DTH3 DEADorALIVE

第31話 「別つ罪」

 セレンとアレク。わずかな距離を置き睨みあう両者に、教会の空気が冷えた。ステンドグラスのやわらかな光が二人の漆黒の影を長引かせる。
 ラスティンはただただアレクの背を凝視していた。
 かばった?
 この男が自分を?
 なぜ?
 まるで理解できない。
 アレクの肩には血が滲んでいる。傷が再び開いたのだろう。忘れるはずもない。自分が抉り、踏みつけた場所だ。
「答えろ、アレク」
 セレンの問いにも、アレクは口を開こうとしなかった。ラスティンを背後にかばったまま、そこを動こうともしない。
 武器を持たぬまま、射るような視線だけが、セレンを見つめていた。
「……それが答えか」
 セレンが嘆息する。指先がわずかに動く。鋼糸が踊り始めた矢先に叫んだのは、ラスティンだった。
「馬鹿な、なぜお前が……!」
 ラスティンが立ち上がると同時にアレクが振り返る。顔は怒りに満ち、瞳には憤怒の焔が宿っていた。そのまま体重を乗せた右拳をラスティンの頬に叩き込む。ラスティンがあたりに施された装飾をなぎ倒しながら派手に転倒した。蜀台の倒れる音が教会に木霊する。その中でアレクは怒鳴った。
「サワヤの遺志デス!」
 固く握り締めた拳が殴り足りないと言っている。右頬を押さえたラスティンが呆然とアレクを見上げる。倒れた姿勢のまま、立ち上がろうともしない。足も腰も、アレクの一撃で立ち上がるということを忘れてしまったようだった。
「……サワヤ……?」
 初めて聞く言葉のようにラスティンが呟く。
 アレクが歯噛みした。この男は、サワヤの名すら覚えていない。
「部下デス。アナタの!」
 それ以上口も聞きたくないというように、アレクはラスティンに背を向けた。くるりと反した踵が靴音を響かせる。怒りの気配を隠そうともせず、アレクはセレンに大股で近づいた。
 セレンが何か言う前に、その腕を掴む。アレクは立ち止まることなく告げた。
「帰りマスヨ」
 そのままセレンの腕を出口に向けて引いていく。意外なほどの力強さに、セレンの体は引きずられつつあった。
「おい……」
 セレンが座りこんだままのラスティンを指差しながら抗議する。アレクの怒りを含んだ瞳がセレンを一瞥した。殺気があたりに渦を巻く。セレンは思わず気圧された。
「あんな男、アナタが殺す価値もナイ」
 だから帰りマスと言って、アレクはセレンの腕を引いた。
 はずみでセレンが天を仰ぐ。教会の天井には彫像の天使が舞っていた。いただけない趣味だ。誰かに見下ろされるのは主義ではない。それが例え神の使いだとしても。
 セレンがわずかに眉を寄せる。それから長い睫を静かに伏せた。
 出鼻をくじかれるどころの騒ぎではない。すっかりヤル気をそがれてしまった。
「……まあ、いいか」
 引かれる腕の感触は悪くない。
 嘆息したセレンが体の力を抜く。それが了承の合図だった。

 一人取り残された教会で、ラスティンはアレクに殴り倒された姿勢のまま、天を仰いでいた。
 先ほどまでの喧騒が嘘のようだ。静まり返った教会は、時折外から小鳥の囀りが聞こえる以外、なんの物音もしなかった。
 倒れた己と、あたりに散乱した装飾具がなければ、あれは夢だと思ったに違いない。
 なぜまだ自分は生きているのか。ラスティンは自問した。
 傍らに転がった銃が滑稽だった。踏み台にしようとした教団、利用しきることも、敵を討つこともできなかった。己はなんと無力なのか。ラスティンが自嘲する。しかし、笑みを作る気力もなく、その唇は笑みの途中で噛み締められた。
 目を閉じる。嗚咽に頬が打ち震えた。
 右頬が焼けるように熱い。
「サワヤ……」
 彼を生かした、誰かの意思。それに自分は答えられるだろうか。
 彼らの神像が柔和な笑顔でラスティンを見下ろす。その慈悲深い笑顔に似た青年を、ラスティンは知っているような気がした。


 波の音がする。風にすら海の匂いが含まれて、そこが常日頃己のいる場所とは違うのだと告げている。
 英雄はもう何度目かもわからないため息を零した。
「なに?」
 クレバスがどうせまたくだらないことでも考えていたんだろうという視線を寄越す。英雄は、その通りだと頷いた。
「状況を考えてみたんだよ。とりあえずここは陸の孤島というか本当に孤島で、戻るルートはふたつあるけどどうやらどちらも塞がれているようだってね。なんの助けにもならない」
「でも帰らなきゃいけないだろ、オレ達」
「そうなんだ」
 英雄が頬杖をついた。砂がつくのも構わず地面に座り込んでいる。やる気がないのが滲み出るような姿勢だった。
「クレバスならどうする?」
「正面突破」
「真面目に答えてくれよ」
 クレバスなりに真剣に考えたのだが、速攻で却下された。英雄は膝に肘をついたまま口元に手をやり、クレバスの方を見ようともしない。プランを練っているのだ。気づいたクレバスが反論のため開いていた口を閉じる。
「ダイアナ」
 英雄の声は、呼ぶと言うより呟くに近かった。
「なによ?」
 ダイアナが答える。手はしっかりとサラの掌を握ったままだ。
「まだ遺産の中身に興味が?」
「あるわけないでしょ!」
 ダイアナが吐き捨てる。
「そいつはよかった」
 そちらのお嬢さんは? と話を振られたサラが一瞬体を硬直させる。
「私、は……」
「あんたももういいでしょ、サラ」
 ダイアナが畳み掛けた。
 サラがわずかに俯く。小さく噛まれた唇から出たのは、違う言葉だった。
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