DTH3 DEADorALIVE

第30話「過ぎ行く死神の鎌と天使の憐憫」

 死神がいれば、きっとこんな形だ。
 ラスティンは目の前に立つ男をそう評価した。
 凶悪な殺気を放つでも、威圧的な外観をしているわけでもない。どちらかと言えば優男の部類に入るその姿形には一切の無駄がなかった。すらりと伸びた体躯に、整った顔立ち。唇が描いた形は、性別を問わずに魅了する、ある種の凄絶さをまとった笑みだった。
「これを寄越したのはお前だな?」
 セレンが手を翻すと、指の間からカードが現れた。アレクが襲撃された折、マンションのエレベーターに残されていたものだ。

『彼に一セントの価値もあるかどうか』

 血溜まりと共に残されたその言葉を見た瞬間、よぎった感情を忘れようもない。こうして対峙しているだけで沸々と湧き上がってくる。不快感と高揚感が入り混じり、止めようもないその感情の名は。
「怒っていらっしゃるんですか」
「まさか」
 ラスティンの指摘をセレンは一笑に付した。
「あれに何が起きようと、私の知ったことではない」
 いちいち助け合ってなどいられない。それはアレクも承知のはずだ。
「だが――」
 語り始めたセレンの口が止まる。
 だが、なんだというのだろう。
 一瞬の逡巡。
 その隙をついて、銃声が響き渡った。
 ラスティンの手に、細工の施された銃が握られている。銃口はセレンの胸に定められていた。
「だが……なんです?」
 立ち尽くしたまま動こうとしないセレンに、容赦なく引き金を引く。銃口から吐き出された弾丸が、セレンを目指し宙を駆ける。着弾を見届ける間もなく、ラスティンは引き金を引き続けた。
 しかし、セレンが倒れる気配はまるでなかった。
 ラスティンの銃撃など存在しないかのように、考え事をしている。己の思考を探るため、どこへともなく投げられた視線は、明後日の方角を向いていた。無論、ラスティンが視界に入る余地などない。
「馬鹿な!」
 ラスティンがさらに弾を撃ち込む。次第に、その瞳が驚愕に見開かれていった。
 一度目はわからなかった。
 二度目は、光が走るのが見えた。
 なにかが、銃弾を弾いている。そんな馬鹿な。
 ラスティンが引き金を引く。
 三度目。今度こそ銃弾はセレンを貫――く前に二つに割れた。セレンの体を間に挟み、すり抜けるように壁に着弾する。白い壁にいびつな割れ目が生じ、コンクリートの破片が宙を舞った。
 ラスティンがセレンを凝視する。
 ステンドグラスを通した夕陽が、その姿を浮かび上がらせる。鋼糸が描く光の輪が、セレンの体を包んでいた。
 銃を持つラスティンの手が震える。
 この至近距離で当たらない。そんなことがあり得るのだろうか。
「哀れなものだな」
 ようやく、といった風情でセレンが顔を上げた。小うるさい蝿でも見るかのような目をラスティンに向ける。
「牙を剥いた相手が何者かもわからない」
 憐れみをこめた言葉とは裏腹に、しなやかな指先が掲げられる。出番を待ちわびた鋼糸が、その先へと踊り出した。
「跪け」
 セレンが歩を進める。静まり返った礼拝堂に、セレンの靴音が響いた。血の色にも似た夕陽が不気味にステンドグラスを彩る。
 その前で、セレンは悠然と微笑んだ。
「私がお前の死神だ」
「死神……ですか」
 ラスティンが気圧されつつ、睨み返す。
 本能的に後退しようとする足を、理性が叱咤した。
 引き下がらない、絶対に。
 朝見たばかりの惨劇が、彼の足を留まらせていた。あの死体の山を築いたのは、彼であり己だ。引き返すことなど、まして逃げ出すことなど許されない。
「その通りですね」
 ラスティンの唇が自嘲する。
 己の思惑が誰も傷つけないなどと考えたこともない。
 何を犠牲にしてもためらわない。その覚悟はできていた。否、覚悟など必要ないほどに、ラスティンはアリゾランテを道具としてしか見ていなかった。現に、ダイアナやサラに対しては、どこまでも冷酷になれたはずだ。
 教義は踏み台に過ぎない。アリゾランテの信徒も、馬鹿の集いだと内心せせら笑っていたはずなのに。
 それが。
 ラスティンが無意識に唇を噛み締めた。
 あの死体の山を見た時の、あの感情。
 胸に穿たれた穴が埋まらない。
 ――いつの間にか、この場所に愛着を感じていたなんて。
「あなたの怒りを買ったのは、私。ならば」
 ラスティンは銃を教台に置いた。本来なら経典を置き、ページを繰りながら信徒達に説法を聞かせるその場所に。
 不信心な。
 非難めいた声が自分の内から聞こえる。
 元から信心など持ち合わせていない。だから惨劇は起こるべくして起きた。
 あれは、自分の罪だ。
 ラスティンが静かに目を伏せる。
 どんな贖罪も自分に相応しいとは思えない。ならば――
 ラスティンが説教台に銃を置いたまま、彼らの敬愛する神を象った像の下へと歩き出す。
「祈る時間ぐらいはやるが?」
 観念したと見たのか、セレンが問うた。
「必要ありません」
 ラスティンが神像を見上げた。全てを許すような慈悲の笑み。膝を折り、祈りたいような衝動に駆られる。そんなことは初めてだった。
 けれど今、自分に必要なのは祈りではない。
 ゆったりとした白衣の裾から、ラスティンの手に短銃が滑り出た。振り返り様に、セレンに向けて弾を放つ。セレンの見えない左目、その死角から。
「……あなたの怒りを買ったのは、私。ならば、屠るのも私であるべきです」
 罪人には罪人のやり方がある。
 ラスティンが引き金を引き続ける。残響が終わらぬうちに、礼拝堂には硝煙の匂いが立ち込めていた。
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