A Special Day2

 18:40 PM―――


「あのさぁ」
 いつもとなんら変わりなく、ガイナスは口を開いた。
「なんでスカ?」
 アレクがにこやかに答える。
 セレンが時折立ち寄るというガラス細工の店は、そこそこに繁盛していた。数多在るガラスの中でも、クリスタルガラスしか扱わないという店主のこだわりを反映してか、店内の小物ひとつに至るまで気遣いが感じられた。重厚な赤の絨毯の上に置かれたガラス棚、中に飾られた人形はやはりガラス製で、オレンジ色の光を受け七色に輝いていた。
 ペンダントにブローチ、手鏡にライター。大小のグラスが規則正しく並び、ワイングラスは優美な曲線を描いていた。緻密な細工を施されたオルゴールは、奏でる音色も美しい。
 その音色がふいに止まった。
 銃の台尻で叩かれたのだ。
 純度の高いクリスタルガラスの破片が、輝きを撒き散らしながら飛び散った。
「金を出せっつってんだよ!」
 とても馴染みのあるお決まりの台詞を吐いて、強盗は銃を振り回していた。カウンターの奥の店主が、慌てて伏せる。
「あんたらといるとロクなことがないんだけど」
「気のせいデス」
 冷めた目で強盗を見つめるガイナスの呟きを、アレクは軽やかに否定した。
「ほんとぉ?」
 突如として現れた強盗に、店内は凍り付いていた。客達は皆、壁際に伏せている。話しているのは、ガイナスとアレクぐらいだ。壁に背をつけて座っている様は、リラックスしているようにも見える。
「NY名物デスヨ」
 アレクが強盗を指差した。
 確かに、珍しくはないのだろう。
 ガイナスが大袈裟に溜息をつく。
「あーあ、こんなことなら、シンヤと一緒に帰っちゃえば良かった」
 ガイナスがぼやく。
 気だるげに頬杖をついたまま、欠伸を噛み殺すと、ガイナスは店内を漫然と見渡した。
「猫、飼ってるんだっけ?」
 動物を象ったオブジェの中に猫の姿を見つけたガイナスが呟いた。
「エエ」
「あの人、猫好きなの?」
 言われたアレクが考える。
 セレンは……好きだろうか。
 邪険にはしていないが、可愛がりもしていない。しかし、面倒は見ている。猫もなついているようだ。
 もしかしたら、自分のいないところでは、相好を崩しているのかもしれない。絶対に見たくはない光景だが。
「サア」
「ふーん……」
 頼りない返答に、ガイナスは抗議しなかった。別にどちらでも構わない。ただ―――
 あれにしよう、と決めた。
 この騒ぎが終わったら、あのネコのオブジェを掴んで、さっさと会計して帰る。間違っても、自分では渡さない。渡したくはない。
「なんだこれは!」
 金を奪い、外に出ようとした強盗は声を荒げた。ドアが開かない。どれだけ力を込めて押しても、何度体当たりしても、微動だにしなかった。振り向き様にカウンターにいる店主に銃を放つ。身を伏せていた店主は、かろうじて無事だった。
「おい、どうなってるんだ!」
 怒りのままに、強盗がカウンターを蹴り付ける。
「なに?」
 異常を感じたガイナスが、ドアを見やる。
「開かないみたいデス」
 アレクがテイクアウトのジュースを口にした。
「困ったデスネ」
「セ、セキュリティが発動したんだ!」
 頭を抱えた姿勢のまま、店主が叫ぶ。
 強盗を閉じ込めるセキュリティとは一体なんだ。店内の誰しもが思ったところで、ドアは開かない。本来、夜間の泥棒対策に作動するはずのプログラムが誤作動しているらしい。
 苛立った強盗が、傍にあるガラス細工を片端から投げ飛ばしていく。
 オルゴール、ワイングラス、灰皿に……
「あーっ!」
 強盗の手がそこに伸びた瞬間、ガイナスは声を上げて立ち上がっていた。
 ネコのオブジェを手にした強盗が、一瞬硬直する。
「ちょっと、やめてよ! それ、僕が買うんだからね!」
「なんだとこのガキ!」
 手頃なサイズのネコのオブジェは、凶器へと早変わりした。強盗が勢いのままにガイナスに振り下ろす。
 遅い。
 ガイナスは苛立った。
 強盗が自分にオブジェを振り下ろす。その仕草のひとつひとつが、スローモーションに見えた。
 腕ぐらい、いいよね?
 ガイナスの目が細められた瞬間、その前に躍り出た影があった。
「ぐ!」
 ガイナスの代わりに、その一撃を受ける。
 アレクだ。
 自分の前に立つ背を見て、その額から流れる血を見て、ガイナスは呆然とした。
「な……なんで」
「スミマセン」
 アレクは強盗に向けて微笑んだ。
 強盗が手にしていたオブジェを掴む。
「デモ、コレ、大事」
「なんだ……」
 再度オブジェを振り上げようとし―――強盗は気づいた。
 動かない。
 アレクの手に力が篭っているようには見えない。それでも、ネコのオブジェは微動だにしなかった。
 強盗の額に汗が滲む。
「コレ、くだサイ」
 笑みを絶やさぬアレクに気圧されつつ、強盗はネコのオブジェを手放した。
「好きにしろ!」
 投げつけるように渡す。それが精一杯の虚勢だった。
「ちょっと、大丈夫?」
 壁にそって座り込んだアレクに、ガイナスが駆け寄った。
「エエ」
 額から流れる血をハンカチで拭きながら、アレクは答えた。
「別に庇わなくったって、あんなヤツ……」
 ちらり、とアレクが見上げる視線で、ガイナスの言葉が消えた。
 あんなヤツ。
 どうとでも。
「ハイ」
 ガイナスの思考を振り切るかのように、アレクがネコのオブジェを差し出した。それから、くしゃりとガイナスの頭を撫でる。
「アナタ、子供。私、大人。庇う、当たり前デス」
 アレクが微笑む。
 ガイナスは感覚のないままにネコのオブジェを受け取った。
 どうして唇が震えるのか、わからない。
 今のアレクの言葉が、自分に穴を開けた。それだけはわかる。
「そ……んなの」
 ガイナスは笑おうとした。子供扱いなんて失礼だと、怒っても良かった。
 けれど唇はわなないて、言葉が出てこない。
 焦燥にも似た感覚が胸を焼く。締め付けられるような思いの中で、ガイナスはようやく口を開いた。
「今まで、誰も言わなかったよ……」
 ともすれば泣きそうな表情のガイナスを見て、アレクはもう一度、その頭を撫でていた。


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