DTH3 DEADorALIVE

 初めに抱いた印象の通り、それはなんの変哲もない小さな島だった。
 陸に辿り着いたクレバスがあたりを見渡す。すぐに視界に入る、島の両端。建物などまるで見当たらない。一周するのにもさして時間はかからなそうだ。
 本当に散歩をするためだけに存在しているように思える。
 気分転換。
 そんなつもりでここに来たのだけど。
 クレバスが足元の大地を見つめる。先ほどの振動は、なんだったのだろう。
 あれから、ずっと違和感が消えない。凶兆にも似た、嫌な気配。
 体にまとわりつくその気配を拭うように、クレバスは一度身を震わせた。
「クレバスさん? 寒いんですか?」」
「ううん、別に。ただ……」
 クレバスの言葉が途中で止まる。その視界に、いるはずのない人間が映っていた。


第29話「凶兆 1.5」


 通路の行き止まり、そのドアを開けると、目の前に広がっていたのは青空と青い海、見上げるような木立に囲まれた陽だまりだった。
「な、なにこれ?」
 まぎれもない潮風を頬に受けながら、ダイアナが呆然と呟く。どうせ着くのなら金庫なり、どこぞの部屋なりだと思っていた。だが、目の前の光景はどう見ても屋外だ。見回したところで、それらしき標識も掲示もなにもない。ただ、外へと通じているだけだった。
 頭を掻いてあたりを見回した英雄が、対岸にそびえるアリゾランテの塔を見つける。目をこらし、やはり間違いないことを確認してから、彼は口を開いた。
「なるほど。ほら、あそこから見えた小島に通じる通路だったみたいだよ」
「はあああ?」
 これ以上ない非難の声をダイアナが上げた。
「こんな場所に来てどうしろっていうのよ?」
「さて。案内板があるわけじゃないし」
 どうしたものかな、と英雄が首をかしげる。しかし、それも長い時間ではなかった。
 すっと細められた英雄の目が、元来た通路へと向けられる。そこから複数の気配が迫っていた。
「お客さんだ」
 言うが早いか、ダイアナの手首を掴んで引き寄せる。
「えっ」
 そのまま、英雄は傍の茂みへと身を滑り込ませた。そこは二人の身を隠すのに十分なサイズとは言いがたいが、ドアからの死角にあたる場所だった。大人しくさえしていれば、当面はやりすごせるだろう。
 英雄が身をそらしながらドアを見やる。
「ちょっと何ここ、ぬかるみ……」
 抗議のために口を開いたダイアナの眼前で英雄が指を立てる。
「静かに」
 その言葉が終わらないうちに、招かれざる客がドアから姿を現した。
「楊……!」
 その姿を認めたダイアナが息を呑む。
 つけてきたのか。
「それはない」
 ダイアナの思考を見透かしたように英雄は言った。
「あれから、誰かが僕らを追っている気配はなかった。ここに来たのは、つまり」
 ありがたくない偶然というヤツだ。
「でも、どうやって」
 ダイアナが身を乗り出しかける。あの通路には、コインがなければ入れないはずだ。遺産の鍵となる金貨と銀貨は、それぞれダイアナとサラが管理している。楊があの通路を通ってここに来れるはずがないのだ。
 ――サラ……!
 ダイアナの脳裏にサラの姿がよぎった。
 金貨は確かに自分の手の中にある。楊が持っているのはサラの銀貨に違いない。
『ごめんなさい、お姉ちゃん。私、できない』
 あの子が珍しくノーと言った、ダイアナにすら渡さなかった銀貨を。
 どうやって!
 気色ばむダイアナを英雄が押さえ込んだ。
「ダイアナ!」
「離して! あの子になにかあったのかもしれないのよ?」
「落ち着けって」
 楊の後に何人か信徒が続く。サラの姿はない。
 もがくダイアナを英雄が抱き止める。こんな時にだけ力を出すのだ、この男は。怒りをこめたダイアナの爪が英雄の皮膚に食い込む。英雄は顔をしかめた。
「まるで猫だ。しかもヒステリックときた」
「うるさいわね!」
 力の緩んだ一瞬に、ダイアナの平手が英雄に飛ぶ。コンパクトなスイングを誇る手を、英雄はあっさりと受け止めた。
 以前はたやすく叩かれていたのに。
 わざとだった?
 驚くダイアナを英雄が正面から見据える。その瞳の黒さに、ダイアナが息を呑んだ。
「今は僕を信じて」
「いやよ」 ダイアナが首を振る。
「本当にわがままだな」
 やれやれと言った風情で英雄は嘆息した。
「じゃあ、騙されてくれ。君に悪いようにはしないから」
「信用できない」
「あのな……」
「相談事は終わりましたか」
 突然頭上からかけられた声に、英雄は静かに目を閉じた。己の迂闊さを心から呪う。
 ダイアナは動じることなく楊を見上げた。後ろに何人かの信徒の姿が確認できる。身じろぎでもしようものなら囲まれる。そんな雰囲気だった。
「あんた、どこでそれを手に入れたの」
 ダイアナの言葉が何を指しているのか――楊は履き違えつつも理解した。
「このコインですか」
 広く間口の開いた白い裾から楊がコインを取り出す。その色に、ダイアナは目を見張った。
 銀ではない。もちろん、金でも。
「なぜ……?」
 ダイアナの口から言葉が漏れる。
 祖父は自分達に全てを託したのではなかったか。
 金貨と銀貨。それが鍵だと。
「始祖のお導きです」
 楊が勝ち誇ったように告げる。
 その手に携えられた三枚目のコイン。
 鈍く光るコインは、土の色をしていた。
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