DTH3 DEADorALIVE

 島に一発、銃声が鳴り響いた。
 夕暮れの中を鳥達が飛んで行く。その空を見上げたクレバスの顔色が変わった。
「今の……」
「黙って!」
 ダイアナを抱えたままクレバスが斜面を半ば落ちるように駆けた。木の枝と葉が容赦なく顔を叩く。
「英雄じゃない」
 自分に言い聞かせるようにクレバスは呟いた。
「あいつの銃の音じゃない」
「じゃあ、撃たれたってこと?」
 ダイアナの問いに、クレバスが口をつぐむ。意図せず立ち止まった足は、ともすれば震えそうだった。大丈夫、心配いらないという月並みな言葉さえ口に上らない。
 子供なのだ。
 ダイアナは唐突に理解した。自分を抱く腕の太さにどこか錯覚していたのかもしれない。あるいはその所作がそう感じさせていたのかも。
 大人びた部分のある少年の、素顔を覗いた気がした。
「ガキね」
「な……!」
 我に返ったクレバスの頬が紅潮する。抗議しかけたクレバスの前に、ダイアナが人差し指を立てた。
「私をここに置いて行きなさい」
 クレバスの瞳が瞬く。そんなこと出来るわけがないと表情が物語っていた。
「早く。行きたいんでしょ?」
「けど」
 クレバスが言い募った。
 自分の仕事は、ダイアナを無事にこの島から脱出させることだ。英雄とそう約束した。反故にすることなどできない。
 例え、英雄に何が起ころうと。
 クレバスの迷いを見抜いたかのように、ダイアナが勝気に微笑んだ。
「大人の言うことは聞くものよ」
 クレバスの顔が歪む。その腕が確かな意思を持ってダイアナを抱き寄せたのは、ほんの一瞬のことだった。
「ごめん」
 耳下で風と共に囁く。それがダイアナに届き、意味をなす頃には、クレバスは元来た道を駆け戻っていた。
 ダイアナをその腕に抱いたまま。
「ち、ちょっと!」
 走る振動と不安定さに、クレバスの胸にしがみついたダイアナが悲鳴をあげる。
 泥と草を蹴り上げながら、クレバスは叫んだ。
「くそ、オレ、思ってたよりよっぽどガキだった!」
 ダイアナを置いていけない。
 英雄を放っておけない。
 どちらも大丈夫だと知っているのに。
 これが我侭以外のなんだと言うのか。
 その判別がつくだけに、クレバスは自分が許せなかった。かといって、譲ることもできない。葛藤が怒りとなり、足を踏み出す原動力となる。
「くそ、くそ!」
 クレバスが毒づきながら地を蹴る。茂みを駆け抜ける。枝が頬を叩き、葉が飛ぶ。泥が跳ね、ぬかるみに踏み込んでも、その足が止まることはない。
 仕方のない子だと、セレンが薄く笑うのが見える気がした。シンヤはそれでもいいと言ってくれるだろう。
 英雄は――
 英雄は、なんと言うだろうか。
 クレバスの顔に苦渋が滲んだ。
 予想は恐らく当たるだろう。それだけに、面白くはなかった。


 頬に残る灼熱の痛み。己の甘さを刻んだそれを味わう余裕が、英雄にはなかった。
 殺気を感じ振り向いた。間髪を入れず、楊の銃口から弾丸が吐き出される。
「な……!」
 幸運の女神の口付けは灼熱となって英雄の頬を掠めた。傷の具合を確かめる間もなく、英雄が地を蹴る。楊の手首を蹴り上げ銃を弾き落とすと、返す刀で楊の顎を狙う。
 踵は間違いなく楊の顎を捉え、その神経を一時的に断ち切った。
 今度こそ意識を失う楊を視界の端で確認しつつ、英雄は身を屈め、駆け出した。振り返る間でもない。銃声に気づいた信徒が一斉にこちらを目指している。視線と怒気が英雄に絡みつくようだった。
 茂みの中、落ちていた楊の銃を拾い上げる。そのまま流れるようなモーションで構えると、英雄は引き金を引いた。単発式とは思えないほどの滑らかな連射。信徒の手から銃が弾き飛ぶ。次いで、肩を撃たれた者が茂みに転げ落ちた。英雄が傍の木の幹に回り込む。肩で息を弾ませながら、英雄は呟いた。
「なんで、起きてきたんだ」
 忌々しげに倒れている楊を見る。銃を握る手が震えていた。額から滲む汗の量が尋常ではない。
 それをぬぐっても、なお震えが止まることのない手を見ながら、英雄は呻いた。
「力が……」
 指先の感覚が曖昧になる。ともすればぼやける視界を繋ぎとめているのは、意思の力だけだった。
 体の中の不協和音がこれ以上なく響いてくる。
「こんな、時に……」
 英雄の体がわずかに折れた。立っていられない。己を叱咤するように英雄は唇を噛み締めた。草を踏む音が信徒達が近づいていることを告げる。動かなければ、そこにあるのは死だ。
 そんなことは嫌というほどわかっている……!
 理性と言う理性を掻き集めても、体が言うことを聞かない。
 それがこれほどもどかしいことだと、英雄は知らなかった。
 奥歯を噛み締める、その力すら抜けていく。
 意識が遠のく。その感覚が心地良い。闇が優しく自分を包むようだ。知っている。死とは、こんな感じだった。
 茫洋とした英雄の視界に、一羽の鳥が横切った。
 長い尾を持つ純白の鳥。その羽の広がりが、記憶と重なる。ふわふわと揺れる、ダイアナのワンピース、その衣に良く似ているのだ。
 そういえば、彼女はまだこの島にいる。彼女の妹も。そして――
 少年の影がよぎった瞬間、英雄の手に力が篭る。最後の力を掻き集めて、英雄は銃を握り締めた。幹に身をもたれかけさせながら、身をよじり、信徒達に狙いを定め、引き金を引く。脚、腕、ぶれる視界にも関わらず、英雄は的確に信徒達を無力化していた。すでに思考は残っていない。体を突き動かす力がどこから湧いているのか、英雄本人にすらわからなかった。
 まだ立っている信徒の数があと三人になった時、英雄の体がぐらついた。銃を構えていた腕から力が抜け落ちる。ふるえる手が、ぎこちなく固まった。
 視界が大きく揺れる。
「く……」
 英雄が歯噛む。
 異常を見てとった信徒が、今とばかりに銃を構えた。その銃口を英雄が睨み据える。その時だった。
 暗くなりかけた英雄の視界に、光が走った。
 か細い糸のような光が、闇を裂く。
 それは意思を持つかのように輪を描き、信徒達の銃を切り落とした。次いで、もう一度描かれた光の輪が木立をなぎ倒す。信徒達の悲鳴を巻き込みながら、木は音を立てて信徒達の上に倒れ落ちた。
「英雄!」
 駆け寄ったクレバスは、しかし立ち止まることなく、英雄の脇を抜けた。英雄に背を向けたまま、庇うように信徒との間に立つ。振り返りもしないその背に、英雄は目を細めた。
 夕陽の残滓がクレバスの金髪を照らした。夜の闇を払うようなその色を、英雄はこれまでに何度見たことだろう。
 いつもそうだ、君は。
 僕の闇の傍にいる。
「クレバ……」
 名を呼んだつもりだった。
 体が崩れ落ちる。それを支える腕の存在すら、英雄には感じられなかった。


【第34話・END】
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