まぜまぜダーリン

 乾いた風が吹く。時折飛んでくる砂は、全て魔法障壁に吸われていった。
 空は薄紫の異世界。イナクタプト達の郷里でもある。
「影虎さんは、イナクタプトさんと会えましたかしら」
 木造建築の日本家屋にも似た影虎の家で、イナクタプトの母・エリーナは庭に目をやりながら静かに呟いた。瑠璃色をした池の中では、影虎の従属である鯉のコイケくんが餌を食べていた。コイケくんが餌を食べるたびに、池に波紋が生じた。
「心配無用どすえ」
 茶菓子を手にした影虎の母・てうがエリーナの隣に腰を下ろす。白いワンピースを着たエリーナの洋装とは対照的に、シックな着物に結い上げた髪が貫禄を示していた。
「そうですわね。トーコ様のもとに行かれたんですもの」
 トーコと柊子を思い出し、エリーナは微笑んだ。イナクタプトが連れてきたあの可愛らしい姿を、今も良く覚えていた。
 わたくしがあの人に恋をしたのも、あの子ぐらいの時だった。
「懐かしいですわ」
 エリーナが目を細めた。
 彼女がイナクタプトの父親と出逢ったのは、十四の時だった。父に連れられて行った舞踏会の中に彼がいた。
 整った甘い顔立ちと、優雅な物腰。あれは誰かと父に尋ね、友だと紹介された。あわせて、彼の妻が既に亡くなっていることも。
 ああ、それで。
 エリーナはひどく納得した。
 皆が幸福そうに踊り微笑む舞踏会の中で、彼だけが淋しさを纏っていた理由を知った。
 燃え上がるような恋ではなかったと思う。
 それでも、エリーナは彼に惹かれ、手紙を書いた。時々、会うようになり、いつのまにか話す機会が増えた。
 淡々と紡がれる月日。それに呼応するように、ゆっくりと歩み寄っていった。
 このまま二人で老いるのもいいかもしれないと思った矢先に、彼がそう告げた。
「このまま、変わらず君といたい」と。
 エリーナの父は、初めてこの話を聞いた時、もちろん仰天したし、エリーナに考え直すようにも言った。友の人間性は保証するが、年が離れすぎているではないか、と。
 エリーナはゆったりと微笑んで、父に告げた。
「お父様、あの日あの場であの方に出会わなかったとしても、わたくしはあの方に恋をしましたわ」

 式の前に、一人で先妻の墓を見舞った、その時のこともよく覚えている。
 見晴らしの良い丘に建てられたその墓の周りには、白い花が咲き乱れていた。年中枯れることのない花なのだと、聞いたことがある。それだけで、彼女は愛されていたのだと思った。
 墓には先客がいた。イナクタプトだ。
 十二歳になる、四つしか年の離れていない息子。まだ数度しか出会っていない。
 エリーナは、祈りを捧げるイナクタプトの隣に膝をついて、花束を墓前に捧げた。
「わたくしも、一緒に」
 静かに目を閉じるエリーナの隣で、イナクタプトは立ち上がった。
「今日から、この方を母と呼ぶと言いにきました」
 決然と告げられた言葉に、涙があふれたのを覚えている。ぽろぽろと涙を零し始めた新しい母に、イナクタプトは目を見張った。
「母上、どうかなさいましたか」
「いいえ、いいえ」
 エリーナは首を振った。あわせて、婚礼の衣装であるケープが揺れる。
「幸せで」
 イナクタプトは微笑んで、エリーナの手を取った。
「参りましょう、母上。父上がお待ちです」
 あの時、エリーナは何度も先妻の墓を振り返った。そうして願ったことを、一日たりとも忘れたことはない。
 
(あなたの宝物であるふたりの、傍にいることをお許しくださいね)
(きっと、きっと大事にいたしますから)

 思い出に微笑みかけるように、エリーナは手の中の湯飲みを傾けた。揺らめく茶の中に、柊子とイナクタプトの姿を見た気がした。


 茶の中にたゆたう茶柱は、真っ直ぐに起立していた。この家で出される茶、全てこの調子である。それがトーコの並外れた魔力によるものであることを、斎藤さんは薄々察していた。
 中川家に滞在すること三日。待つにもそろそろ限度がある。
 柊子とイナクタプトが二階に行ったのを機に、斎藤さんは影虎に切り出した。
「以前も言いましたが」
 一言一言はっきりと、斎藤さんは告げた。対面に座った影虎が、鬱陶しそうな顔をする。
「ギルドの登録、殊に発足メンバーの登録に当たっては、本人の意思確認を事務局で行う規則になっています。影虎様、イナクタプト様の御意思は承りました。あとは、しゅ……」
「じゃかましいのう」
 大袈裟に溜息をついた影虎が、頭をぼりぼりと掻く。
「手続き、規則、規則。耳が腐るわ。もうええじゃろが」
「良くはありません」
 かすかに殺気を滲ませる影虎に一歩も怯まずに、斎藤さんは眼鏡を直した。
「規則は規則ですから」
 とん、と書類を立てる。それから、斎藤さんはノートパソコンによく似た機械を取り出した。
「それからですね、ギルドのレベルを測るために、ダミーモンスターと戦っていただきます。そこで各自の戦闘力、ギルドのレベルが決定されます。これを元に登録を行い、レベルに応じた依頼が来るというシステムで……」
 斎藤さんがキーを叩く。
「ダミーモンスターじゃと?」
 影虎の眉がぴくりと動いた。
「そうです。電子構築されたモンスターですが、実際の戦闘とほぼ同じ経験ができます」
 斎藤さんがモニターを影虎に向けた。画面の中で、大型のサルに似た動物が牙を剥いている。グリーンの目に、尖った牙。硬そうな毛が全身を覆い、逆毛だっている。
「ご安心下さい。戦闘レベルはこちらで無理のない数値に設定してありますから」
 斎藤さんが律儀に告げた。指差される先に視線を落せば、そこに3の文字がある。
「ほう」
 影虎は頷きながらキーを叩き、0を二つばかり付け足した。
 途端に、斎藤さんの眼鏡が光る。
「なにをするんですか!」
 言うが早いか、影虎の前から機械をひったくる。
「阿呆、戦うからには強いのがええに決まっちょるじゃろが」
「レベル10で地方都市壊滅レベルのモンスターですよ。300なんて冗談じゃありません」
 全く、と斎藤さんは呟いた。
「ええじゃろが。細かいのう」
 影虎が不満げに吐き捨てた。
「あなたのような戦闘マニアがいるから、ギルド本部が設立されたんですよ。全く、これで召喚ボタンを押されていたら大変なことになるところでした」
「ほう、召喚ボタン」
 これか、と影虎が指を伸ばす。
 ぽちり。
 初心者にも扱いやすいよう魔法陣の描かれた召喚ボタンは、とても素直に反応した。
 斎藤さんの顔がひきつる。と同時に、機械が光り出す。
「なんてことをするんですか!」
 斎藤さんの悲鳴があがると同時に、召喚されたモンスターが中川家の居間の天井を突き破った。ばりばりと音を立てて、まだ大きくなる。家を破壊しそうな勢いだ。
 崩れ落ちる瓦から、源次郎がトーコを庇う。柱を折り、さらに大きくなるサル型モンスターを見て、影虎は満足した。
「やっとじゃの」
 戦いの予感に、愛刀を握り締める。
 舞い落ちる瓦礫の中、口に上る笑みは、どうしようもなく止められなかった。



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