DTH3 DEADorALIVE

 おかしい。
 己の常識と言う名の天秤がぐらつく瞬間によぎる感情。これまでに幾度となく味わってきたそれを、ダルジュは再び噛み締めていた。
「おかしいだろうが……」
 呻くように口から吐き出される言葉。それを肴に、セレンがグラスを傾けた。すらりとした長身が、G&Gのカウンターに慣れた仕草で腰掛ける。すっかり片づけを終えた店内はいつもと変わりなく、襲撃の余韻といえば、あるはずのものがないぐらいだ。ボトルやグラスの消え去った殺風景極まりないカウンターがその証とも言える。その上に、ワインが一本無造作に置かれていた。色褪せたラベルを愛おし気に眺めたセレンの目が細められる。白い肌に長い睫の影が落ちた。
「喜ぶべきだな。ワインセラーは無事だった」
「人の話を聞け」
 怒りに肩を震わせるダルジュの殺気をものともせずに、セレンがグラスを口に運ぶ。セレンの唇が触れる瞬間に、ダルジュはグラスを奪い取っていた。
「なんだ?」
 ようやくその存在に気づいたといわんばかりに、セレンがダルジュを見た。先刻、ふらりとG&Gへ現れてから、初めてのことだ。
「言うことあんだろーが」
 殺気を隠すこともなく、ダルジュはセレンを睨みすえた。
「ああ」
 失礼した、とセレンが立ち上がる。と、ダルジュの傍で佇むカトレシアに微笑みかけた。
「短いのも似合っている。可憐だな」
「そういう意味じゃねぇ!」
 ダルジュが吼えた。
 空を裂く音がしそうな勢いでセレンに人差し指を突きつける。その勢いのまま、ダルジュは一気にまくしたてた。
「なにがしてーんだてめーは! お陰でこっちはさんざんだ! あのガキンチョの面倒ぐらい見切ったんだろうな!」
「ガキンチョ?」
 誰のことだとセレンが怪訝な顔をする。ダルジュのこめかみに青筋が浮かんだ。
「サラとか言ったろーが! 人に押し付けといて何言ってやがる」
「ああ」
 そんな人間もいたなと言わんばかりにセレンが頷いた。
「彼女はどうした」
「俺が聞いてんだよ!」
 激昂したダルジュの拳がカウンターに叩き込まれる。防弾仕様で不必要なまでに頑丈な作りのカウンターは、その衝撃にも耐えたという。


 次第に暗くなる視界の中で、クレバスはひたすら前へと進んでいた。雑草を踏みしめる音とやわらかい土の感触がスニーカーに伝わる。海水をたっぷりと吸い込んだスニーカーはとうに乾いていたが、薄皮をまとったような違和感があった。砂を踏むような感触がするのは塩のせいだろう。帰ったら絶対に洗う、とクレバスは心に決めていた。
 徐々に息があがってくるのを悟られまいと押し殺す。腕の中のダイアナが何も言わないのは、信用しているというより値踏みされているような気がした。
「クレバスはダイアナを頼む」
 英雄が言った言葉を思い出す。合流した矢先に別行動かと非難したダイアナに、いたく平然と英雄は告げた。
「君とこちらのお嬢さんでは要望が違うだろう。彼女は遺産の正体を知りたいが、君は帰りたい。わかれるのが最適だと思うが?」
「あたしは別行動なんて嫌よ!」
「観客は募集してない」
「じゃあ、希望を変更するわ」
 むっとしたダイアナが高飛車に告げる。にも関わらず、英雄は背を向けた。
「クレバス、聞いておいてくれ」
「だってさ」
 クレバスがなだめるようにダイアナの肩を叩く。
「人数が多いと動きにくいんだと思うよ」
 多分ね、とクレバスが補足する。説明を聞いたダイアナの顔が不快に歪んだ。
「それならそう言えばいいじゃない。馬鹿だわ」
「聞こえてるぞダイアナ」
 サラの手をとりかけた英雄が目を瞑る。頭痛でもするらしい。
「当たり前でしょ、目の前で言ってるんだから」
「そりゃどうも」
 遠慮のないため息が英雄の口から漏れる。気を取り直して、英雄はサラに告げた。
「君の望むものを見に行こうか」
 ――大丈夫だろうか。
 案じているのはサラか英雄か、クレバスにはわからなかった。あるいはその両方かもしれない。
「とりあえず僕らはあちらさんの動向でも見ながら宝探しと洒落こもう。君達は――」
 クレバスとダイアナを指差した英雄は、実にそっけなく自分の要望を伝えた。
「まっすぐ家に帰ってくれると助かる」
「馬鹿にしてるわ」
 ちょうど同じシーンでも思い出したのか、不愉快そうにダイアナが呟いた。
「でも道は作るって言ってたよ」
 英雄が言うなら大丈夫じゃないかな、と請け負う。
「あたしは嫌よ。サラを置いて帰るなんてできないわ」
「奇遇だね、オレもだよ」
 英雄に指示された通り、元来た道を慎重に戻りながらクレバスは言った。驚きに目を見開くダイアナに、足を止め微笑んでみせる。鮮やかな金髪が夕陽の残骸を受け、天使の輪を描いた。
「だから、ダイアナがそう望んでくれると助かるんだけど」
 なにせクライアントの要望は絶対だからね、とクレバスははにかんでみせた。


 悪魔のなにが厄介かと言えば、その麻薬的な魅力もさることながら一度言葉を交わしたら最後、命絶えるまで縁が切れないことにあるとダルジュは思う。
 自分としてはそんなモノに縁があると思いたくはなかったが、目の前の人間はどうやら人間の皮をかぶったそれらしい。今までに何度もそう思ったことはあるが、今回もまたそれを痛感する羽目になった。
「簡単だろう?」
 穏やかな微笑と共にセレンが告げる。頭痛がするのは気のせいではない。この分では自分も間違いなく――そう思った時点で脳が思考を停止した。それ以上考えるのは体によくないと判断したのだろう。気力が体に与える影響は計り知れない。ダルジュの防衛本能が働くのも無理からぬことだった。
 クレバスと共に出かけたサラの行方がわからない。それが判明した時、蒼白になったカトレシアは倒れかけた。その華奢な肢体を当然のように抱き支えて、セレンは優雅に告げたのだ。
「あの子達を見失っているのはこの子だけだ」
 そう言ってダルジュを見る。その微笑の意味を理解するのに数分とかからなかった。
 机上に開かれたパソコン。そのモニターに示された地図の中で点滅している光がある。
「悪趣味にもほどがあんだろ……」
 声にならない呻きを漏らしながら、ダルジュが顔を覆った。どっと疲労感が押し寄せる。
「持ち駒の位置は把握するに限る」
 モニターを見たセレンは、何度かキーを打った。その度に拡大されていく地図を前に、悠然と微笑む。
「なんだ、クレバスは英雄と一緒だな。となれば、まず間違いなくお嬢さん方もいるだろう」
「英雄って、あいつの居場所までわかんのかよ」
 ダルジュが驚きとも呆れともつかない声を上げる。
「手術に立ち会ったと言ったろう」
 セレンの唇が意味深な笑みを浮かべた。
 言葉の意味を噛み締めたダルジュが黙り込む。心なしか顔が青ざめていた。
「しかしクレバスもかわいい子だね」
 移動を続けるモニターの光をセレンが愛おし気に見つめる。

「私が贈ったピアスを片時も離さずつけているなんて」


【第32話・END】
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