DTH3 DEADorALIVE

 島のどこにいても耳につく波の音に、いい加減英雄は辟易していた。バカンスと呼ぶには程遠いシチュエーション、おまけについ先日海に放り出されて長距離スイミングを満喫したばかりだ。潮の匂いにもうんざりする。当分、いや、もしかしたらこの先一生、海には近づかないかもしれない。
「むしろそうすべきだな。君子危うきになんとやらだ」
「なにが」
 英雄の独り言にクレバスが不思議そうな顔をする。
「独り言」
「口に出すなんて珍しいじゃん」
 いつも黙って行動するのに、とクレバスが驚く。言われた英雄の瞳が不審げに瞬いた。
 無意識とはいえ普段と違う行動を取るということは、知らぬ間に疲労がたまっているのかもしれない。
 最後に薬を飲んでからどれぐらいが経つだろう。英雄は体中から不協和音が聞こえる錯覚に見舞われた。
「本当に」
 口から漏れそうになったため息を飲み込む。それも平生の自分ではないような気がして、英雄はうんざりした。
「さっさと帰って君のコーヒーでも飲みたいところだな、クレバス」
 そのためにも行動を始めようか――と英雄が肩を鳴らす。ひどい倦怠感が彼を包み始めていた。


第32話 「沈む夕陽に昇る希望、潜む絶望は悪魔の手先」


 神の意思というものがあるのならば、今、この掌の中にある。
 そう楊は確信していた。洞窟の中で見つけた銅貨を握り締める。隠し通路の鍵になるそれを、自分にもたらした神像。これが神の意思でなくてなんだというのだろう。
 始祖のお導きだ――
 湧き上がるような歓喜が体中を満たす。
「サラ様とダイアナ様をお探ししろ! この島から逃がすな!」
 自分には使命がある。始祖の遺産を探し出し、神の意思を完遂するという、重大な使命が。
 高揚感にも似た感情は、これまでに味わったことのないほどの充足感を楊にもたらしていた。
「やる気になってる」
 木立の合間から楊の様子を伺った英雄は、これ以上なくうんざりした顔をしてみせた。島の中央に近い、丘にも似た場所だった。下にいる楊達を面倒くさそうに眺めては肩をすくめる。
「見えるかい? 全身からオーラが立ち昇っているようだよ。ああ、嫌だね」
 ため息混じりに指差された先を、サラが恐る恐る覗き込む。そこに意力みなぎる楊の姿を見つけて、思わず唇を噛んだ。
「大丈夫だよ」
 不安に青ざめるサラに、英雄は言った。不安を払拭させるというよりは、なぜそんなことで顔色を変えているのかわからないというような言い草だった。どかりと腰を下ろしたまま、無造作に銃弾の数をチェックする。
「どんなにやる気になっていても、あちらさんは素人だから。面倒だしやっかいだけど、問題じゃない」
 慣れた手つきで弾を詰め直す。だるそうな表情とは裏腹な鮮やかな手つきに、サラは見入った。
「慣れてる、んですね」
「まぁね」
 ありがたくないことにとても慣れてる、と英雄が頷いた。
「君は?」
「え?」
「少しは慣れた?」
 サラがきょとんとした顔で英雄を見つめる。視線に晒された英雄が居心地悪そうに肩をすくめた。
「冗談だよ。こんな状況、誰だって慣れるもんじゃない。普通はね」
 そりゃそうだと一人呟いて、英雄は立ち上がった。
「普通じゃなくしてしまった子が一人いるけど」
 寂しそうに紡がれた言葉に、サラが顔を上げた。
「クレバスさん、ですか?」
 一瞬驚きの表情を見せた後、英雄の口元が微笑んだ。どこか憂いを残したような半端な笑みだった。
「さて、行こうか」
 英雄がサラに手を差し出し、立ち上がらせる。立ち上がったサラの顔をまじまじと見つめながら、英雄は口を開いた。
「僕はずっと君のお姉さんと一緒にいたわけだが、その人となりは十二分に理解したと思ってる」
「はぁ」
 この人はなにが言いたいのだろう。サラはわからないままに頷いた。
「だから君と行動を始めて、正直驚きが隠せない」
 至極真面目な顔で英雄がサラを覗き込む。
「性格が似てなくてよかった」


 裸足でハイキングなんかするもんじゃない。
 出来る限り足場の良いところを選んだとしても、たいして意味はないようだ。今歩いているのは獣道とすら呼べない、単なる茂みの中だ。土に還りかけた枯れ枝がちくちくと足を刺す。足に巻いたハンカチ程度では、到底靴にはなりえない。雑草なんて踏みなれたもの。泥だってパックだと思えばいいと気楽に構えるのも、これが限界かもしれなかった。
「どうした?」
 不意に足を止めたダイアナを、クレバスが振り返る。木立の中、裸足で立つダイアナはそれだけで絵になった。乱れた髪も、泥にまみれた足も、汚れた服さえ彼女を引き立てる。
 そういえば女優だった。自分達とは存在感が違うのだな、とクレバスは妙に感心した。
「ムカついた」
「え?」
「なんか急にムカついたの。あの男、サラにろくなこと言ってないんじゃないかしら」
 心底気分を害した顔でダイアナが吐き捨てる。
 クレバスが目を瞬かせた。
「英雄が?」
「そうよ」
「んー……」
 否定は出来ない。少し考えたクレバスの結論はそれだった。
「まあ、違うとは言えないけどさ」
「絶対よ。間違いないわ」
 ダイアナが小鼻を鳴らす。
「仲良くなったんだ?」
 そんな断言できちゃうほどに。
 笑いかけたクレバスを、ダイアナが睨む。木立から小鳥が飛び立つほどの殺気があたりに渦を巻いた。
「誰が誰とよ」
 ダイアナの剣幕に慌てたクレバスが笑顔を引っ込める。不可能なことでも言っただろうか、自分は。冷たい汗がクレバスの背を滴り落ちた。
「あ」
 クレバスが何かに気づいたようにダイアナに駆け寄る。一瞬ダイアナの足元に視線を落した彼は、
「ちょっと失礼」
 軽く断りを入れると、有無を言わせる間もなくダイアナを抱き上げていた。
「あ、やっぱ軽いや。さすが」
「なにしてんのよ」
 抱かれた腕の中で、ダイアナがクレバスを見上げる。
「しかも抱かれ慣れてるし。全然動じないんだ」
「あんた失礼よ」
「ごめん」
 謝りながらもダイアナを降ろす気配はない。ダイアナを抱き上げたまま、クレバスは気持ち大股で歩き出した。
「英雄は靴も渡すなって言ったけど、やっぱ足痛いでしょ? オレ、そういうの嫌だし。やばくなったら降ろしちゃうけど、それまでは」
 言いながら茂みを進んでいく。その精悍な顔つきには、まだどこかあどけなさが残っていた。
「やっぱりあんた達似てないわね」
 しばらくその顔を見ていたダイアナが、ふっと視線をそらす。細められた目の先に、英雄の残影があるかのようだった。
「そうかな」
 歩きながらクレバスは考えた。確かに、英雄にこういう一面はなかった気がする。では誰の影響かと思案した時、脳裏をよぎったのは銀髪のシルエットだった。セレンが、と言いかけてダイアナはその名を知らないだろうと思い直す。出てきたのは、関係を表すには足りないような言葉だった。
「師匠が、わりとレディーファースト、だった……かな?」
 あれをそう呼ぶのだろうかとの疑念も含めて、クレバスの返答はいたく歯切れの悪いものだった。


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