DTH3 DEADorALIVE

第36話 「HOME」

「お姉ちゃん、ごめん」
 そう前置きしつつ、ダイアナの意見をサラが通さなかったのは、今回が初めてのことだった。
 いつもサラはおどおどとして、ダイアナの影に隠れて、一度としてまともに自分の意見を言ったことなどなかった。否、告げたこともあるにはあったが、悉くダイアナが却下してきたのだ。
 この子には保護が必要なのだと、そう言って。
 頼ってきたのは、ダイアナのほうだったのかもしれない。
 サラの声が聞こえた、その瞬間、ダイアナは英雄の銃を握っていた。必要があれば、飛び出す覚悟で、そうしていたのだ。
 その後、波の音と共に漏れ聞こえてきた会話は、ダイアナを安堵させ――そして落胆させた。
「これ、返すわ」
 ダイアナが英雄の前に銃をぶら下げる。腰に手をやり、間違いなく自分のものだと認識した彼は、目を丸くした。
「いつの間に」
「さっき、あんたが倒れた時に。借りようと思ったけど、必要じゃなくなったわ」
 英雄がぎこちなく銃を受け取る。
「あたし、今までいろんなことしてきたし、これからもする気だけど、それでも銃を持ったことがなかったのよね」
 さっきそう思ったとダイアナは言った。
「幸せなことだ」
「そうね」
 これからもそうありたいわとダイアナは呟いた。
「なるべく叶えられるようにしようか」
 英雄が立ち上がる。止めようとしたダイアナを手で制して、茂みへと構えた。誰かが近づいてきている。止まる気配はない。枝を掻き分ける音がはっきりと耳に届くようになった。
 英雄の指先が引き金に触れる。
 引かれようとした刹那、クレバスがその姿を現した。
「あ、英雄、起きたんだ」
「クレバス」
 ほっとした顔で、英雄が手を下げる。
「大丈夫?」
「こっちの台詞だ。撃たれたって」
「ああ」
 クレバスが自身の右肩に目をやった。じわりと広がった血が服に滲んでいる。
「大したことないよ」
 痛いけどね、と肩をすくめてみせる。
「ならいい」
 英雄が深く息を吐いた。気が重いと顔に書いてある。
「けど、これで振り出しだな」
「ゴールかもよ?」
 クレバスが言った。
「な、サラ」
 茂みの中でずっと佇んでいたサラの手を引く。サラはおずおずと姿を現した。
「アリゾランテはこの島から撤退するって。遺産を探すならご自由にってさ」
「なに?」
 一息に告げるクレバスに、英雄が怪訝な顔をした。
「詳しくはサラに聞いてよ」
「サラ?」
 英雄に目を向けられたサラは、びくりと震えた。そんなところは初めと変わりない。
「あ、あの……」
 びくびくと説明を始めるところまで一緒だ。
 けれど――クレバスは先程のことを思い出していた。
 クレバスを背後に庇い、告げた言葉。
 始祖の後を継ぐと。
 否と言わせぬ雰囲気を持っていた。その場の誰もが傅き、頭を垂れ、新しい君主の誕生を受け入れた。あの楊ですら、だ。馬鹿なことを言うなと止めようとしたクレバスさえ、飲まれたのだ。
 止められなかった。
 それはクレバスの中にわだかたまりを残しはしたが、それとて後から湧き上がってきた感情で、あの場で彼ができたことなどなにひとつなかった。
 クレバスがサラを横目で見る。
 あの瞬間、彼は女神の降臨を垣間見た。



 水平線の彼方から朝陽が昇る。
 煌くような陽光が、サラの掌にある三枚のコインを照らした。
「お姉ちゃん……」
 金貨を見たサラが呟く。祖父の後を継ぐなどと言い出したら、こっぴどく叱り飛ばされると思っていた。だが、ダイアナは一言も責めなかった。サラの言葉を最後まで聞き、そして改めてこの金貨を託した。
「あんたが決めたなら、しっかりやんなさい」
 その言葉には、幾分淋しさが滲んでいたように思う。それがサラの胸に刺さった。
 自分に渡された銀貨、そして、楊から預かった銅貨。これが残された鍵の全てだった。
「夜に探してもわからないわけだ」
 英雄が嘆息した。
 感心したような諦めたような顔つきで、海を眺める。
「ほんとに」
 クレバスも苦笑した。海中に建てられた白亜の神殿は、陽光の中、波の合間にかろうじてその姿を見出すことができた。寄せては返す波の中、ゆらめく様が幻想的だ。
「聖者は海中も歩けたとはね」
「英雄」
 皮肉げな口調に、クレバスが釘を刺す。
 はいはいと立ち上がって膝を払った英雄は、クレバスの肩を叩いた。
「じゃ、ここは任すよ。僕は依頼人のご機嫌伺いにいかないと」
「ダイアナは? 中身、見ないの?」
 クレバスが意外そうに海中を指差す。なにが眠っているにしろ、レアだと言いたげだ。
「見ない、必要ないってさ」
 僕も同感だと告げて、英雄はその場を後にした。
 後に残されたクレバスが、サラを見て、頭を掻く。
「んー」
 考えてみれば、自分が一番部外者だ。それを察してか、サラがクレバスの服の裾を掴んだ。
「サラ?」
「見てください、一緒に」
 それが世界を救うものか、滅ぼすものか。
「そして私がそれに飲まれないように」
 心正しくあるように。
 スカートをたくしあげたサラが、海中に足を踏み入れる。腰をかがめ、水底に作られた門に、鍵となるコインを埋め込む。海水を巻き込み、口を開けた門の先は、さらに地中へと続いていた。

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