A Special Day2

 来なきゃよかった。
 ドアを開けた瞬間、英雄はつくづく後悔した。
 NYの片隅にあるバー、G&G。深海をイメージし、黒と青に彩られた空間は不思議と安らぎを与えた。静かな旋律で流れるピアノの演奏もまた心地良い。
 開けたドアを閉めるわけにもいかず、苦々しい顔で店内に足を踏み入れた英雄の視線の先に、不快の原因が揃っていた。
 ライトアップされたカウンターに、長身の美女が座っている。黒のナイトドレスはシンプルながらもスリットは深く、覗く足は艶かしいほどに白かった。足先に金色のミュールをぶらつかせて遊んでいる。それよりも明るい金髪が天使の輪を作り、長い睫の奥に潜む青の瞳は勝気な女王を連想させた。
「あら」
 バーテンダーと談笑していたダイアナが、振り返る。
「誰にここを聞いた」
 苦虫を噛み潰したような顔で、英雄がその隣に腰を下ろす。
「誰って」
「僕がここにいると?」
「自意識過剰」
 サラよ、とダイアナは告げた。
「とても素敵なカクテルを出す店があるって」
 ついでに未成年に平気で酒を出すバーテンはどんな顔をしているのか見に来たのだ。
「ご注文は?」
 バーテンダーがグラスを磨きつつ、英雄に声をかけた。
「任せ……」
 任せる、と言いかけた英雄は、バーテンダーの顔を見て口をつぐんだ。
 洗練された身のこなしのバーテンダーもまた、英雄の知り合いだ。流れるような銀髪に、深い緑色の瞳。造形の整った顔立ちは彫刻も裸足で逃げ出すほどだが、本人は意に介さない。気紛れな性根は猫を連想させ、その悪戯ッ気の被害は――
 これまでのことを思い出し、英雄の喉が静かに上下した。
 相手はセレンだ。何が出てくるかわかったものではない。
「少し待ってくれ」
「なによ? 任せてもいいじゃない?」
 ダイアナが意外そうに口を挟んだ。
「あのな」
「この人にも同じのあげてくれる?」
 抗議する英雄に委細構わず、ダイアナが注文した。
「かしこまりました」
 セレンがうやうやしく礼をする。止めようとした英雄の手が、宙を彷徨った。
「だってこれ、すごく美味しいわよ。センスいいわ、あのバーテン」
 シェイカーを振るセレンを眺めながら、ダイアナが太鼓判を押す。
「……何を頼んだんだ」
 ダイアナのカクテルを睨みながら、英雄がテーブルに肘をついた。
「これ?」
 ダイアナがグラスを傾ける。
 手の中の液体が揺れる。赤から桃、黄色からオレンジへと変化していくグラデーションは、派手なダイアナによく似合っていた。
「DEADorALIVE サラのお勧めなの」
 英雄の口元が皮肉な笑みを浮かべる。
 すぐにでも帰りたい衝動をぐっとこらえ、英雄は静かに嘆息した。
 帰るわけにはいかない。
 カウンターの奥にいるセレンを横目で見る。
 自分の役目は、彼を足止めしておくことなのだ。


番外編 「A Special Day2」


 発端はいつだって唐突だ。
「パーティーしまショウ」
 とアレクが言ったまではよかった。うららかな午後、自宅でのくつろぎタイム。お茶の時間に合わせてやってきた来客は、相応しい手土産を持参していた。
「いいね、アレクの快気祝い?」
 土産のスコーンを齧りながらクレバスが賛成した。特に反対する気もない英雄が、無言でコーヒーを啜る。
「イイエ」
 にこりとアレクは微笑んだ。
「サプライズデス、セレンに」
 瞬間、英雄は盛大にむせた。口に含んでいたコーヒーが飛び、気管が悲鳴を上げる。
「ちょ、英雄、大丈夫か?」
「な、なに考えて……」
 涙目になりつつ抗議する英雄に、笑みを絶やさぬまま、アレクは答えた。
「いいデショウ?」
 答えになってない。
 英雄が絶句する。
 なっていないが、そこで抗議の声が途絶えたがために――それは決定事項になってしまった。

 セレンの為のパーティーだという話の時点で、詳細を聞く間でもなくダルジュは顔を歪めた。
「ふざけろ」
「待て、僕のプランじゃない」
 背を向け話を打ち切ろうとするダルジュを英雄が制止した。
 昼のG&Gは花屋だ。むせかえるような花の香りに囲まれて、三白眼の悪人顔をした男が、花に水をやっていた。足元には鼻水を垂らした子犬がじゃれている。
 傾けられたジョウロからささやかなアーチが描かれる。その上に現れる小さな虹はどこまでも牧歌的で、この男には不釣合いだった。
「じゃ、誰だ」
「アレク」
 回答を聞いたダルジュが、深く息を吐く。肩を落とし、天を仰ぐ。その姿は正に虚脱を体現していた。
「俺を巻き込むな」
「僕だって御免だ」
 シンプルなダルジュに、思わず英雄の本音が零れた。あの時、クレバスが諸手を挙げて賛成さえしなければ、この話は確実に流れていたはずなのだ。しかし、「もちろんいいよな、英雄」と嬉しそうに同意を求めたクレバスに反対できなかった自分にも責任の一端はある。故に彼は、非常に不本意ながらも、このプランに参加する羽目になったのだ。
「知るか、馬鹿が」
 見透かしたような視線を寄越して、ダルジュが吐き捨てる。
 実際、英雄の心情などお見通しなのだろう。元パートナーなのだ、彼は。
 頭を掻きつつ、英雄がダルジュを見やる。ダルジュは振り返るそぶりすら見せなかった。

Copyright 2009 mao hirose All rights reserved.