「今までどこに行っていたの? ずっと心配したのよ……!」
母親に抱きつかれたブラックはしばらくされるがままだった。
ナナに背を向けたまま、わずかに頭がうなだれる。
どのくらい、そうしていただろう。
「ああ」
やがて紡がれたのは、ため息にも似た、やさしい声音だった。
「悪かったな。待たせて――」
ブラックがやや骨太な手で、老いた母親の頭を撫でる。そのまま抱き寄せてやると、母親は満足そうに目を細めた。
ナナは涙を止めることが出来なかった。足が震える。
嗚咽を押さえ込むように口元に手をやる。
ブラックがここに来るまで、どれだけの月日がかかったか。
そして迎えた現実に、嘘だと叫びたかった。
ブラックの腕の中で、母親は嬉しそうに微笑んでいた。やがて、はっと気付いたように身を離す。
「母さん?」
母親はきょろきょろと辺りを見渡した。なにかを探しているようだ。
「カイ――カイがいないわ」
ブラックの瞳が瞬いた。
「私、子供を生んだのよ。あなたに似た、可愛い子。どこに行ったのかしら」
カイ、と呼びかけながら母親は探した。子供のブラックの姿を。
ソファの下、ベッドの中、窓の鉄枠の隙間。
「やあねぇ、どこに行ったのかしら」
困ったというように首を傾げる。仕草がまるで少女のようだ。
「あなた、知らない?」
母親が、真っ直ぐにブラックを見た。
あなたから俺を見たのは、きっと初めてだ。
ブラックが目を細めながら笑う。
「さあ、今頃外で遊んでんじゃねーの?」
「そう? そうかしら?」
母親は、ブラックに背を向け、窓の外を食い入るように見つめ始めた。
そしてそのまま、二度と振り向くことはなかったのだ。
帰り道にはすでに夕暮れになっていた。
茜色の空が山を焼き尽くさんばかりに覆っている。端に見える夜の気配にも、二人の足が速まることはなかった。
施設から出てこの方、ブラックは言葉を発しようとはしなかった。
鼻をすするナナの肩を慰めるように二度ほど叩いた後は、ずっとナナの前を無言で歩いていた。
早すぎず、遅すぎず、どこか尾を引いたような歩調で。
そんなブラックが、ぽつりと言葉を漏らした。
「きっついなぁ……」
ぺたり、と間延びした草履の音をさせながら、ブラックは呟いた。
「きっついわ……」
ぺたり、と規則正しかった歩みが止まる。
「ブラックさん……」
「なあ、ナナちゃん」
今日いてくれてありがとな、とブラックはナナに背を向けたまま告げた。その肩が小刻みに震えている。
「一人じゃ、きっと、ダメだった……!」
「ブラックさん!」
ナナは駆け寄った。
耐えかねたようにブラックの膝が折れる。嗚咽を漏らし泣き崩れるブラックを、ナナは覆うように抱きしめた。
体中の涙を振り絞るように、ブラックは泣いていた。
ナナはただただブラックを抱きしめていた。
「大丈夫ですから」なんて言葉、意味がないと知っている。
それでも、ナナは言わずにいられなかった。
「大丈夫ですから。わた、私がいますから……! 大丈夫ですから!」
言葉は無力だ。私も無力だ。
ブラックを抱く手に力をこめる。
全力で抱きしめても、まだ、足りない気がした。
大人になったら泣かないなんて、嘘だ。
僕らは一体、いつになったら強くなれるんだろう?
夜の闇がすっぽりと山を包んで、星が瞬き始めた頃、ブラックは最後の嗚咽を漏らした。拳で涙を拭って、鼻水をすする。二度ほど瞬きをして、もう涙が零れないのを確かめると、ブラックはようやく顔を上げた。
薄暗がりに、同じような顔をしたナナの顔が見える。目も鼻も頬も真っ赤だ。
その瞳が、自分だけを真っ直ぐに見つめている。
ブラックの顔が知らず微笑んだ。
「ごめんな。俺、すっげー情けねー」
「いいえ」
ナナが口を一文字に結んで首を振った。その瞳に新たな涙が溢れる。星の瞬きを受けて光るそれを、綺麗だとブラックは思った。
「明日、目が腫れちまうな」
ナナの頬に手を伸ばす。すん、と鼻を鳴らして唇を噛み締めたナナが、その手を取った。
「ブラックさんだって」
「うん」
まあ、いいかとブラックは頷いた。
「おそろいってことで」
可可、と笑うブラックにつられて、ナナも微笑んだ。
どんな表情もこの先分かちあえばいい。
つたなく握られた手が、ただ二人を支えていた。
【無敵戦隊シャイニンジャー・ブラックの無力な黄昏 2006.7.10】