無敵戦隊シャイニンジャー

 レッドは、トレーニングルームにいた。
 体は、鍛えているつもりだった。訓練を怠ったことも無い。けれど。
 あの瞬間、自分は動けなかった。
『弱い』
 ギンザの蔑むような瞳が忘れられない。
 レッドは唇を噛んだ。ブラックもブルーも己の役目を把握していた。ただ一人、自分だけが子供だった。いつも二人に庇われていたことに、気づきもしなかったのだ。
『弱い』
 あれは、他の誰でもなく。
 自分に向けて放たれた言葉なのだとレッドは思った。


 ナナは、ブラックの家に赴いていた。しばらくブラックは入院が必要だと、家族に連絡をせねばならない。何度電話をしても、家人が出ることは無かった。長官が傍らにいたナナに「すまないが行ってくれるか?」と申し訳なさそうに告げた。ナナはと言えば、もちろん二つ返事で頷いたのだ。
 ブラックの手術は6時間に及んだ。
「ざっくりいってたけど切り口は綺麗なものだったわ。縫合しやすくってね、良かった。あれじゃまだ当分くたばらないわよ」とは、ステファン医師の言葉だ。
 それを聞き、長官が深々と頭を下げた。慌ててナナもそれに倣う。
「感謝する」
「ありがとうございます!」
 その時のステファンの顔を当分忘れられないだろうとナナは思った。仕方なさそうな、でもどこか嬉しそうな顔をして、「こっちこそね」と呟いたのだ。
 やはりステファンさんはブラックさんをよく知っているのだ、となぜかナナは納得した。手のひらの中の住所を示した紙を握り締める。都会からずいぶん離れた田舎町だった。人の歩きも緩やかで、のんびりとしている。
 普段、シャイニンジャーはネオロイザーの技術を応用した転移装置で移動をしている。それがないナナ達は、移動にも一苦労だ。シャイニンジャー基地を出発して5時間、電車を乗り継ぎ、バスに乗り、ナナはようやく目当ての場所に辿り着こうとしていた。
『龍堂寺 徒歩20分』
 バスを降りた先で、看板がナナを迎えた。
 遠目に山々が見える、のんびりとした田舎町だった。
 幅が広めにとってある道路には、今しがたナナが乗ってきたバス以外に車が見当たらない。それさえも走り去ってしまうと、辺りは無人かと思うくらいに人気が無かった。
 それでも住宅がところどころに見えて、笑い声が聞こえる。犬の声や、鶏の声、風が吹くたびに木立が揺れた。空気が優しい気がするのはなぜだろう。ナナはなだらかな坂道を歩き出した。道に沿って小川が流れている。澄んだ水の中にメダカがいるのが見えた。その向こうに田んぼがあるのか、稲刈りが終わり稲穂が干されていた。案山子が寂しそうに夕陽を受けている。ブーツは場違いだったかもしれないな、とナナは思った。小さな集落にも似た住宅街を通り過ると、急に山への道が開いていた。
 これまでのアスファルトと違い、道は舗装されていない。山の土は湿っていた。申し訳程度に木で沢の下への階段の枠が組まれている。中の土は、何度も踏みしめられたせいか、硬くなっていた。足元にはシダ類が葉先を伸ばし、上を見れば高く伸びた杉達が日光を遮っていた。途端に異世界に迷い込んだように、そこでは時間が止まっていた。
 空気が、凛と澄んでいる。
 ナナは階段を降りた。山だと言うからてっきり登るのだと思っていたのに、いささか拍子抜けをした。
 龍堂寺は、そんな場所にあった。
 年季を感じさせる門扉は開け放たれたままだった。傍の掲示板にブラックが書いたらしい案内が貼ってある。

