DTH3 DEADorALIVE

「見なくていいの?」
 少し離れた場所に座り込んで海を眺めるダイアナは、クレバスと同じことを言った。
「必要ない」
 やはり同じことを答えた英雄は、それではいけないと思い直してか、一度口の中で言葉を濁して、再び口を開いた。
「君の傍にいたほうがいいだろうと」
「なにそれ」
 ダイアナが小鼻を鳴らして海を見る。汚れたワンピースが風に揺れた。英雄が背を向けて座る。
「ねえ」
 ダイアナが呟く。
「こういう時、肩ぐらい抱くもんじゃないの?」
「趣味じゃない」
 英雄が背を向けたまま答える。わずかに振り返ったダイアナは、少し不機嫌そうな顔をして、それから英雄の背に軽くもたれた。
 足元に視線を落とし、唇を開く。潮風が金髪を撫でた。
「あたし達、このまま」
「僕らは」
 前を見たまま英雄は答えた。クレバスがサラの手を取るのが見えた。
「一人だから立っていられる。誰かに寄りかかったら、崩れてしまうよ」
 多分ね、と付け足しながら、英雄は動こうとはしなかった。返事を反芻するように目を閉じたダイアナが、一歩、英雄から離れる。
「あんたって、馬鹿な男」
 ダイアナが立ち上がるのにあわせて、ワンピースが風をはらんで大きく膨れた。俯いた白いうなじが、少女時代のあどけなさを残している。
 砂を踏む乾いた音が、英雄から遠ざかった。
「君も」
 英雄が振り返ってダイアナを見た。
 歩き出した彼女はもう振り返らない。
 一瞬見せた弱さもどこへやら、今は胸を張って歩いている。その後姿を見て、英雄は知らず微笑んだ。


 ダイアナと入れ違いでやってきたクレバスを見て、英雄は「上着を貸してくれないか」とごく当然のように申し出た。
「なに? 風邪でも引いたの?」
「別に、ただ」
 なんとなく背中が軽くてね、と言いながら英雄がクレバスの上着を羽織る。ジャケットは確かに潮風を遮断しはしたが、ダイアナの背中のぬくもりは到底持ち得なかった。
 少し不満げな顔をした英雄の髪が、潮風に揺れる。
「クレバスは、煙草なんか持ってないよね」
 ぼそりと吐かれた問いに、驚いたのはクレバスだ。体に匂いのつくものなんか真っ平御免だと、煙草を毛嫌いしていたのは英雄なのだ。
「な、英雄、どうしたんだ? マジで風邪でも引いて……」
「そんなんじゃないよ」
 手の甲をを口元にやって、しばらく考えた後、英雄は自分に言い聞かせるように口を開いた。
「ずっと嗅いでいたから、物寂しくなっただけだ」
 自分の髪からする煙草の香りは、女の余韻がした。


 そこで終われば、とても綺麗な思い出だったのだろう。と、後に英雄は回想する。
 現実はそう甘くはなかった。
 この件もひと段落したと、家に帰る。懐かしきマイホームを目にした途端、英雄の顔色が変わった。
「なんだこれは!」
 壁中の至るところに落書きがされている。いくつか読み取ったクレバスも顔を歪めた。ひどいスラングだ。
 ご丁寧に、ドアの前に大型の釘で刺された血文字の文書まである。
 曰く、「よくもダイアナを弄んだな! 殺す!」。
 生乾きの文章を読んだ英雄の全身から血の気が引いていった。
「すげ、窓割られてるよ。中大丈夫かな」
 覗きこんだクレバスが他人事のように感想を漏らす。
「……このまま家売っちゃいたいな……」
 英雄ががっくりと肩を落とした。
「お、やっぱり悲惨なことになってるな」
 呑気そうな声をかけてきたのはハンズスだ。
「ほら、お前さん大ニュース」
 そう言ってタブロイド紙の束を英雄に手渡す。

【スクープ! 行方不明のダイアナさん見つかる!】
 ○日、撮影用のクルー事故から行方不明になっていたダイアナさんが事務所に颯爽と現れた。これまでの行方不明期間中の出来事について彼女は、「婚約者の彼が離してくれなくて。何日も相手をしてたの。でも、飽きたって捨てられちゃったわ」と語っている。本紙ではこの件について婚約者の霧生英雄氏にコンタクトを取ったが繋がらず――

「な……」
 ざっと紙面を斜め読みした英雄が言葉を失う。
「まあ、お前のことだ。事情はあるんだろう」
 俺はわかっていると言わんばかりにハンズスは頷いた。英雄を励ますように、その両肩に手を置く。
「ハンズス……」
 英雄が涙目でハンズスを見上げた。
「だから、家には当分近づくなよ。アリソンやマージまで巻き込まれちゃ可哀想だからな」
 にこやかに告げられた言葉に、英雄が硬直する。ハンズスは「困ったら家に泊まりに来ていいぞ。勿論クレバスだけな」とクレバスに言い、軽やかな足取りで去っていった。
 立ち去るハンズスとタブロイド紙を手に立ち尽くす英雄を、クレバスが交互に見比べる。
「……英雄」
「ん?」
「家、片付けようか」
「……うん」
 心ここにあらずといった風情で、英雄は頷いた。

 FAXを繋ぎ、呪詛の言葉がいつまでも吐き出されるのを見て、英雄がダイアナに連絡を取るのはそれから数時間後のことだ。幸いにも繋がった携帯に出たダイアナは、悪びれもせず言った。
「ぺらぺら喋るの止めて欲しい? じゃ、デートして」
 英雄が頭痛を覚えたようにこめかみを押さえる。
「あのな、君、あることないこと言いふらすのは……」
「可哀想なあたし。振られた上にクレームの電話? どういうことかしら」
 わざとらしいダイアナの悲鳴の向こうに、「どうしたんですか?」「誰からですか」という記者の声が聞こえる。それを耳にした瞬間、英雄は押し黙った。
「……どうすればいい」
「美味しいフレンチが食べたいわ。二人っきりで」
 苦虫を噛み潰すどころではない英雄の顔を見つつ、クレバスは吐き出されるFAX用紙を巻き取っていた。
 押しに弱いんだよな、意外と。
 うろたえる英雄の横で、クレバスはくすりと微笑んだ。



Copyright 2009 mao hirose All rights reserved.