DTH3 DEADorALIVE

第33話 「胸の淵に沈む」

 にこやかに片手を上げる仕草は普段のアレクとなんら変わりなく、夕方と言う時間帯を考慮すればディナーのお誘いだと考えるのが妥当だろう。その割に呼び出されたハンズスの頬がひくついているのは、場所が勤務先の病院の路地裏であり、目の前にいる人物の肩口からは立派な血痕が見て取れるせいだった。
「ハンズス、お久しぶりデス」
 通話状態の携帯電話を手の内に持ったまま、アレクは微笑んだ。
「……久しぶりだ」
 ハンズスが耳に当てていた携帯をしまう。勤務中にいきなり連絡が来て、何事かと思えばこれだ。自宅へ訪れなかったのは配慮のうちなのだろうか。
「どうした」
 わずかに眉を寄せながらハンズスがアレクへと駆け寄る。
「撃たれマシタ」
 ドジデスネと悪びれもせずに告げられた言葉に、ハンズスは眩暈を覚えた。英雄の知り合いというのは揃いも揃ってどうしてこうなのだ。
「血、止まってマス。動くし問題ナイ言ったんデスガ」
 アレクが不満げに嘆息した。ここへ来たのは誰かの指示らしい。
「セレンか?」
 シャツのボタンを外しながら、ハンズスが問う。その名を聞いたアレクの顔に驚きが満ちた。
「ナゼ」
「怪我人が出たと言って引きずり回された。やっぱり、あんたのことだったのか」
 顔色が変わってたぜ、らしくないと言うハンズスの言葉を聞きながら、アレクは不快ともつかない表情を浮かべた。
「大分時間が経ってるな。中で診よう」
「無保険デス」
「わかってる」
 犬でも治療したことにするさと肩をすくめて、ハンズスは病院への扉を開けた。

 せわしなく駆け巡る病院のスタッフの合間をすり抜けて、ハンズスの個室へと滑り込む。事務用の机と簡素なベッドだけがあるその部屋は、生真面目なハンズスの性格を現すように掃除が行き届いていた。机の上に投げられていた書類を片付けると、ハンズスはアレクに腰掛けるよう促した。
「さすが元医学生、というべきかな。的確な処置だ」
 アレクの傷口を診たハンズスは、そう感想を漏らした。いささか不機嫌な様子なのは否めない。
「そうデスカ」
 アレクがにこりと微笑む。褒められたことを純粋に喜んでいるようだ。焦れたのはハンズスの方だった。
「なあ、本当にいいのか?」
「なにがデスカ?」
 きょとんとするアレクにハンズスは力説した。
「前も言ったが、英雄からあんたの経歴は聞いてる。医者を目指してたって。今からだって遅くはないだろう? 手は貸せるぞ」
 まくしたてるように言うハンズスを見たアレクは、その口が閉じるのを待ってから再び微笑んだ。
「ハンズス、優しいヒトデスネ」
「俺は」
「デモ、いいんデス」
 アレクはハンズスの言葉を遮った。それ以上言わせない。そんな雰囲気が滲み出ている。
 アレクが視線を落すと長い睫の影が顔に落ちた。自嘲ともとれる笑みが顔に浮かぶ。その瞼が静かに閉じた。
「……いいんデス」
 ハンズスが渋い顔をした。希望を放棄する様を非難しているようにも見える。
「なら、もう言わない」
 けど、と付け足す。
「気が変わったらいつでも言ってくれ。俺は力になる」
「サスガ元刑事さん」
 人情派デスネ、とアレクが笑う。ハンズスはバツが悪そうに咳払いした。
「からかうな。さ、これで当面は大丈夫だ。けど、傷口から菌が入ってたら厄介だ。ちょっと検査させてもらうぞ。今手配するから待っててくれ」
 カルテを手にしたハンズスが慌しく立ち上がる。
「ワカリマシタ」
 微笑みながらアレクが頷く。それを確認してから、ハンズスはドアを閉めた。
 わかっていない。
 心の中に巣食う獣がアレクの心に爪立てた。
 ハンズスが理解できないのも無理はない。アレク自身、わかっていなかった。この世界に堕ちるまでは。
 微笑を絶やさぬアレクの瞳が暗く光る。
 どんなにハンズスが手を伸ばしても、アレクはその手を取ることができない。なぜなら、この身体が拒絶するからだ。心がどんなに求めていても、汚れたこの身にその世界は眩しすぎる。
 左肩の疼くような痛みがアレクに現実を知らせた。

 光は闇を救おうとするが、闇は光を求めていない。


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