まぜまぜダーリン

 誰かの悲鳴が聞こえた気がする、と柊子は思った。
 こんな夜にまさか、とも思った。が、正面にいるイナクタプトにもどうやらそれは聞こえたようだ。あたりを伺うような顔をしている。
「今……」
 どちらからともなくそう言った時、ばりばりと家全体が震えるような音がした。音だけではない、階下から押し上げられるように、床が膨らんだ。
「なっ、なにこれ!」
「柊子!」
 立ち上がった柊子がバランスを崩す。イナクタプトが慌てて手を指し伸ばした。
 その先で床が割れ、ダミーモンスターの目が覗いた。モンスターの大きな手が、柊子を掴む。そのまま、中川家の屋根を破り、モンスターはさらに巨大化していった。
「柊子!」
 足場を崩されたイナクタプトが、器用に地面に着地する。すでに残骸と化した中川家の敷地、その中で、巨大なサルが緑色の目を光らせながら、咆哮していた。
「こんな……」
 斎藤さんが呆然とダミーモンスターを見上げた。本来ならば、人の二倍程度の大きさのはずだ。それを倒す時間とスキルで、ギルドのレベルを決定する。モンスター自体も電子構造上のダミー生物なので、誰一人流血しない算段だった。
 しかし。
 このモンスターが動き出せば、流血どころか死亡者さえ出かねない。たかがギルドのテストで、だ。
「すぐに撤収させます!」
 斎藤さんがキーを叩く。その咽元に、影虎が刀を突きつけた。
「なにを……」
「いらん世話じゃ」
「影虎、貴様」
 イナクタプトが影虎を睨む。影虎は一笑に付した。
「すぐに片付ければええ話じゃ。トーコ、ええな!」
 今の召喚主であるトーコに、影虎が吼える。源次郎の腕の中、ぷくりと頬を膨らませたトーコは、おたまを掲げた。
「もう〜、影虎!」
 影虎が走り出すその先に、いくつもの光の輪が出来た。影虎がそれを足場にして宙を駆け上がる。
「しゅーちゃんがケガしたら許さないからねっ!」
「承知じゃ!」
 影虎が刀を抜きながら、光の輪を蹴った。
 途中、モンスターの手の中でもがく柊子に声をかけた。
「ちょっと、影虎! なんなのよ、これ!」
「しばらく待っちょれ!」
 言うが早いか、宙に飛ぶ。
 戦いの歓喜に身を任せながら、刀を振るおうとした瞬間、その顔から笑みが消えた。
 影虎の視線の先、ダミーモンスターの頭上に、満月を背に降りる影がある。
 なびく銀髪に、しなやかな体躯。逆光のせいで表情を伺い知ることはできないが、シャープな輪郭が夜に映えた。
 手にした剣を見るまでもなく、影虎にはそれが誰だか容易に知れた。
 イナクタプトだ。
「なんじゃ」
 面白くなさそうに舌打つ。視界の端に巨大化した蘭蘭の姿が見える。あれを駆け上がってきたのか。
「我が主に触れる。万死に値する罪だ」
 イナクタプトは呟くと、影虎には目もくれずに剣を振るった。
 首筋に剣を突きたてられたダミーモンスターが悲鳴を上げる。
「え、ちょっと……」
 ダミーモンスターの手の中で、握り締められそうな気配を察し、柊子は身構えた。が、身構えたところでどうなるものでもない。これ以上力を込められれば、自分はぺちゃんこになりそうだった。
「わ……!」
 柊子は反射的に目を瞑った。瞬間、光がよぎった気がする。
 おそるおそる目を開けると、名刺を手にした斎藤さんがそこにいた。ダミーモンスターの掌の上に立ち、眼鏡に神経質に触れた。
「ご迷惑をおかけしました。全く」
 ほつれた髪を直しながら、柊子に手を差し伸べる。ふと見ると、ダミーモンスターの指手にも名刺が刺さっていた。
「設定されているウィークポイントをいくつか刺しました」
 斎藤さんが柊子の疑問に答えるように告げた。
「シューコ・ナカガワ様ですね」
「あ、はい……」
 柊子は斎藤さんの手を借りて、ダミーモンスターの掌から抜け出した。
 同時に、止めを刺されたらしいモンスターが、急速に縮んでいく。その最中で、斎藤さんはぽつりと呟いた。
「確かに強いギルドにはなりそうですが、私はお勧め致しませんね」
「え?」
 柊子が聞きとがめても、斎藤さんは微動だにしなかった。

