DTH3 DEADorALIVE

 この数日間、アリゾランテが発掘した新資源について、どこのニュースも持ちきりだった。公共の利益のために役立てると、権利を誰にも譲らないことがエゴだとか、独善的だとか叩いているものもある。
 幼くしてアリゾランテのトップに立ったサラへの風当たりも強かったが、優秀な補佐二人がうまくとりなしているようだ。
 新聞の片隅でラスティンと楊の間に立つサラの写真を見ながら、クレバスはトーストを齧った。
 たった数日で随分離れてしまったような気がする。
 元々、傍にいたわけでもないけれど。
 ふと、英雄はいつも依頼人とこんな風な感傷に浸るのだろうかと目をやった。
「だから何度言えばわかるんだ。僕は会う気はない! 電話をするのも……え? テレビをつけろ?」
 彼は今、依頼人と感傷どころか泥沼の只中にいる。不機嫌さを隠そうともせずリモコンに手を伸ばした英雄は、映し出された画面の向こうにダイアナがいるのを見て硬直した。
「ね? 彼ったらつれないでしょ?」
 ダイアナがくすくすと司会者に向けて笑う。
 青ざめる英雄の隣で、静かにファックスが動き始めた。ファンの仕業だろうか、窓にトマトが投げつけられる。
「今度はイタリアンにしましょうか。お店のチョイスは任せるわ」
 テレビの中で、ダイアナは優雅に微笑んだ。

 がくりとうなだれる英雄を残し、クレバスは病院へと向かった。ハンズスの病院にアレクがいるはずだ。手当てが遅れて、雑菌が入ったのだと聞いた。炎症を起こして、数日は高熱で寝込んでいたとか。
 病室を訪れると、出迎えたアレクは元気そうだった。ベッドに上体を起こし、本を読んでいた。
「クレバス、いらっしゃい」
「アレク、もういいの?」
「熱、下がりマシタ」
 アレクがにこりと笑う。それにつられて、クレバスも微笑んだ。
「でも、よく戻ってきたよね。すっげぇキレてたから、もうセレンとは会わないかと思った」
 クレバスが正直な感想を告げると、アレクは一瞬驚いた後、困ったような顔をした。
「そう……デスネ」
 視線を落とし、ゆるく握ったシーツを見つめる。その口元には、微笑が浮かんでいた。
「セレンの、目が」
 ぽつりと呟かれた言葉はあまりに小さくて、クレバスは拾い損ねた。
「え?」
 アレクが顔をあげる。穏やかな、けれどやはり困惑を隠せないような表情で、アレクは告げた。

 あれはいつのことだったか。
 セレンと暮らし始めて、随分慣れた頃だったように思う。
 特に干渉しあうわけでもない生活は適度に乾いていて、情愛のしがらみから逃げたかったアレクにとっては心地良いものだった。
 キッチンに何気なく目をやる。セレンがコーヒーを入れていた。
 日常の感覚から程遠い男がそんなことをしているのがなんだかおかしくて、しばらく見ていたように思う。
 セレンは彼らしい手際の良さで、淀みなくカップにコーヒーを注ぎ入れた。
 それから、並んだガラス瓶に手を伸ばし、指先でその表面をなぞる。手にした瓶を開けると、中の砂糖を少しだけ入れた。
 なんの変哲もない、日常の景色。けれど、アレクはその中に違和感を見つけた。
 セレンがいなくなってから、キッチンに入り、同じようにガラス瓶に手を伸ばす。砂糖と塩、その他調味料あわせてお揃いのボトルだ。遠目には砂糖と塩の判断がつかないが、凹凸に刻まれた文字でそれぞれの容器の中身が示してある。光の加減で、はっきりと文字が見て取れた。
 一瞬の逡巡の後、アレクはセレンがしたようにガラス瓶に手を伸ばした。そっと、表面をなぞる。
 伸ばされた指先は、その文字を読み取った。
 読み取って、なぜその仕草が必要だったのかを知った時、アレクは愕然とした。
 見えていない。
 ガラスの陰影で出来るこの文字が、セレンには見えていないのだ――
 
「ワタシの目が、いつか、必要にナル時が来マス」
 アレクは静かに告げた。
 視力の衰えがいつから顕著になったのか、その素振りをセレンは全く見せなかった。だが、アレクは確信している。
 いつか、完全に見えなくなる。そう遠くない未来に。彼らの住む世界において、その変化は致命傷にもなるだろう。
 それでも、セレンが誰かに頼るとは思えなかった。

 それが――

 アレクはシーツを握り締めた。

 それが一体何の免罪符になるのだろう。
 セレンが視力を失い、路傍に一人野垂れ死ぬとして、自業自得以外のどんな言葉があるというのだ。今までのツケが返って来たに過ぎない。
 幾度となく追憶した思考を、アレクは再び追っていた。
 そうだ、それはセレンの勝手だ。自分に手助けする義理はない。
 けれど――
 そこでいつも棘のように引っかかるのは、共に過ごした時間だった。他人としての距離を決して縮めないはずのその日々が、アレクの胸を過ぎる。その度にアレクは胸が詰まるような感覚に襲われた。到底言葉では表せない濁り。ぽたりと落ちた滴が、胸に広がる。
 幾度となく考えては、辿り着く結論はいつも同じ。

 けれど、セレンが墜ちる様を嗤うには、知りすぎてしまった。
 彼を一人、暗闇の中に置いていくことはできない。

 それが、アレクの出した結論だった。


 病室のドア、その前でセレンは静かに佇んでいた。
 別に立ち聞きを望んだわけではない。ノックをする直前で自分の名前が聞こえて、そのままドアを開け損ねただけだ――と、言い訳をする自分に気付いて苦笑する。
「誰に言っているのやら」
 皮肉めいた笑みを浮かべて、踵を返す。廊下の窓からは、どこまでも澄んだ青空が見えた。
「なんだ、来てたのか?」
 廊下のむこうからやってきたハンズスが声をかける。セレンがまだ花束を持っているのを見て、病室には入っていないのだとわかったらしい。セレンの肩越しに病室を見て、あらためてセレンに向き直った。
「今、ちょうどクレバス達が来てるぞ」
「いや、いい」
 ドアに手を伸ばしかけたハンズスを制止して、セレンは花束のリボンを緩めた。白いユリ達が待ちかねたように散らばっていく。そのまま窓の外に放ってやると、風が花を舞い上げた。
「どうしたんだ?」
 見舞い用の花じゃないのかと驚いたハンズスが目を丸くする。
「別に」
 愛想のかけらも見せずにセレンが答えた。病室とハンズスに背を向け、ゆっくりと歩き出す。
「ついでにあれの頭でも見てやってくれ。打ち所が悪かったらしい」
「頭? おい、どこ行くんだ?」
 話についていけないハンズスは怪訝な顔をした。
 何気なく問われたその言葉に、答える声。それは平生のセレンとなんら変わりのない声だったにも関わらず、ハンズスが聞いたことのない響きを持っていた。
「――家へ」


 顔に疑問符をくっつけたような格好で病室に入ったハンズスは、そのやり取りをアレク達に伝えた。
 やはり他の誰も理解ができない中で、アレクの目が優しく細められたのをクレバスは見逃さなかった。


第36話・END
Copyright 2009 mao hirose All rights reserved.