A Special Day2

 間が悪い、という言葉すら空虚に聞こえる。
 クレバスは一瞬、顔がひきつるのを自覚した。
 中途半端に放棄されたパーティー会場に主役の登場だ。ありがたいはずもない。
 居間の入り口に立ったセレンは、その長身を壁に預けた。壁に背をつけるゆるやかな仕草とは裏腹に、逃がしはしないという意図が透けて見える。
 虚言は通じない。
 セレンの性格を熟知しているクレバスは、腹を括った。この場合、薄っぺらな嘘は状況の悪化を招くだけだろう。第一、性分でもない。
「あのさ」
「英雄が珍しく帰ろうとしなくてな」
 クレバスの発言を遮るように、セレンが口を開いた。
「招かれざる客もいたというのに――あの子は肝心な時に嘘を付けない」
 では、計画は初期から破綻していたということか。
 途端に肩から力が抜ける。クレバスは嘆息した。
「そっか」
 テーブルの上に並べられた料理をセレンが一瞥した。
「それで?」
 床に落ちた携帯をクレバスが拾い上げた。圏外の表示と共に、通話が切れている。シンヤに心の中で詫びつつ、携帯をポケットに入れた。
「それで、って?」
「これで終わり、ではないんだろう?」
 セレンが微笑んだ。
 観念したクレバスが、目を閉じる。
 この場で説明を拒める人間はいないだろう。
 せめて全てを語らずに済ませる器量が己にあればいいのに、と、クレバスは自分の不器用さを呪った。


 23:47 PM―――


 渦を巻くような気だるさが、英雄の意識を覚醒させた。
 見覚えのある天井、馴染んだ空気。懐かしの我が家だとすぐに知れた。
「なに? 気づいたの?」
 英雄の変化に気づいたダイアナが覗き込む。
「具合、どう?」
 入念なネイルを施された指が、器用にタオルを絞った。滴り落ちる水滴が毒を孕んで見える。
「ダメだ」
 英雄は呻いた。
「君が優しく見える」
「馬鹿」
 あんなの飲むなんてどうかしてるわ、とダイアナがタオルを折る。ひんやりした感触を額に感じながら、英雄は押し黙った。
 確かに、怪しさは一目で知れた。飲むほうが悪いのだ。
 しかし。
 あんな別れ方をして、偶然に再会して、素面でいられるほうがどうかしている。
「どうせ気まずいからってお酒に逃げたんでしょ」
 見透かしたようにダイアナが告げた。
「ご明答」
 英雄がタオルを掴む。出来るだけさり気ない仕草で、目を隠した。が、それを見つけたダイアナの眉が寄る。
「今も顔を見られたくないと思ってる?」
「ああ」
 英雄が答える。うなされるような声に、ダイアナが肩をすくめた。
「本当に馬鹿ね」
 ダイアナの声が近づく。英雄の唇に、湿った感触がした。
 柔らかな感触と共に、香水の香りが鼻をくすぐる。
 英雄が慌てて体を起こす。その時にはもう、ダイアナはハンドバッグを片手に立ち上がっていた。
「ゆっくり休むのね、お馬鹿さん」
 呆然とする英雄をよそに、ダイアナは何事もなかったかのように去っていった。快活なヒールの音が、次第に遠ざかる。
「休めって」
 英雄が髪をかきあげる。体を支配していたはずの酒は、どこかに消えてしまった。代わりに渦巻いているのは、経験のない感情だ。
「……どうやって」
 英雄が身をソファに投げ出す。音のない家の中で、己の鼓動だけがやけに響いて聞こえた。


 23:59 PM―――


 終わりのない篭城戦に光が見えたのは、日付も変わろうというまさにその時だった。
 それは同時にガイナスの我慢の限界の瞬間でもあり、あとコンマ何秒でもその瞬間が遅れていれば、事態はまた別の結末を迎えたのかもしれなかった。
 新たな客が、ドアを開ける。
 至極単純なその動作に、店内にいた誰もが目を剥いた。
 常ならばとうに閉店している時間に、当然のように入ってきた客――銀髪で隻眼の長身の男――はモデルのような顔立ちをしていた。
「ア」
 その顔を見たアレクの口から声が漏れる。
 我に返った強盗が、セレンの脇をすり抜け、店外へと駆け出した。
 強盗がセレンの脇をすり抜けるのと、セレンがアレクの額の傷を認めるのは、ほぼ同時だった。
 一瞬、セレンの顔に不快さがよぎった。
 右手がわずかに動く。
 その指先から放たれた鋼糸が、店外へと足を踏み出しかけていた強盗の服を切り裂いた。満月の光の下、その裸体が照らされる。ほどなくして、強盗は駆けつけた警察に取り囲まれた。
「なにをしている」
 その顛末を気にもせずに、セレンが口を開く。
 責められているのだとアレクは誤解した。
「別ニ」
 買い物デスと目をそらす。嘘ではない。
「こんな時間にか? たいした趣味だ……」
 言いながら、セレンはアレクの隣にガイナスがいることに気づいた。
 視線を感じたガイナスが憤然と立ち上がる。
「別に! あんたのためじゃないから! でもこれあげる!」
 ガイナスが猫のオブジェをセレンに押し付ける。と、その勢いのまま駆け去った。
「……なんだ?」
 手の中に残されたオブジェを見て、セレンが首をかしげた。
 どういうことなのか、まるで理解できない。
「50ドルです。ありがとうございます」
 抜け目ない店主が、レジを叩いた。


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