 柊子が地上に降りると、その姿を見つけたイナクタプトが駆け寄ってきた。
「柊子、ご無事で」
「あ、うん」
 答えた柊子の視線が、イナクタプトの剣に注がれる。それに気づいたイナクタプトは、一度何か言いかけて、口をつぐんだ。
「イナクタプト?」
「柊子、私は……」
 イナクタプトは、己の剣を無言で見つめた。
 それから静かに、柊子に向け剣を掲げた。
「いろいろ考えたのですが、やはり、自分にはこの道しかなく」
 イナクタプトの言葉に、自然、柊子は微笑んだ。
「うん」
 考えたことがある。
 咎から解放されて、イナクタプトは剣を捨てるだろうか。
 もしそうしたら、一体何をして過ごすのか。
 おとーさんの手伝いで大工? コック? 花屋? サラリーマン?
 何をどう考えても、しっくりこなかった。
「イナクタプトには、それが一番似合うと思うよ」
 自分の意思でイナクタプトが剣を取るなら、それが一番相応しい気がした。
 言われたイナクタプトも目を細めた。
「これからも、剣を手に世界を渡ります」
「うん」
 待ってる、と柊子は言いかけた。
 ずっと待ってる、と。
 しかし、次いで告げられた言葉は、柊子の予想を外れていた。
「柊子、あなたも」
「え?」
 柊子がイナクタプトを見上げる。イナクタプトは微笑んでいた。夜風をはらんだ銀髪が揺れる。
「共に行きましょう、柊子。誰かと世界を渡るなら、私はあなたがいい」
 いつか柊子に見せたい景色があるのだと、イナクタプトは言った。
「イナクタプト……」
 柊子の目に涙が浮かぶ。
 イナクタプトの金色の瞳が瞬いた。
「柊子?」
 もしや嫌だったのかと血の気が引く。
 その気配を察した柊子は、涙を拭きながら笑った。
「うん! 行こう! いっぱい、あっちこっち行こうね!」
 その言葉を聞いた斎藤さんが、瓦礫の中に埋もれかけた機械を拾い上げた。無言のままキーを叩く。わずかにヒビの入った眼鏡に、画面の光が映りこんだ。
「シューコ・ナカガワ様、意思確認完了。サポートメンバーとして、源次郎様、トーコ様からも申請いただいております。かの地にて、てう様、エリーナ様からも申請いただきました。以上をもちまして、ギルド中川家様の登録作業終了とさせていただきます」


 その日の里中さんの日記にはこう書かれていたという。
『今日は朝から柊子ちゃんの悲鳴が聞こえたわ! なんだかとってもびっくりしてたみたい。おばちゃん、気になっちゃった。
 夜には若い男の悲鳴が聞こえたわ。おばちゃん、なんだかドキドキしちゃった。
 と、思ったら中川さんとこから大きなサルとパンダが出てきて、もうびっくりよー。
 あっという間に消えたけど、なんだったのかしら、あれ?
 源次郎さんが来て、今晩泊まらせて欲しいって言われたわ。おばちゃん、賑やかなの好きだから全然オッケーよ。冬子ちゃんも柊子ちゃんも大好きだしね。若いおにーさん達なんてもう大歓迎よ。
 それにしても、いつの間にか源次郎さんのところは賑やかになったわねー。おばちゃん、うらやましいわ。
 明日は筧先生のところに肉じゃが届けに行かなくちゃ! 影虎さんがお使い行ってくれるらしいからお願いするわね。
 さっきはこんな時間にシンブンブ? のゴローちゃん? から電話があったわ。
 中川家のパンダの謎を追ってるみたい。蘭蘭ちゃんが電話に出て、「おまえ、ウザイ、キライ」で電話切ってたけど、よかったのかしら。おばちゃん、どこかから悲鳴が聞こえるのを感じたんだけど。恋の叫びね! 間違いないわ!』


【リーマン戦士!? 斎藤さん ・完】
2009.5.15-7.2


この作品は、完結記念リクエスト企画にて書かせていただいたものです。
リクエストの内容は、次のページにてご確認いただけます。



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