『今月の言葉。
 嗚呼苦し 可可と笑えば 人生花マル』

 ブラックらしいとくすりと笑った。
 本当に、山からこの寺の土地だけ間借りしたように、龍堂寺は自然に囲まれていた。苔のむした岩があちこちにある。境内は小石が敷き詰められ、通路だけが石板で組まれている。それもどこかの石を拾ってきたのか、表面は自然のまま。見渡す景色のそこここに緑が残されていた。
「す、すみません」
 ナナはおずおずと声をかけた。発声する傍から、声が山に吸い込まれていく。ただでさえ小さな声が、ますます小さくなった。
「どなたか、いらっしゃいませんか?」
 おろおろとしながら、ナナは門扉をくぐった。見渡す限り人影は無い。いいや、自分の声が届いていないのかもしれない。
 ナナは息を吸い込んで、ためらって、また吸い込んで、大きな声で叫んだ。
「すみません!どなたかいらっしゃいませんか?」
 自分の中で最大限の声。こんなに大声を出したことは今までに無い。けれど、その声にも答えるものはなかった。
 誰もいないのだろうかとナナが思った瞬間、傍らの石が動いた。
「なんじゃい?」
 驚いたナナは息を呑んだ。草むしりをして背を丸めていた老婆が、はあやれやれと言いながら腰を叩く。背が曲がっているせいもあり、ナナよりずっと低く見える。
「あの、お寺の方ですか?」
「いんや、違う」
「お寺の方は…」
「龍ちゃんしかおらね。龍ちゃんは今おらんがね」
 龍ちゃん、というのがブラックのことだろうか、とナナは思った。
「あんた、基地の人だろ」
「え」
「空気が違うわ。都会の匂いがするでな」
「あ…すみません」
 なぜかナナは謝った。
「龍ちゃんが怪我したってぇ、テレビで言ってたけんな。今皆で草むしりしとるとこよ」
 しばらく帰ってこれんだろに、と老婆は言った。
「なぁ、田中の!」
 急に老婆が叫ぶので、ナナは心底驚いた。田中の、と呼ばれた中央の石(とナナは思っていた)が起き上がる。
「そうだでな。あっちに佐々木のとか、野田のとかおるで」
 ほいほいと言いながら、田中のじいさんはまた草むしりに没頭した。
「なんら、あんた茶ぁ飲むか」
「え、あ…」
 老婆はナナの返事を待たずに背を向けた。ゆっくり、ゆっくりと寺に向けて歩いていく。ナナはしばらく迷っていたが、「はよう来!」という老婆の声に、「は、はい」と半泣きになりながら後を追った。

 老婆は寺の者ではないと言ったにも関わらず、どこになにがあるのか把握しているようだった。ナナに茶を入れている間にも、他の老人達が好き勝手に出入りしていく。それでいいのだろうかと、ナナは少し疑問に思った。
「社務所は公開しとるきに。龍ちゃんがな、ワシらがいつでも来りゃええと」
 老婆が茶を出しながら、見越したようにナナに告げた。ナナが「す、すみません」と再び謝る。
「龍ちゃんは…」
「あ、だ、大丈夫です。峠は越しました」
 だけどしばらく入院が必要になる、とナナが告げると、「そりゃあええ」と老婆が笑った。
「あの子はちょっと休んだくらいが丁度ええ。お母さんが気ぃ触れてから、ずっと気の張り通しだったけぇ」
「え」
「龍ちゃんが出来たけぇ、結婚する言うてた男が逃げてな。お母さんは元々神経の細い人だったけぇ、もうあかん。生まれた龍ちゃんに折檻するわするわで、見かねたここの住職さんが龍ちゃん引き取ってな。ご飯もろくに食べさせてもらえんかったみたいでな、細っこくて腕なんか折れそうじゃった。今はあんなに大きいんだがのう」
 あはは、と老婆が快活に笑った。
 ナナは、笑えなかった。笑おうとしても、うまく筋肉が動かない。
 やがて笑いを収めた老婆が、優しい目で茶を見ながら続けた。
「住職さんが亡くなって、寺ばなくなるかもしれん言うたら、俺が継ぐ言い出して。けんど、お母さんがくれた名前が捨てられんけぇ出家もできん。もらったもんがそれしかないから、失くしたかないと。龍ちゃんは、そんなんに拝まれても成仏できんだろうから葬式はよそでやれ言うけんどな」

「ワシらは龍ちゃんがええ」

 老婆はそれがごく当然のように告げ、穏やかに微笑んだ。
 山の空気は澄んでいて、遠くで鳥が鳴くのが聞こえる。
 ひんやりした山の冷気の中で、手の中の湯呑みだけがナナに温度を感じさせていた。
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