DTH3 DEADorALIVE

 セレンの左目は見えていない。重く伸し掛かった前髪に邪魔されて、普段は見ることもできないが、額から頬にかけて瞳を深く抉った傷がある。相当古い傷のようだが、消すことは考えないらしい。その傷が彼の知己の手によるもので、治さないのは嫌がらせに他ならないことなどラスティンが知る由もないが、その目が視力を失っていることだけはわかっていた。そこに瞳はなく、暗い淵が佇んでいる。誰も覗き込むことは許されない、セレンの深淵にも似た場所だった。
 唯一と言っていい、セレンの死角。そこを狙ったのは正解だった。常人であるならば、察せられるはずもない。
「なぜだろうな」
 ごく他愛ない世間話でもするかのように、セレンは疑問を呈した。鋼糸が煌く。ラスティンの手にした銃が、音もなく二つに折れる。滑らかな金属の切り口を覗かせて、銃の先端が床に落ちた。甲高い金属音があたりに響く。
「私の不意をつこうという人間は、必ずこの目を狙う」
 面白みに欠ける、と呟いた唇が不満そうだ。
 セレンがちらりとラスティンを見やる。
「気は済んだか?」
 かつん、と靴音を響かせて、セレンは一歩を踏み出した。
「よくよく、馬鹿にしてくれたものだ」
 その顔に笑みが浮かぶ。
 ラスティンは冷や汗が背筋を伝わるのを感じた。
「……やはり貴方は怒っているんですよ」
「そうかな」
 そうかもしれんな、とセレンは微笑んだ。何に対してかはわからない。理由を上げるには多すぎる気もした。G&Gへの襲撃、歪んだ絵画、そして――
 セレンはメッセージカードを指で弾いた。
 他の全てを差し引いても釣りが来る。そんな気がした。
 セレンの怒りに呼応するかのように鋼糸が踊る。
「さあ、懺悔の時間だ」
 セレンが悠然と構える。勢いをつけられた鋼糸がラスティン目がけて飛んでいった。
 ラスティンは目を見開いたまま身動き一つできなかった。
 そのままでいたら、彼は数多の信徒と同じく、その短い生涯を終えただろう。けれど、鋼糸が彼の体に触れる前に、神像の裏から黒い影が飛び出した。
 視界を掠めたその姿に、セレンが手を引く。
 影はセレンの鋼糸の前で棒立ちになるラスティンを突き飛ばし、その身で鋼糸を受けた。強引に軌道を変えられた鋼糸が、それでもその体を刻む。数本の髪を飛ばし、服を刻み、皮膚の上を滑る。頬に血が滲んでも、影はそこを動こうとはしなかった。
 嵐が過ぎ行くのを待つように、ただ耐える。
「馬鹿な……」
 自分を突き飛ばした人物を、ラスティンが呆然と見上げる。
 頭の前で交差した腕が、俯いた顔により深い影を落とす。表情はおろか、誰と見極めるのも困難だった。それでも、ラスティンはその後姿に見覚えがあった。
 そこにいることが信じられない。
 そしてなにより、自分を庇うこと自体が考えられなかった。
「……なんの真似だ」
 鋼糸を手の内に戻したセレンも、不快感を隠そうとはしない。しなやかな指先は傷つき血が滲み、鋼糸からは誰のものとも知れぬ血が滴り落ちた。
 指先から伝わるわずかな痛みを無視して、セレンは目の前の男を睨みすえた。
 視線に晒された男は、背後にラスティンをかばったまま、未だ手を降ろそうとはしない。
 セレンがその名を呼ぶ。
「アレク」
 その声に促されるように、アレクが腕を下げた。
 まっすぐにセレンを見つめる、その瞳。
 そこに再会の喜びはなく、非難の色さえ浮かべていた。

第30話・END
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