「後ろから来る人間は、ろくなもんじゃない気がするんだ」
 だって限られているからね、と言いつつ振り返る。
「君の妹、もしくは僕らを熱烈に歓迎してくれたあの人達」
「サラ達ならいいんだけど」
 ダイアナの言葉に、それはそれで困ると英雄は内心返事をした。こういう状況でセレンやアレクと出逢うことが吉とはどうしても思えなかった。
「まあ、いいや」
 対策はとってあるし、という語尾を飲み込む。
 過ぎてきた通路に仕掛けてきたトラップ。
 即席だから威力抜群というわけではないが、足止めにはなるだろう。
「あんなの、セレン達はかかってくれないだろうけどなぁ……」
 ありったけの憂鬱さをこめた呟きは、ダイアナの声に掻き消された。
「ちょっと!」
「なんでしょう、お姫様」
 肩をすくめる英雄の返事に、ダイアナがむっとする。
「やめてくれない? その小馬鹿にしたような返事」
「そいつは失礼」
 英雄が形ばかりの謝罪をする。それから、ダイアナの前にあるものを見て、「ああ」と頷いた。
「ゴールなんだね」
 代わり映えのしなかった通路の先に、これまた味気ない扉がある。『この先、火気厳禁』のステッカーが唯一の彩りだ。
「当たったみたいじゃない? あなたの予想」
「そう? あんまり嬉しくないな」
 英雄が微笑んだ時、通路の奥から鈍い音がした。わずかに響く音と振動。
「なに?」
 驚いたダイアナが自分達の来た道を振り返る。
「ああ」
 英雄は特に興味ない様子で頷いた。誰かがトラップにかかったのだ。
「予想が当たる、か」
 本当に嬉しくないなと呟きながら、音のした方向を顎で指し、英雄は肩をすくめた。
「ほら、僕が当てるのは悪い方だって相場が決まってるんだ」


 波の感触の中に、不自然な揺れを感じたような気がして、クレバスは立ち止まった。
「クレバスさん?」
 後に続いていたサラがつられて足を止める。クレバスは足元をじっと覗き込んでいた。鏡のような海面に、二人の姿が映りこむ。クレバスの視界に映るのは、透き通った海に沈む岩、小魚、珊瑚と、水中にわずかに舞い上がった砂だった。
「今、揺れなかった?」
「え?」
 わかりませんでした、とサラが首を振る。
「ほんの少し、だけど……」
 足先に神経を集中させながら、クレバスは顔をあげた。
 もう浅瀬の半分過ぎを歩いてきた。あと少しで、小島に辿り着く。
 ちゃぷちゃぷと小気味良い音を立てながら、波が絶え間なく足に触れる。先ほどの振動など気のせいだと言わんばかりだ。
 それでも、クレバスは確信していた。間違いではない。
「サラ、ちょっとペースを上げよう」
 言ったクレバスがサラの手を引く。足元から込み上げる不安を振り切るように、クレバスは歩を早めていった。


 いい天気だ。
 ニューヨークのビルの隙間から覗く澄み渡った青い空を眺めて、セレンは目を細めた。適度に湿気を含んだ空気が心地良い。
 キャットフードをトレイに出すと、子猫が嬉しそうに食べ始めた。それを視界の端で確認したセレンが、残りを戸棚にしまう。
「そろそろ私も行かなければな」
 その言葉を聞いた子猫が顔を上げた。
「お前は留守番だ」
 意味がわかるのか否か、子猫は声を上げた。抗議をしているようだ。
「安心しろ。じき戻る」
 セレンが窓を開けた。乾いた風が入り込む。
「そう――食い残した男の首を刎ねたら、すぐに」
 血の赤さは夕陽にさぞかし映えるだろう。
 その瞬間を思ったセレンの唇が残酷な笑みを描く。残された碧眼は、殺意の純粋さを示すかのように澄んでいた。


第28話・END
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