無敵戦隊シャイニンジャー

MissionExtra4:「ブラックの無力な黄昏」

 その日のことを時田ナナはよく覚えている。
 何気ない会話であったにも関わらず印象深かったのは、ブラックの言葉のどこかに感じるものがあったからかもしれない。
 夜だった。山の夜は深く、山奥にある龍堂寺も例外なく闇に包まれていた。虫達の声が庭に響いては消える。空の満月が、近くの山々をシルエットで照らしていた。縁側でうちわを仰ぎながら、山のひとつを見ていたブラックが、ぽつりと呟いたのだ。
「行ってみるかなぁ……」
「え?」
 ちゃぶ台の上を片付けていたナナが手を止めた。ぱたぱたとうちわを仰いでいたブラックが、にこりと笑って振り返る。
「おふくろのとこ。あの山の向こうにいるからさ」
「……え……」
 ナナはようやくそれだけを言えた。
 ブラックの母親のことは聞き及んでいる。以前ブラックが重傷を負い、龍堂寺に知らせに来た時だ。
 境内に佇む老婆から聞いた。
 恋人が裏切ったのはブラックのせいだと思い込み、虐待を繰り返していたのだと。
 けれど――なぜだろう、ナナはすでにその母親は死んでいるものだと思っていた。老婆を始め、ブラックが何も言わなかったせいもあるかもしれない。
 しかし、ブラックの口調は墓参りとは違ったニュアンスを持っていた。
「ああ、俺のおふくろってさ」
「し、知っています」
「え?」
 ナナは布巾を握り締めた。疑問を現すブラックの顔を直視しきれずに下を向く。
「あ、あの……以前、ここに伺った時に。その、おばあさん、に」
 聞きましたと言う声が消えていく。ブラックの秘密を垣間見た罪悪感が拭えない。
「ああ! ばあちゃん達か!」
 合点がいったというように、ブラックが手を叩いた。ああ、なるほどねと頷きながら、うちわを仰ぐ。
「どのへんまで?」
「ブ、ブラックさんがこのお寺に来るまで、です」
 すみませんとナナは呟いた。
 気にするこたぁないとブラックが笑い飛ばす。ブラックの笑い声に、虫達が鳴くのを止めた。
「なんてったって本当のことだから、どうしようもないやな。
 で、そう、この寺。後から知ったんだけど、坊さんが母方の親戚だったんだわ。
 これがまた俺に負けず劣らずの破戒坊主だったんだけどさ――」
 ブラックが懐かしそうに目を細めた。
「初めて会った時に、よう産まれてきたなって頭撫でられたのが忘れられねぇ」
 あの時自分の頭を撫でた、がさつで大きな手のひらの感触。ブラックは、はっきりと思い出すことができた。
「じいさん――坊さんが、死ぬ時に教えてくれた。
 あの山の向こうの施設に母親がいるって。費用、ずっと出しててくれたんだとよ。
 俺は――」
 ぱたり。ブラックが力なくうちわを仰いだ。
「金の面は引き継いだけど、会いにはいけなくってなぁ」
 こんなに近いのになと山のシルエットを見つめながらブラックは呟いた。
 月に照らされたその横顔を、ナナが見つめる。
 いつの間にかまた鳴き始めた虫達の声が、二人を包んでいた。


 思い立ったが吉日とばかりに、ブラックが行動に移すのは早かった。
 翌日の朝には、身支度を始める。「急で悪いね」とナナに断りを入れながらも、どこか浮き足立っているように見えた。
「いいえ」
「ナナちゃんの顔も見せたくてさ。大丈夫? 迷惑じゃない?」
「ええ……」
 曖昧に頷きながら、ナナはブラックの後に続いて歩き始めた。
 迷惑ではない。ただ――どんな顔をすればいいのかわからない。
 ブラックは、母親を憎んではいないのだろうか?
 ナナはブラックの背を見つめた。
 陽気な鼻歌を歌いながらブラックが歩いていく。暗い影などどこにも見えなかった。
「ブラックさん……」
「ん?」
 何の気なしにブラックが振り向いた。あまりに屈託のない表情に、ナナが言葉を呑む。
「い、いいえ。なんでもないです」
 憎んでいるのか――直接聞くには、残酷すぎる質問のような気がした。
 ナナの家は、どこにでもあるような平凡な家庭だった。寡黙な父、世話焼きの母、いたずらっ気のある弟。時に談笑し、怒られることもあるような、それでもあたたかく帰るべき場所。手を上げられたことすらない。
 それがいいのか否か、ナナには判断がつかなかった。
 ただ、ナナにとっての家とブラックにとってのそれが大きな隔たりがあることは事実だ。
 小鳥の鳴く声がする。陽射しが高い。
 風で起こる葉ずれの音を聞きながら、ナナは空を見上げた。
 太陽が高く、輝いている。青空に溶ける光が、ナナの決意を促した。
 心の思うまま、素直に動こう――
 ナナは決めた。


 その施設は、本当に山をひとつ越えたところにあった。
 徒歩で片道2時間。来れぬ距離ではない。
 緑の山間にひっそりと佇む、老朽化の進んだコンクリートの建物。白いタイルがところどころ朽ちては補修されていた。
 人気のなさもあいまって、どこか寂しさを感じる。
 ブラックは立ち止まることなく門をくぐり、受付へと歩み寄った。手短に面接の旨を告げ、承認を得る。
「まあ、龍堂さんの……! 久しぶりだわ。きっと喜びますよ」
「ええ」
 ブラックが微笑む。振り向いたブラックに促されたナナも、施設内に足を踏み入れた。
 クーラーが効いているのだろう、ひんやりとした空気が足に触れる。
 清掃の行き届いた施設、廊下を区切る鉄格子が、とても不似合いだった。

 廊下の角を曲がり、二度目の鉄格子を開いて、ようやくブラックの母親の部屋に辿り着いた。受付嬢が鍵を外す。
「龍堂さん、家族の方が」
 ブラックの母親は、きょとんとした顔でブラックを見た。ブラックの記憶にある姿からは程遠く、老いている。深い皺が離れていた歳月を嫌でも思い知らせた。それでも一目でわかる。自分の母親だ。
 ブラックは言葉を探していたように思う。
 先に口を開いたのは、母親だった。
「ああ、あなた……!」
 ブラックの母親は、顔中に歓喜を滲ませてブラックに抱きついた。ブラックの数珠がじゃらりと音を立てる。
 恋人と、間違えている。それに気付いたナナは言葉を失った。
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